そうしてあの子を見なくなる。
文章が横に長いですが。すみません,,,。
それと、タイトルが若干ホラー味がありますが、ホラーではありません,,,。
何卒読んでいただけると幸いです。
体育館の窓から桜が散っていくのが少しだけ見える。去年と同じクラスメイト。去年と同じように並んだ列。
ひらひらと風に乗る桜の花びらが見たくて、その列から少しだけ首を窓の方に伸ばす。前に整列した子たちの頭でよく見えない。背筋をピーンと伸ばし、みんなより頭一つ分身長を高くする。
見えた、見えた。桜の花びら。
絶え間なく散っていく桜の花びらは風に揺られ、それは、どんな家具屋さんにも売っていないほど、かわいいピンクのカーテンに見えた。
一年のうちで、一、二回しか見られないこの風景が私は好きだ。
「一年生は名前を呼ばれたら、元気よく返事をしてください。」
校長先生の声にハッとして、前に顔を戻す。体育館ステージには、初めて見る顔がずらりと並んでいた。ざっと数えて二十五人くらい。そのどれもが、小さくて、丸くて、もちもちで、つやつやで、やっぱり小さい。緊張のせいか無表情な子、たくさんの人に見られているにも関わらず大きなあくびをしている子、キョロキョロとあたりを見回している子、誰かに手を振っている子、みんな行動がバラバラでかわいい。自分に年下の子をかわいいと思う感性があるなんて知らなかったが、新小学一年生を見てかわいいと思わないでいる方が難しいだろう。自分より小さいものは愛でたくなるものだ。
入学式という一年に一回しかない特殊な環境のせいか、いつも見ている体育館がよそよそしく感じる。紅白の垂れ幕も、おめかしした先生たちも、学年が上がって去年までとは整列する場所が変わったこの状況も、よそよそしさを一層する材料となっている。私はこの空気が嫌いじゃない。入学式には、梅雨のむしむしした部屋に、冷房の冷たく乾燥した空気を流し込んだみたいなすがすがしさがある。何よりいつもと違うことは新学期らしいと思っている。新学期は新しいことが始まるものだ。
転校生が来ることを知らされたのは、入学式が始まる前、始業式でのことだった。お腹にも顎にもでっぷりと脂肪を蓄えた校長先生が、新学期の挨拶を終えた後、さらっと言ってのけた。体育館の窓越しに桜の花びらが風に揺られ飛んでいくのを、ぼーっとながめていた私は危うく聞き逃すところだった。みんなおなじようなものだったのだろう。一瞬の沈黙ののち、私のクラスのみならず、隣のクラスまでざわつきはじめることになった。全校集会で自分の話に興味を寄せられることのない校長先生は、生徒が自分の話に興味を示してくれたことが嬉しかったのだろう、サンタクロースみたいに大きくて、白いものが混じる眉毛を下げて微笑んでいた。校長先生にとったら良い新年度の始まりだろう。
私は校長先生の笑顔が好きだった。普段の話はとてもつまらないが(どこの校長先生もそんなものだろう)でもいつも冬に飲むココアみたいに温かな声で、温かな表情で児童を導こうとしているのは、大勢の児童のたった一人にしかすぎない私にも充分伝わっていた。それにやっぱりサンタクロースみたいだった。
そんな校長先生と一瞬目があった気がした。
始業式から教室に戻ってくると、新しい担任である空上先生は、自分の紹介もそこそこに転校生を招き入れた。
招き入れると言ってもこの学校の教室には扉がない。
教室と広々とした廊下は堺がなく、地続きになっている。
唯一、教室と廊下を仕切っているものがあるとしたら、探検バックや絵の具をしまうようなロッカーがなんとなくおいてあるだけだった。
小学一年生の身長ほどのロッカーだから、席についていたとしても、外の様子は全て見ることができる。
空上先生が話している最中、みんなの意識は先生には向いてなく、ロッカーの向こうに立っている転校生に夢中だった。
肩につくかつかないかのをまっすぐおろし、前髪はセンター分け、小さなリボンのついた白いブラウスに茶色のキュロットを着た女の子だった。
空上先生に呼ばれると、おっかなびっくりしながら足を動かし、ゆっくり、本当にゆっくりやってきた。
本当はもっと早く歩きたかったのだと思う。だけど、体が緊張のせいでうまく操れていないようだった。
唇を真一文字に結び、瞳は斜め下の一点を見つめ、顔はうつむいたまま動くことはなかった。
その様子を見た先生は女の子にかけ寄り、肩をぎゅっと抱きしめると、一緒に歩いてきた。というよりほとんど強引に黒板の前まで来させていた。
女の子は右手で左腕をぎゅっと押さえている。
体全体に力が入っているように見えたが、一番力が入っていたのは右手のように思う。
黒板の前まで来ると、先生は黒板に名前を書いた。
本田 翠
「本田翠さんです。みなさん、今日から翠ちゃんもこのクラスの一員となります。みんなの方がこの学校のことをよく知っています。ですので、翠ちゃんが困っていたら、何でも助けてあげてくださいね」
先生は、はきはきとした声で、黒板の前に立つ女の子の紹介をした。
「すいちゃんか~かわいい名前だよね。」
給食の列に並びながら、よもちゃんが伸びやかな声でいった。よもちゃんは短い髪を精一杯後ろで結んでいるせいで、ヘヤゴムで束ねきれなかった髪が顔の横にながれている。よもちゃんのかみは色素が薄く、それに合わせるように肌も白くて、小さなお人形のようだった。肌の所々に赤い発疹があり、いつ見てもどこかしらに指で掻いた跡があり、掻きすぎたのか少し血も出ていた。肌が強くないのかもしれない。だけど本人はそんなの気にしていないらしく、いつも明るく元気で誰に対してもフレンドリーだった。
「よもちゃんの名前だってかわいいよ、あんまりいない感じだし。」
私がそういうとよもちゃんはにっこりわらった。笑顔になっても黒目がなくならないほどぱっちり二重の目なのが羨ましかった。
「あんまりいないと言うと、あやちゃんの方があんまりいないとおもうけどな~」
私も微笑んだ。私は笑うと黒目がなくなるし、白目もなくなるし、吊り目になるから笑いたくなかったけど、よもちゃんの笑顔を見て笑わないでいるのは難しかった。それぐらいよもちゃんの笑顔は太陽みたいに眩しくって、かわいかった。
転校生の翠ちゃんは給食の前には帰ったらしい。クラスに一人はいる情報通の男子が女子たちに話していたのを、よもちゃんが聞いたらしく、私に報告してきた。ここでは隠し事なんかできないのではないかと思うほど、学校は情報が回っていくスピードが速い。誰と誰が喧嘩したとか、誰ちゃんが誰ちゃんのこと無視しているとか、誰々は誰々のことが好きだとか、朝の時間になにかしら情報が発生したら帰るころにはみんな知っているのではないかと思う。どこの学校もそうなのかな。きっとそうなのだろう。
「今度、すいちゃんに話しかけてみよーね!今日は金曜日だから月曜日に!さっきのすいちゃんの自己紹介、先生がぜーんぶっ!しゃべっちゃったでしょ?まだすいちゃんの声聞いてないから楽しみだね!」
よもちゃんが元気溌剌にそう言った。確かにさっきの自己紹介は先生がすいちゃんの名前を教えてくれただけだった。タコショウカイ?っていうんだっけな、そういうの。
自分ひとりでは転校生に話しかけるなんて絶対にできないけれど、よもちゃんと一緒ならできると思った。
「月曜ね、楽しみだね」
よもちゃんと話していると、給食を受け取る順番になっていた。
「知ってる?早帰りの日とか、今日みたいな日って給食はカレーが多いんだよ。」
「そうなの⁉」
「ん~お母さんが言ってた。なんか早く食べ終われるからとか?本当かは分からないけど。」
「え~っ!でもたしかに今日カレーだね!」
教室中にカレーのいい匂いが充満してきた。
よもちゃんは前のめりになるようにして汁物の食缶を覗く。食缶が乗っている配膳台がよもちゃんが寄り掛かった重みでガラガラと動いた。給食当番の人たちが“おい~”“よも~”と起こり口調で言いながら、だけどその顔は笑っていた。“ごめんね~わざとじゃないんだよ~”と言いながらよもちゃんも笑っていた。軽口をたたきあうその様子を見て、新学期が始まり、学校に戻ってきたことを感じる。
また一年が始まる。
長い長い一年。
月曜日、よもちゃんが教室に入ってきたのは、朝の読書が始まる十分前、八時二十分だった。
「おはよう。遅かったね。いつも八時には着いてるのに」
「そうでしょ?でも、新しい登校班だとこれぐらいになるかな」
よもちゃんは去年の登校班とはメンバーが少し変わったらしい。いそいそと教科書を引き出しに片付けていくよもちゃんにまた後でと言い、自分の机に戻る。
机の上に散らかしたままの折り紙たちを片付け、読書の時間で読む本を開く。
魔女がお洋服を素敵にリメイクしていく物語。
この本のシリーズが一年生のときから大好きだった。
動物や魔女のお客さんからの依頼を受け、どんな服でも依頼人に合うようなお洋服にリメイクしていく、そんな話。
愛想の良くない魔女と、召使いの一匹の猫と、人間の女の子、それからユニークな依頼人たち。
みんなが織りなしていく色とりどりで温かくて魔法のようにきらきら輝くこの物語に私は完全につかまれている。
教室ががやがやと騒がしい中、私は魔法と裁縫の世界に飲み込まれていく。
次に教室に戻ってくるのは、読書の時間が終わって、健康観察をするときだろう。
健康観察で返事をする必要がなければ一時間目が始まるまで読んでいられるのに。
「あやちゃん、すいちゃんいないね。」
本の世界に飲み込まれる直前に、よもちゃんの声が上からふってきた。
顔をあげると、よもちゃんの白い肌のすべすべな頬っぺたがすぐそこにあった。
よもちゃんに言われ、すいちゃんの席を見てみる。
ほとんどのクラスメイトの席に筆箱やら教科書やら提出物やらが転がっている中、すいちゃんの席には何もなかった。椅子にも机にも体温さえ感じなかった。
「きっともうすぐ来るよ」
「そうかな~」
よもちゃんは口を尖らせながら席に戻っていった。
すいちゃん、学校嫌になっちゃったかなあ。
金曜日のすいちゃんを思い出し、少し不安になる。
右手で左腕をぎゅっと掴んでいたあの姿。
私は転校したことがないからあの子の気持ちは分からない。だけど、新しい場所が不安で、怖くって、何かにしがみついて泣き出したくなる気持ちは分かる。
学校来てくれるといいな。
本の重さを腕に感じながら、ぼんやりそんなことを思う。
私もよもちゃんと同じですいちゃんと仲良くなりたい。なんでかなんて理由ははっきりしないけど、なんとなくそう思い始めていた。
心配と期待がぐるぐると回っていく。
今日の読書の時間はもう本に集中できそうになかった。
「今から自己紹介をしてもらいます。先生はみなさんと会うのが初めてなので、みなさんのことを知りたいです。名前と好きなことを教えてください。発表順は名簿番号一番からいくからみんな準備しといてね」
長い髪をポニーテールでキュッと結び、紺色と紅色のジャージを着た空上先生がそう言った。一時間目は新学期恒例のクラスで自己紹介だった。
去年と同じメンバーなんだから、ないことを祈っていたけどやっぱりあるよね。うん、あるよね。普通。
お母さんと同年代くらいの先生のことを心の中でにらむ。口をすぼめ、そこから息をフッと出す。せめてもの反抗だ。許せよ、これくらい。
新学期ってこういうのがあるから緊張する。
「先生~本田さんは~?」
クラスのお調子者(目立ちたがり屋)の男子が手を挙げながら聞いた。こういうお調子者はありがたいことを聞いてくれる。男子に向けて心の中でグッドポーズをした。
「二時間目にはくるよ」
先生はあっさりと言った。
二時間目に来るんだ。良かった。
ほっとする。ほっとしてから、ほっとしている場合じゃないと自分のほっぺをつねる。
すでに自己紹介は始まっていた。私の名簿番号は後ろから数えた方が早いからまだ回ってこない。けど、待っている時間ほど緊張することってない。でも、やらなくちゃいけないし、順番が迫ってくる中、意識的にゆっくり呼吸する。自分の両手を両頬っぺたに乗せた。手は冷たい。すごく冷たい。そのことが私を安心させる。
私の前の水沢海航が席から立って、自分の名前を言う。好きなことを言う。海航くんが席に着く。決して大きくもない拍手がなる。
私は席を立つ。
はやく終わらせてしまおう。顔が真っ赤になる前に。
二時間目と三時間目の間は、二十分間の青空休みになる。大人にとったらたった二十分かもしれないけど、小学生にとったら貴重な遊び時間だ。一分も無駄にできないのだろう。我先にと校庭に駆け出していく男子の後ろ姿をぼーっと眺める。
今日は春らしい春の陽気だ。お日様が優しく包み込んでくれて、風は冬のおわりをできるだけ引きずろうとしているかのようにひんやり冷たい。
冬の終わりを引っぱることはできないよ。だって、もう四月だし、冬はもう終わったんだよ。
小さな花が町のコンクリートの間に咲いているし、太陽の自己主張が大きくなってきているし、そろそろ夏の風とバトンタッチしてあげたら。
グラウンドの木々を揺らし、砂をなで、駆けっこで遊ぶ男子の髪を起こしていく風にそっと語りかける。
夏と冬が一年の季節の主役たちだとしたら、春と秋は主役同士のバトンタッチだと思う。自我の強い主役たちは、なかなかバトンを渡そうとせず、そしてどちらもバトンを奪おうとするから、引っ張り合いになる。その結果生まれるどっちつかずの時期が春と秋なのだと。
だとしたら、私自身の季節もまた、夏でも冬でもなく、どっちつかずの春秋だ。
何かが引っ張り合いになって、どっちつかずで成り立っている。
貴重なニ十分をぼんやりと過ごすのももったいないかなと思って席を立つ。よもちゃんに話しかけようと後ろの方を向くと、白いブラウスに薄い黄色のカーディガンを着て、席に座っている、ひとりの女の子が目に入った。教室で一番後ろの席の、一番廊下側の角の席。
すいちゃんだ。紛れもなくすいちゃんだった。
良かった、来れたんだね。
心の中でつぶやく。
すいちゃんは、下をむいてうつむいていた。頬っぺたに垂れる横髪がさらさらで、とてもきれい。だけど、その横髪がセンター分けにした前髪とくっついて、瞳に覆いかぶさっている。
そして、転校初日と同じように右手で左腕をつかんでいた。
大分恥ずかしがり屋さんなのかもしれない。
どうやって話しかけたら、心を開いてくれるかな。
そんなことを考えていると、
「あ~やちゃんっ、話しかけてみようよ!」
と、後ろから声をかけられた。
「うわあっ!びっくりしたよう」
突然よもちゃんに話しかけられ、思わずびくっと肩をふるわす。
「ごめんね~、ぼーっとしてたあ?」
「まあね、全然いいよ」
よもちゃんはけらけらと笑う。私もつられて笑う。
笑いながら、頭では別のことを考えていた。
「ねえねえよもちゃん、なんて話しかけ―」
言葉を言い終わる前に、よもちゃんは私の手をとって、すいちゃんの方へと駆け出していく。
そして、
「こんにちは!」
と、元気な声を出した。
うつむいているすいちゃんに、よもちゃんはいつもの明るい笑顔と邪気のない声で話しかける。
「葉山蓬です!よろしくね!」
初めての人にでも、仲の良い人と接するみたいに普通に話しかけることができるよもちゃんはすごい。
私も名乗らなきゃ。
すいちゃんの方に顔を向け、息を吸いかけ、私はそこでとまる。吸いかけた空気が私たちの目の前で停止したみたいだった。
すいちゃんは、椅子に座ったまま身体を精一杯後ろに引いて、小刻みにふるえていた。
怯えている、そう思った。
澄んだ黒い瞳が揺れていた。
目の前に怖いものが現れたときみたいに、怯えて、怯えて、怯えているのだと、そう思った。
怖いのだと―。
自分の心臓がドクンドクンと鳴っているのを感じる。頭が真っ白になりそう。それを防ごうとするかのように、たくさんの言葉が浮かんでは消えていく。だけど、そのどこにも今使うべき言葉が見つからない。
私が何も言えないでいると隣にいるよもちゃんが
「一緒に遊ばない⁉」
と、声をかけた。
すいちゃんは、何も答えない。
すいちゃんは、ずっとふるえていた。ふるえているのにその身体は硬く固まっているように見えた。
しばらく沈黙が流れた。
廊下を走る子たちの声がやけに遠くに聞こえる。体がジーンと暑さに刺激される。
「あやちゃん、…いこっか。」
よもちゃんが私の手をとって言う。よもちゃんの方を見ると、よもちゃんは笑顔でいた。
いつも通りの笑顔だった。
「そう…だね。」
よもちゃんに手を引かれるままに私は足を動かす。身体をひるがえす瞬間見えたすいちゃんは、右手で左腕をぎゅっと強く強く、腕に指が食い込むほど強く握っていた。
すいちゃんがみんなの前で話すことが苦手だと教えられたのは、始業式からニ週間ほどが経ったある日の学活の時間だった。この二週間、よもちゃんとの間ですいちゃんについて話すことはなく、一度話しかけたあの日のことはなかったことになっているかのようだった。
私もすいちゃんについて、よもちゃんに話そうとしたことは一度もなかったし、自分からまた話しかけようと思うこともなかった。
なんでだろう、なんでかな。
この二週間で何人かの女の子がすいちゃんに話しかけたみたいだった。
その中には、無視をされたとご立腹の子もいたし、なんか嫌われちゃってるかなと落ち込む子もいた。
そして、すいちゃんはいつも教室にいるわけではなかった。ランドセルも教室には置いていないようで、教室に来るときは筆箱と授業に必要なものを少し持ってくるだけだった。
すいちゃんが普段学校のどこにいるのか、みんななんとなく知っている。知っているけど、みんな話さない。話すとしたら、本当に仲の良い子と、その子だけの空間でひっそりと。どうやってふれたらいいのか分からない話題だから。
すいちゃんに話しかける子は、今はもういないのではないだろうか。
先生だってきっとそのことに気づいている。気づいているから、学活の時間にこの話をしようとしたのではないかと思う。
学活の授業が始まると黒板に取り付けられたプロジェクターからひとつのアニメが再生された。
柔らかな色づかいで描かれたそのアニメは、おさげにした物静かな女の子が主人公だった。優し気な顔をしたその女の子は、ひとつ、他の子と違うことがあった。それは女の子は家族以外と接するとき声が出なくなってしまうということだった。
声が出なくなる――。
自分の心臓がドクンとなるのを感じた。
その女の子は学校で話しかけられると、声が出なくなってしまうらしかった。そのせいで学校で人と話すことができず、クラスに馴染めない。
そういうことを描いているアニメだった。
話しかけて何も言葉が返って来なかったとしてもそれは無視しているのではなく、声が出なくなってしまっているだけなのです。だからみなさん、話しかけるときは優しく話しかけ緊張をほどいてあげるようにしましょう。
そんな言葉がスピーカーから流れているのを私はどこか冷静な気持ちで聞いていた。心臓は静かな鼓動を取り戻していた。
アニメの最後はおさげの女の子と、もうひとり、ショートカットの女の子が笑いあっている絵だった。その絵のまま動画は停止し、十分にも満たないアニメは終わった。
アニメの中の子には、友達ができたのだろうか。
子どもというのは単純なもので、授業でアニメを見て以降、ほとんどのクラスメイトの女の子たちは、すいちゃんに、また、話しかけるようになった。すいちゃんが教室にいるわずかな時間を無駄にしてはいけないと思っているかのように話しかけにいった。
「すいちゃんは、兄弟いるの?」
と、ある子は聞いた。
「すいちゃんは、何の授業が好き?」
と、別の子は聞いた。
「すいちゃんは、ペット飼ってる?」
と、また別の子は聞いた。
「すいちゃんは、ティックトック見る?」
「すいちゃんは何するのが好き?」
「すいちゃんは――、」
そのどれにもすいちゃんは反応しなかった。だけど、クラスの女の子たちは別段気にしている様子もなかった。
無視されているわけではない、声がでないだけ―――。
それをあのアニメで学んだからだろう。根気強く話しかけていればきっといつか話してくれる。そう思っているのかもしれなかった。
ある日の授業中、すいちゃんの席の周りが急にざわざわとし始めた。
算数の授業中のことだった。
「きれ~い。」「上手だね。」しきりにそんな声が聞こえてくる。いつもはすいちゃんに興味なさげな男子まで、「すご~い。」と感嘆の声をもらしている。
何がすごいのか気になって、黒板の内容をそっくりそのままノートに書いていた手を止め、すいちゃんの席の方を向いた。
私の席は窓側から二列目の一番前、右角に座るすいちゃんが何をしていたのか、振り向いたところで分かるはずもなかった。
だけど、すいちゃんの周りにいる子たちがみんなすいちゃんの方をむいているものだから、すいちゃんが縮こまってしまっているのだけは分かった。
先生は気づいているのかいないのか、何も言うことはなかった。
授業終了後、すいちゃんはそそくさと教室から出て行ってしまった。
「すいちゃんの絵、すごかったんだよ!」と、女の子たちがはしゃいでいるのが聞こえてくる。
その子たちから聞こえてくる情報をまとめると、どうやら、すいちゃんがノートの端っこに書いていた絵がとてもきれいで、とてもすごかったらしい。
何の絵を書いていたのか、鉛筆だけで書いていたのか、色々聞きたいことはあったが、その輪の中に私は加わることはなかった。
よもちゃんも加わることはなかった。だからなのか、私たちの間ですいちゃんの話がされることもやっぱりなかった。
子どもというのは残酷なもので、興味関心はあっという間にさまざまなものに移り変わる。
女の子たちがすいちゃんに盛んに話しかけていたのは、あのアニメを見てからたかだか一週間程度のことで、その後は飽きたのか、やっぱり自分たちとは違うと区別したのか、話しかけようとする子はいなくなっていた。
その時間の流れを、その子たちの行動を、私はどこか冷たい目で見ていた。先週まであの子たちの心の中のあった、話しかけてみよう、仲良くなりたい、という気持ちはどこに行ったのだろう。同級生に対して、すごくすごく冷たく硬い気持ちを向けていることに、私は気づいていた。
自分もみんなと同い年なのに、なぜだかすごく老けた感じ方をしていると思った。
だけど、責める資格がないことも分かっていた。だって私も、一度話しかけて以来、何もしていないのだから。
気持ちを落ち込ませないために、引き出しの中にある教科書たちの一番下から正方形のプラスチックでできた袋を取り出す。そこに入っているのは折り紙だ。
一般的な折り紙の四分の一サイズ。
和をイメージしたデザインの折り紙は、紫とピンクの間のような色地に、金色の蝶が舞い、花が咲いている。
心に喜びがあふれ、踊らされるような折り紙に、気持ちが晴れていくのを感じる。小さな正方形の折り紙を何枚も取り出し、全てを同じ形に折っていく。
淡々と、なにも考えず、手だけを動かす。さっきまでの冷たい気持ちも、もやがかかっていたような気持ちも、折り紙を取り出した時の華やかな気持ちも、すべてがゼロへと戻っていく。
私が学校生活で見つけた方法。心がざわついたときはとにかく折ればいい。
これでいい、これで、これに集中していれば私は大丈夫だから。
自分の心につぶやく。
「きれいな折り紙だね!何、作ってるの?」
突然、よもちゃんのような快活な声がやはり頭の上から降ってきた。びっくりして、一瞬びくっと体をふるわすが、よもちゃんのような明るい声は、よもちゃんではなかった。
顔をあげると、そこには白い歯をのぞかせ、ニっと笑顔を見せる女の子がいた。
「りんちゃんか~、一瞬よもちゃんかと思ったよ~」
そう言うと、りんちゃんはきゃははと笑った。
「よく一緒にいるもんね!」
りんちゃんの言葉に頷きながら、りんちゃんが自分に話しかけてくるなんて珍しいなと思い、内心ドキドキしていた。。
りんちゃんとは、三年生の時から同じクラスだ。よもちゃんと同じで天真爛漫、誰とでもすぐに仲良くなれるような彼女は、クラスの中でも中心人物的ポジションで、いつも輪の真ん中にいた。その理由は、運動神経抜群とか、勉強ができるとか、授業中にたくさん手をあげるとか、性格がいいとか、いろいろあるだろう。どれが一番彼女の地位に影響しているのだろう。
「折り紙をね、たくさん同じ形に折って、最後に組み立てていくの。立体的な形になるんだよ。」
クラスの中でも、いや、学年全体を見ても上の位置にいる彼女に対して緊張気味にしどろもどろに話す。今の説明では、何を作っているのか、半分も伝わらなかったと思う。何作っているの?の問いの答えにはなっていない。だけど、それ以上、自分の作っているものに対してなんて説明すればいいか分からなかった。
「そうなのね!すごいね!私は、工作へたくそだからな~」
私の下手な説明にも、屈託なく笑ってくれる。
その笑顔を見てやっぱり違うか、と思う。顔がかわいいこと、運動ができること、勉強ができること、性格がいいこと、人と話すのが上手なこと、授業中に積極的に発言すること、先生に頼りにされていること。
この子が中心人物的存在なのは、すべてのレベルが高いからだ。一番の理由とかはないのだと考え改める。すべてが一番なのだ。すべてが一番だから、みんなのトップにいるにも関わらずみんなに好かれているのだ。
りんちゃんがトップにいるなら、このクラスは安全だろう、そう思う。
「んじゃ、がんばってね~」
りんちゃんは、それだけいうとどこかへ行こうとする。
結局何しに来たんだろうと少し疑問が残るが、りんちゃんは三年生で同じクラスになったときから、こういう風にときどき話しかけにきては、風のようにすぐに去って行ってしまうことがときどきあった。
彼女なりのコミュニケーションだろう。
「りんちゃん!すいちゃんに話しかけた?」
去り際のりんちゃんを呼び止める。りんちゃんは一瞬きょとんとした後、
「話しかけては、みたけど、難しい。どうすればいいのか分からないから。それに、あの子、いつも、教室にいるわけじゃないから。難しい。」
まっすぐ整った眉毛を少し下げて言った。きっと、りんちゃんも今はすいちゃんに話しかけたりはしていないだろう。でも、その他大勢の女の子に抱いたように冷たい感情を抱くことはできなかった。
それは彼女がやっぱり一番だからだろうか。




