第四章 告白
「おにいさま、おにいさま、起きて」
名を呼ばれアンディールは静かに瞳を開けた
「早いな…マキーシャ…朝のKissを…」
少し不機嫌そうなアンディールのベッドに座り込むとマキーシャはそっと兄の額と頬に
可憐な唇を当てKissをする
「きゃ…」
手首を掴まれ力任せに引き寄せられたマキーシャはアンディールの胸へと倒れこんだ
「では…お姫様、心地よい我が眠りを妨げた訳を述べよ」
優しく両頬を包みこむ兄の手に小さな華奢な指を絡めマキーシャは微笑んだ
「起こしてごめんなさい…でも、おにいさまが育てた薔薇が咲いているの」
「マキーシャが?」
お前のようだとアンディールが種から育て妹の名を命名した薄紅色のガーデンローズ
嬉しい朝のサプライズにアンディールの口元がほころんだ
「ね?ご一緒に庭園に来てくださいな」
手早くシャツに袖を通し顔を洗うとアンディールは妹の手をひいて屋敷の薔薇園へ向か
う
「おお!!」
目の前には愛らしい薔薇がまるでドレスを着た小さな王女のように華やかに誇らしげに
可憐に咲いていた
花びらに顔を近づけると甘く香しい香りがアンディールを包み込む
「優しい香りが…お前のようだ…」繋いでいた指に力を込めマキーシャを強く抱きしめ
る
兄の背中に抱き着きながらマキーシャは可憐に微笑むと
「おにいさまに一刻も早くお見せしたくて起こしてしまったの」クスクス笑いながら鼻
をこすりつけてきた
「ありがとう」アンディールは優しく微笑み妹のやわらかな黒髪に唇を埋めるとすっぽ
りと包み込むように抱きしめた
同じ血を分かち合う兄妹なのに2人は強く惹かれ合い心から愛し合っていた
兄は妹を妹は兄をまるで互いの半身のように求め合い慕い合い片時も離れていられぬほ
どに仲が良かった
無論…ひとつに溶けあえるはずもなく抱き合うことでしか互いの温もりを確かめること
しか出来なかったが
アンディールにとっての女性はマキーシャしか考えられずマキーシャもまた同じだった
「相変わらず仲がいいな」
寄り添う2人に眼を細めながら声をかけてきたのは屋敷の当主であり父親のマルクであ
る
白髪交じりの豊かな髪にノーブルな面差しの美丈夫だ
見る者を威圧する鋭い眼差しは笑っていても侮れない独特の威厳を感じさせる
「お父様、おにいさまの育てた薔薇が…」マキーシャの言葉を右手をあげて遮り
「2人とも…部屋へ入りなさい」
「はい、父上」
逆らわずに部屋に入りソファに腰掛ける2人を見ながらマルクはゆっくりと口を開いた
「マキーシャは18になったはずだが…違いないか?アンディール?」
「おっしゃる通り5月で18になりました」
マキーシャの頭を優しく撫でながら応えるアンディールは父の口調に妙な胸騒ぎを感じ
ていた
「率直に話そう、マキーシャ、わたしの従妹のモォルト侯爵が是非ともお前を嫁に欲し
いとせがんでいてな…」
アンディールは目の前が真っ暗になるのを感じマキーシャは父の唐突な結婚話に耳を疑
いショックのあまりに立っているのがやっとだった
「お父様、私はまだ結婚なんて…いやです…絶対にいやです!!!まだ考えたくありませ
んっ」
ドレスの裾を翻すとマキーシャはその場から逃げ出すように父の部屋から出て行った
マルクは深いため息をつくとやれやれ…という表情で葉巻に手を伸ばす
「いきなり受け入れられないのは無理もない…だがな、アンディール」
名前を呼ばれアンディールの眉がピクリと動く
父から聞かされた話はアンディールも寝耳に水の内容だった
友人を救うつもりで裏切られ背負う羽目になった莫大な借金のせいで屋敷を抵当に入れ
てもこの先、食べていけるかどうかすら難しい現実に頭を抱えて悩んでいたところへタ
イミング良く
モォルト侯爵が話を聞きつけ救いの手を差し伸べてきた…という訳だ
「頼む、アンディールよ、マキーシャは心底お前を慕い信頼している!お前なら…いや
、お前でなければマキーシャを説得するのは不可能なんだ」
「わたしにその役目を演じろと仰るのですか…」
「父親として最低な事をお前に頼んでいるのはわかっている!お前がどれだけマキーシ
ャを大事に想っているかも知らない訳ではない…だがな、アンディールよ、マキーシャ
はお前の血の繋がった妹なんだぞ…」
「どんなに愛していても結婚は…」
父の言葉を遮るようにアンディールは声を荒げる
「それ以上、聞きたくないっ!あなたは傲慢で利己的で自分勝手だ!!」
部屋を出て行こうとドアを開けるとそこには真っ青になったマキーシャが立っていた
マキーシャはフラフラと部屋に入り父のもとへと近づくと突然、ニコリと微笑み力なく
応えた
「お父様、私は…モォルト侯爵のもとへ参ります」
「マキーシャ、正気なのか!!そんなこと俺は許さない!!」
「黙れ!アンディール!!」父親の厳しい叱咤が飛ぶがアンディールの耳には入っていな
い
「やめて、おにいさま!私、私はお金に困って…このお屋敷を売って貧しい暮らしをす
るなんて絶対にイヤ!」
「マキー…シャ…」
「お父様がこんなに困って頼んでおいでなのに…おにいさまには…お父様のお気持ちが
おわかりにならないの?」
「おお…心優しいマキーシャよ…お前がどんな気持ちでその言葉を言ってくれているの
か…考えただけで胸が引きちぎられそうだ!すまない、本当にすまない…どうかどうか
…愚かな父親を許しておくれ」
「モォルトは男気のある誠実で真面目ないい男だ、一生お前を大切にしたいと何度もわ
たしに誓ってくれた」
「それで…お父様…私はいつ…いつモォルト候のもとへ嫁げばよいのですか…」
「おお…早速使いの馬車をやろう、いや、わたしが直接、話に行くとしよう」
マルクは娘の気が変わらぬうちにと焦ったように支度をしだす
「少し…疲れたので部屋で休みたいのですが…」消え入りそうな声で呟くマキーシャの
肩を抱いてマルクは
ニコニコしながら頷いた
「ああ、かまわんとも!アンディール、部屋まで連れて行ってあげなさい」
「ひとりで行けますわ…」
放心したように佇むアンディールの前を横切りマキーシャは自分の部屋に入ると鍵をか
けベッドにうつ伏せになり声を殺して慟哭した
「おにいさま…おにいさま…!!!ごめんなさい…おにいさま…」
アンディールの名を呼びながら涙の河が出来るくらいに涙を流し一晩中すすり泣いた
翌朝…一睡もしていないアンディールはマキーシャの部屋の前に座り込み動けずにいた
「おにいさま…」ドアを開けると大好きな兄が憔悴しきって膝を抱えたまま隈だらけの
顔でうつろな瞳をマキーシャに向けた
「こんなところで…風邪をひいてしまいます…」動けずに自分を見つめる兄を抱き起す
とマキーシャはアンディールの手を引っ張りながら自分の部屋へと入れて再び鍵をかけ
る
「お父様は明日まで帰ってきません、使用人も休んでいます」
マキーシャはそう言うと静かにドレスを脱ぎ生まれたままの姿で潤んだ瞳を向けアンデ
ィールをじっと見つめた
「マキーシャ…おまえ…」
驚いて硬直しているアンディールの頬を華奢な両手で優しく包み込みマキーシャは涙を
流しながら
そっと口づける
「ずっと…愛していました…今も狂いそうなほど!」
「マキーシャ……俺はお前に会うためだけに生まれてきた…お前が幼い頃から眩しくて
…愛しくて…どんなにその白い肌に焦がれ自分を戒めながらもこの腕に抱きたかったか
」
「この髪もこの肌も瞳も唇も髪の毛一本…血の一滴まで…おにいさま、いいえ、アンデ
ィール…私は身も心もただ貴方に愛されるためだけに生まれてきました」
2人が唇を重ね合い激しく抱き合いながらひとつに溶け合うのに時間はかからなかった
…
一番鶏が朝を告げる頃…アンディールは肌を濡らす生暖かい感触で目が覚める
「おはよう…マキーシャ…」声をかけようと抱きしめている身体の冷たさとシーツを真
紅に染めた血の海に気付き
咄嗟にうなじに指を当て脈を確かめる
愛しい人の命のリズムは刻まれることなく静かに息絶えていた
「マ…キーシャ?マキーシャ……!!!」
その名を何度呼び叫んでも応えてくれる優しい声はもう聞こえない…
「嘘だ…悪い悪夢だ…現実のわけがない!!!俺は信じない…」
「アンディール!元気か?おい、アンディール!」
その時、不意に訪ねてきた親友であり親戚のコージュは執事に部屋に通され2人の様子
を見て目の前で何が起きているのか理解するのに数分かかった
生まれたままの姿で血に染まりアンディールに抱かれ、眠っているかのように瞳を閉じ
ているマキーシャとマキーシャを抱きながら涙を流し正気を失っている友の姿にコージ
ュはかける言葉を失っていた
to be continued




