チー牛(仮1)2024/08/11 19:47
俺、#チー牛 だけど、チーズ牛丼なんて死んでも頼まねえ。
語ることは純度百パーセント真実。
でも、それっていまの俺的な真実にすぎない。世界に何の影響もなく、当然誰かの人生に何の影響もしない。
こう回りくどい言い草ばかりしているから、俺の周りにいた人たちはことごとく愛想を尽かして去っていった。
本能と無知の赴くままに生きている #ガキ と医療技術の進歩で時間が余りに余ってしまった哀れな #年寄り しか俺の周りに集まってこなくなった。
それでも誰もいないよりはマシだ。
こんな俺でも四十年間生きてきて、#X だの
#Instagram だの #NHKニュース だの #ABEMAPrime だのを見ているから、俺よりも孤独な奴が世の中にゴマンといることぐらいの知見はある。
俺に何かを #語りかけてくれる 心の持ち主はいない。#時間 の貴重さを未だ知らない子供と時間の感覚を失った老人だけが、俺に何か #大切なこと を話してくれる。もちろん俺は聞いちゃいない。
ところで、九十を超えてやっとこ死んだ資産家のばあさんが死んだとき、俺は葬式をサボって近所の安いバーで時間を潰していた。
妻と息子だけが葬儀に参列した。通夜と葬式の間中、俺の唯一の仲良しである6歳の息子は当然のことながら、くだらない酒飲み達の会に付き合いきれずに、ユーチューブを見たがったり、ニンテンドースイッチをねだったが、常識だけで生きている妻はそれを許さなかった。
そして俺を立派なクズ人間に育てあげた俺の母親は、アイパッドとゲーム機をねだる俺の親友と俺と全く正反対に真っ向なだけの妻に向けて、子育てとは何足るかをとうとうと語りあげたが、俺が通夜にも葬式にも出席しなかったことについては、一切触れなかったらしい。