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第三十一話「憎き存在」

 ジャックは宮廷の中を必死に逃げ惑った。

 重厚感のあるカーペットが敷かれた廊下が永遠に続く。

 とにかく広すぎて、自分が今どこにいるのかすら見当がつかない。


「はぁ、はぁ、どうしてこう面倒事ばかり……」


 ジャックは激しく息を切らしていた。

 このままでは体力が失われていく一方で、捕まるのも時間の問題だ。

 不安と焦りに駆られていく。

 とその時、追い打ちをかける事態が生じた。


「曲者はまだこの宮廷のどこかに潜んでいるはずだ! 血眼になって探し出せ!」


 なんとジャックの前方から衛兵たちが向かってきたのだ。


(クソッ! もう情報が行き渡ったのか。どうする……? どうする……?)


 ジャックはキョロキョロと辺りを見回した。

 すると、すぐそばに何かの部屋の扉があった。

 もちろん中がどうなっているのかは分からない。

 だが、とにかく今は衛兵たちから身を隠さなければならない。

 ジャックは咄嗟に扉を開け、その部屋に飛び込んだ。

 そして、息を呑んでジッとした。

 それからまもなく、衛兵たちが部屋の目の前にやって来たのが扉越しに分かった。


「我々はこっちを探す! お前らは向こうを探せ!」

「おう!」


 そこで衛兵たちの会話は途切れ、足音が遠ざかっていった。

 どうやら気づかれなかったようだ。

 ジャックはホッと胸をなでおろした。

 とその時、


「誰だ、そこにいるのは!?」


 と、背後からドスの利いた声がした。

 ジャックは思わずビクッとした。

 その声に振り返ると、そこには右腕の肘から先がない男がいた。

 男はジャックを見るや否や、ギョッとした顔になった。


「お、お前は……!」


 一方のジャックは至って冷静だった。


「お久しぶりです、父上」


 そう、そこにいたのはサムだった。

 まさか咄嗟に飛び込んだ部屋にいたとは。


「な、なぜお前がこんな所に……」

「僕は父上とお会いするために参ったのです」

「なに、ワシと会うためだと?」


 サムは怪訝そうな顔をした。

 突然の事態に、理解が追いつかずにいる様子である。

 そんな中、ジャックは話を進める。


「ここに来るまでの間、本当に色々なことがありました。初めて船に乗ったり、アルフォナ魔術学院に入学したり、そこで友達ができたり。人が目の前で死んでいく姿も見ました。やはり血の臭いというのは慣れないものです」

「……何が言いたい? そんな雑談をしに来たわけではないのだろ?」

「これは失礼。久々に父上とお会いしたものですから、つい胸が弾んでしまいました」


 ジャックはそう言うと、杖を取り出した。

 それを見るや否や、サムは目を見開いた。


「そ、それは……!」

「ええ、ディメオです。あなたが殺した母上の魔石です」


 ジャックはサムを鋭く睨んだ。

 その目からは、強い憎しみが滲み出ていた。

 サムは恐怖を感じ、身構えた。


「お前、ワシがクレアを殺したと誰から聞いたのだ?」

「ある信頼できる筋からです。……本当に父上が母上を?」

「だとしたら何だと言うのだ? たかが女一人のことで、くだらない」

「僕にとっては大事なことなのです。教えてください。なぜ母上を殺したのですか?」

「ほう、しばらく見ないうちにずいぶんと偉そうな口を利くようになったものだな」

「お答えになる気はないと?」

「誰がお前のような疫病神なんぞに」

「そうですか……」


 サムの答えに、ジャックの顔はさらに険しくなった。

 すると次の瞬間!

 ジャックが杖を構え、


「ペネトレイト!」


 と、サムの足に向かってペネトレイトを放った。

 金属片が突き刺さり、辺りに血が飛び散った。


「ああああああぁぁぁあ!!」


 サムは絶叫し、膝から崩れ落ちた。

 そして、這いずりながら扉の方へと向かった。

 ジャックはすかさず何かの詠唱を始めた。


「氷狼の息吹を今ここに!

 ニヴルヘイム!」


 すると、みるみるうちに扉が凍りついた。

 これでは扉を開けることができない。


「逃げられるとでもお思いですか」

「お、お前ぇ……」

「さぁ、お答えいただきましょうか。なぜ母上を殺したのですか?」

「くっ……」


 サムは歯を食いしばり、何も答えようとしなかった。


「もう一度お聞きします。なぜ母上を殺したのですか?」

「この疫病神が……」

「とっとと答えろ!!」


 ジャックは怒鳴り声を響かせながら、サムの胸ぐらを掴んだ。

 だが、サムはそれでも答えようとしない。


「そうか、だんまりか」


 ジャックはそう言うと、サムの顔面を一発殴った。


「答えた方が身のためだぞ? ああん!?」


 そして、また一発殴った。

 サムの鼻血が辺りに飛び散った。


「ま、待て!」

「こっちも腹括ってここに来てんだ。てめえも男なら覚悟くらい決めたらどうなんだ?」

「わ、分かった! 全てを話す! だから殴るのだけは……」

「ようやくその気になりましたか。では、お聞かせください。その全てというのを」

「うぅ……」


 サムは苦い顔をした。

 そして、重々しく口を開いた。


「今から12年前、ワシは国王陛下からある相談を持ちかけられた。それは新たな軍用魔術の研究についてだった。帝国が絶対的な力を得るために手を貸してほしいと。陛下はこのワシを頼られたのだ。これはグレースの名にかけて応えねばならない。ワシは全力を尽くすことにしたのだ」


 これを聞いて、ジャックはハッとした。

 なぜクレアが帝国軍の研究に関わっていたのか。

 彼の中でその謎が解明されつつあった。


「母上はその研究に関わっておられたのですよね?」

「ほう、まさか知っていたとはな」

「それってつまり……」

「ああ、ワシが陛下に提案したのだ。クレアの先天的魔術を応用すれば、凄まじい威力の軍用魔術が完成するかもしれないとな」


 やはり、そうだった。

 クレアはサムの差し向けによって、やむを得ず研究に加担させられていたのだ。


「陛下との話し合いの結果、クレアは宮廷に送り込まれることとなった。それからしばらくして、研究は成功に終わった。こうなると、クレアはワシにとって用済みだった」

「……どういうことですか?」

「ワシはエマに惚れていてな。エマを正妻として迎え入れたかったのだ。ワシからしてみればクレアなんぞ、お前のような疫病神を産んだ役立たずでしかなかった。それに、研究に利用されたあいつの体はボロボロだった。あのまま生かしておいたところで、グレース家の恥になるだけだ。だからワシが自らの手で殺した」

「そ、そんな理由で母上を……」


 ジャックは怒りに声を震わせた。

 クレアは、サムの身勝手な欲望や、グレース家の威信を保つためだけに犠牲となったのだ。

 残酷で理不尽極まりなく、到底許すことはできない。

 すると、サムが話を進める。


「本来であれば、お前も殺すはずだったのだがな」

「……なんですって?」

「当時、エマの腹の中にはデミオンがいてな。跡継ぎをデミオンにするとなると、お前は邪魔でしかなかった。争いを生むような悪い芽は早めに摘んでおかねばならない。そこで、ワシはお前を手に掛けようとした。だがその瞬間、ワシの右腕が吹き飛んだのだ。そして、後で知った。それがディメオの仕業だったということを……!」


 サムは声を荒げて言い放った。

 よく見ると、その体はわなわなと震えている。


「おそらく生前のクレアがディメオに何か封じ込めたのだろう。それが何なのかはワシにも分からない。とにかく、おぞましいものであるのは確かだ。ワシはすぐさま家臣に命じ、ディメオを館から離させた。それからも、ワシはディメオに怯える日々を送った。結局、お前を殺し損ねてしまった」

「そうですか、まさかそんなことがあったとは」


 ジャックは自分を落ち着かせようと、一度深呼吸をした。

 だが、それは功を奏さなかった。

 気づけば、彼の拳はサムの顔面を目掛けて突き出されていた。


「ぐはぁ……!」


 サムは殴り飛ばされ、床に叩きつけられた。

 ジャックはすかさずマウントポジションを取った。


「話しただろ……知ってることは全て……話したじゃないか……」

「最初はなるべく苦しませずに殺すつもりだったのですが。あなたにはそんな配慮をする必要もなさそうですね」

「ジャック、お前ぇ……」


 サムは憎々しげな顔をジャックに向けた。

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