63話 提案と反応
「鞍替え。……君は何を考えているんだ?」
アルの提案にトーマスは不意を突かれていた。
「鞍替え」とは主とする貴族を変えることを指し、落ち目の主を捨てて上がり目の貴族の元へ移動して自らの家を守ることを目的としている。
この鞍替えは貴族社会において頻繁に起こることであるが、それはあまり深い関係を持たない主従の間であり、ホークスハイム侯爵家とビクトル男爵家との関係は簡単に鞍替えを許すほどの間柄ではなかったのだ。
「――簡単ですよ。ホークスハイム侯爵家からグランセル公爵家の方へ鞍替えするんです」
しかし、アルはそれを「簡単」だと言う。
トーマスは目の前の少年の考えを「安直」だとさえ思えた。先ほどまでは優れた観察眼に尊敬の念さえ覚えたが、所詮はまだまだ子供であり年相応の考えを持っているのだと。
トーマスは一度ため息をついてアルに尋ねる。
「我が家とホークスハイム侯爵家の関係は知っているのか?」
この少年が我が家とホークスハイム侯爵家との間柄を知っていて、このような提案をしているのかと疑問に思ったからだ。
しかし、アルはすぐに返答を返す。
「――ええ、とても長いお付き合いだそうですね。『魔の森』の攻略にはビクトル家も参加したとか」
「魔の森の攻略」、それはホークスハイム家の大失策だった。
「魔の森」を開墾することで、その土地や資源を活用したいと考えた前ホークスハイム侯爵によって行われた事業だが、それを王家が許すはずもなく、王家の反対を押し切って着手したものの、多くの犠牲を生みながら全く成果を上げられなかったのだ。
その事でホークスハイム家は多額の借金と周囲からの大批判を受けたのだ。
そして、ビクトル男爵家もその事業に加担していた。
「――それを知って、なおそのような事を?」
アルが両家の間柄を知っていながらこの提案を出したのだと理解したトーマスは、次にどのような意図があるのかという意味でそう尋ねる。
しかし、アルから返ってきたのはその答えではなかった。
「貴方が『暗部』という強力な力を持ちながら出世を望まないのはどうしてですか?」
アルは男爵位以上の地位を望まないのは何故かと質問する。
「暗部」という強力な力を持ってすれば、伯爵まではいかないにしても、子爵くらいの地位を得られてもおかしくない。しかし、男爵という地位で留まっているのは本人の意思が働いているとわかる。
「……『暗部』は私にとって、いや我が家にとってなくてはならないものだ。しかし、良いイメージがないのも理解している。もしそれを大々的に打ち出して出世できたとしても――」
「――家族に害が行っては意味がない、と」
トーマスは、ビクトル男爵家にとって「暗部」という存在が極めて重要であり、その反面で良い印象を持たれないという社会的立場をしっかりと理解していた。
アルの言う通り、出世が出来ても周囲が彼らを「脅威」と判断すればその跳ね返りは想像もできない。
家や家族を守るには今の地位から動かないのが一番の得策なのだ。
「……その通りだ」
アルの言葉にトーマスは力強く頷く。
「そして、グランセル公爵家に鞍替えするとホークスハイム家の恨みを買うことになる。それも家族を守り切れないと判断したわけですね?」
アルの言う通り、グランセル公爵家に鞍替えするとビクトル男爵家の秘密をよく知っているホークスハイム家から圧力がかかるのは当然だった。
おそらくグランセル公爵家も力を貸してくれるだろうが、家族全てを守り切れない可能性は多分にある。
「……その通りだ」
アルが現状をしっかりと理解していることは、その受け答えからはっきりと分かる。さっきまで「所詮は子供の考え」と思っていたトーマスだったが、すでに彼の計り知れない「教養」に舌を巻いていた。
「貴方はなぜホークスハイム家がベル兄様を害するように依頼してきたか知っていますか?」
アルはトーマスにそう尋ねる。
昨日の襲撃はビクトル男爵家の「暗部」によるものだが、その裏には主家であるホークスハイム侯爵がいるのは目に見えていた。
「……ベル殿がホークスハイム侯爵の望んでいた『王女の婚約者』という地位を得てしまったからだと把握しているが?」
トーマスはホークスハイム侯爵がどのような意図で襲撃を命じたのかはまったく知らされていなかった。しかし、これまでの侯爵の動きから考えられる原因は「王女との婚約」だけだった。
しかし、アルはその答えに首を傾げる。
「それだけでそんな依頼を出すでしょうか?」
「……どういう事だ?」
アルの言葉にトーマスは目を細める。
「――最近、ホークスハイム侯爵が王都に入られたそうですね。王室の件で動いているとか。……また、嫡男であるジンクス殿まで王都へ向かっているのはどうしてでしょうか?」
トーマスはアルの出してきた情報に目を見開く。
ホークスハイム侯爵は確かに最近王都に滞在している。しかし、嫡男であるジンクスが王都へ向かっているという情報はまったく知らされていなかった。
「……そんな情報はこちらには入ってきていない」
トーマスはアルの出してきた情報がこちらに入って来ていない事を素直に話す。しかし、その心の中には主家への疑問が渦巻き始めていた。
「――では、なぜあなたが知らない情報をグランセル家が得ているのでしょうか」
確かにその通りだ。
今この状況でグランセル公爵側が嘘の情報をこちらに流しても意味がない。数日後にはその情報の真偽は明らかになるのだから。
つまり、主家であるホークスハイム侯爵側がビクトル男爵に何かを隠しているということだ。
そして、その情報をグランセル公爵側が把握している。
つまり……。
「――!?」
トーマスは一つの可能性に気が付く。
嫡男であるジンクスがグランセル公爵側に何かを働きかけたという可能性に。
そして、それはホークスハイム侯爵も知る所であり、侯爵にとってグランセル公爵次男のベルが邪魔な存在であるということ。
そして、ジンクスが第3王女に傾倒していたという事。
それらの情報から考えられるのは、王女をめぐる「決闘」。
「……少し時間をくれないか?」
情報を整理したいトーマスは、アルの提案への答えを待ってもらうようにお願いする。
本当にトーマスの考えが正しいならホークスハイム侯爵を探ることで簡単に分かることだ。そして、それが事実ならアルの提案を受け入れる必要が出てくる。
「えぇ、それに僕には何の決定権もありませんから。勿論、貴方の返答については僕からガンマ兄様に話を通しますが」
アルはトーマスの考えを察し、時間を与えることにする。
そして、グランセル公爵家の次期当主であるガンマに話を通すことを約束した。
「分かった。……ただ、一つだけ聞かせてくれ」
「――何でしょうか?」
「グランセル公爵家は、我がビクトル家を取り込んでどうするつもりなのだ?」
トーマスにはその事だけが気がかりだった。
この盤面において、グランセル公爵側が男爵家を抱える理由は見当たらない。あるとすれば、ホークスハイム侯爵側の戦力を削るかその内情を探るくらいだろう。
しかし、そうなると今回の件が終わればビクトル男爵家を抱えている理由がなくなってしまう。
「――とりあえず『暗殺』はやめさせます。『暗殺』は全く建設的ではありませんから。おそらくは情報収集や裏工作等の諜報活動を行わせるでしょうね」
アルは現当主であるレオナルドや次期当主ガンマの性格を考えてそう答える。正義感のつよいレオナルドやガンマが「暗殺」を是とするとは考えられない。
そうなると諜報活動を行うことになるだろう。
「……人権については?」
トーマスは男爵家の人権についてアルに尋ねる。
「父上のことはご存じでしょう? こちらに鞍替えすれば必ず庇護下に置き、無理な条件を突きつけることはしません」
アルには決定権はない。
そのため、レオナルドやガンマの性格を持ちだし、その対応について説明する。
「そうか……。後日、改めてそちらにお伺いするつもりだ」
トーマスはアルの言葉を受けてそう返答する。その顔には疑いなど全くなく、気持ちを固めた男の顔があるだけだった。
「よい返答をお待ちしてます」
そう言ってアルは部屋を後にする。部屋の中に残されたトーマスはその扉を長い時間眺めていた。
「――とんでもない傑物だな。アレと対峙するなど考えられない……」
そう言って自嘲気味に微笑むのだった。
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