62話 影と提案
老紳士なビクトル男爵家の執事ガルベスは、アルと自らが仕えているノーラを主人の元へと案内していた。
ガルベスは、ノーラに仕える執事という側面のほかに彼女が「一線」を越えないように監視する「監視役」としての二つの立場を主人から指示されていた。
ガルベスは「暗殺者」として自分の地位を確かなものにしていた。
当時はビクトル男爵家の暗部の「エース」として最前線で活躍していたが、執事として働く頃には最前線から退き、自分の持つ技術で若い「暗殺者」を育てる「暗部長」にまでのし上がっていた。
しかし、そんな彼がたった一人の少年に最上級の警戒を敷いている。
アルフォート・グランセル。
かの有名なグランセル公爵家の3男であり、ノーラの友人であるアリア・サントスと親しい間柄の少年だ。2つの魔法適性に「神童」という珍しい高位な称号を持つ。
しかし、実際に会った彼はそんな噂話ですら霞んでしまうような脅威を彼に覚えさせた。
今までありとあらゆる「強敵との対峙」や「危険な現場」をくぐり抜けてきた彼だが、その少年から感じ取った「脅威」はそれをはるかに超えるものだった。
ガルベスは、その少年の行動一つ一つを見逃さないように監視しつつ、主の元へ向かうのだった。
アルは、ガルベスに案内されながら男爵家の屋敷内を歩いている。
――凄く見られてるなぁ。
アルは自分を案内している老紳士からの刺すような視線を感じ取っていた。しかし、視線は彼の一つだけではない。
アルは従者たちが生活しているという別邸の方に視線を送る。すると、アルを監視する視線は一旦消え去り、アルが視線を元に戻すと再び監視の目がアルを捉える。
――確かビクトル男爵家の暗部は優秀って話だったけど。もしかして、僕のことを試しているのかな?
アルは予想以上に単純な監視をしてくる「暗部」の行動に、自分を試しているのではないかと感じる。しかし、アルの持つ感覚器官が異常に鋭いだけであり「暗部」の監視はこの世界でも最高峰のものだった。
アルは、別邸の方に無属性の魔力を放出する。
すると、監視を行っていた者たちは一瞬でその場を離れ監視から離脱する。ただの魔力を放出されただけで彼らはその少年の脅威を感じ取ったのだ。最高峰の「暗部」がただの魔力だけで。
しかし、当の本人は全く見当違いな考えを持つ。
――やっぱり試していたんだ。視線も無くなったし、認めてくれたってことかな?
アルのそんな考えをよそに、「暗部」の1人が主人の元へ走る。そして、「最大限の警戒をすべきである」という報告を持っていくのであった。
「ご主人様、お客人をご案内いたしました」
ガルベスは屋敷の3階最奥にある部屋の前に辿り着くと、中で待っている人物に向けてそう報告する。何の返答も返ってこなかったが、彼は扉を開いた。
そこには質素で必要最低限の家具だけが置かれた部屋が広がっていた。そして、奥にある書斎机には、眼鏡をかけたいかにも病弱そうな中年男性が座っていた。
「ご苦労だった。ガルベスとノーラは下がってよろしい」
げっそりとした印象のその男性は、ガルベスを労うと彼とノーラに部屋を出るように指示を出す。ガルベスはその男性の言葉に一礼して部屋を出ようとするが、ノーラは違った。
「……なんで私まで部屋を出そうとするの?」
少し不機嫌そうな顔でノーラは彼の言葉に真っ向から反抗する。すると、さっきまで威厳たっぷりだったその男性は一気に顔色を変える。
目を左右に泳がせ、困ったような視線をガルベスに送る。
「お嬢様、ご主人様には何かお考えがあるようです。……そうですよね?」
部屋を出ようとしていたガルベスだったが、主人の困った顔を見て二人の仲裁に入る。
「――そうだ! だから出ていなさい」
ガルベスの援護射撃もあって、彼は息を吹き返す。そしてさっきまでの様な威厳たっぷりの表情を浮かべてノーラにそう言い放つ。
「アル君はアリアの友達だから。何かあったら……」
ノーラはその後をあえて言葉にしない。しかし、その表情から何か握っている秘密でもありそうだった。
「――分かっている。彼には危害を加えないと約束しよう」
病弱そうなその男性はゴクリと喉を鳴らすと、ノーラにそう約束する。約束を聞いたノーラとガルベスは彼の言う通り部屋を出ていく。
部屋にはアルとその男性の二人しかいない。
「……自己紹介が遅れたな。私はトーマス・ビクトル男爵だ。アルフォート君、とりあえずそこの椅子に座りたまえ。」
トーマスは簡単な挨拶をすると、目の前に用意された椅子に座るようにアルを促す。しかし、アルはそこから動こうとはせず、トーマスの方を見続ける。
「――どうかしたのか?」
トーマスはアルの行動に目を細めてそう尋ねる。
「――いえ、影武者とのお話はできかねますね」
トーマスと名乗るその男性は肩をびくっと反応させる。すると、何の変哲もない本棚が動き出し隠し扉が現れた。そして、そこから一人の男性が出てくる。
「……君は本当に『勘』が鋭いようですね。いつからおかしいと思いましたか?」
そこから出てきたトーマスそっくりな外見の男性がアルにそう尋ねる。
「おかしいと思ったのはそこの男性に会う前ですね。ガルベスさんが扉の外から声をかけたにもかかわらず、中からの返答を待たずに部屋に入ったのは……少し変でしたね。そして、そこの男性が『影武者』だと判断したのはノーラさんとの会話です。挙動不審な点もそうですが、わざわざノーラさんを部屋から出そうとしたのも変なところでした」
アルは扉から出てきた男性にそう答える。彼は少し考えて、すぐに別の質問をアルに投げかける。
「――ふむ。彼女がまだ子供だから話を聞かせたくない、とか?」
ノーラはまだ12歳、今年13歳になる。まだ大人の世界を見せたくないという親心が働いたのではないか、という意見だ。
しかし、アルはノーラの反応を思い出してそれを否定する。
「ノーラさんの反応からそれはないと思います。彼女が疑問に思ったという事は、普段からこの手の話には同席しているという事でしょうから」
彼女は自分が部屋に残るのは当然だという風に振舞っていた。そして、わざわざ「危害を加えない」という約束をしてようやく部屋を出たのだ。
つまり、彼女は自分の親が何をしているのかをしっかりと理解しているし、それを踏まえたうえで釘を刺したのだ。そんな彼女に「大人の世界」を見せたくないというのは考えづらい。
「なるほど……、とても参考になりました。今後はそのように対応してくださいね?」
その男性は椅子に座っている「影武者」に一瞬視線を流し、そう伝える。
「――はい。そのように対応させていただきます」
影武者は椅子から立ってそう答えると、男性が出てきた隠し扉の中へ消えていく。そして、代わりにアルと話していた男性がその椅子に座する。
「君を試すような行為をして申し訳ない。私が本物のトーマス・ビクトルだ。これからよろしく」
その男性、トーマス・ビクトルはそう挨拶する。
「ええ。これから長い付き合いになるでしょうから」
アルはそう返答する。アルの返答にトーマスは片方の眉を少し上げる。
「――それはどういう意味かな?」
トーマスはアルの言葉の真意を問う。
「今回の件、……鞍替えするつもりはありませんか?」
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