46話 陰謀と亀裂
ベルが王都から離れて約一週間が経とうとしていた。
王都のグランセル公爵家の屋敷では、レオナルドと執事であるセバスが慌ただしく行動していた。
ベルの悪評に関しては、王家でも事態の収拾に動いているらしく、少しずつではあるが耳に入ってくることが減ってきていた。
しかしその反面、王家の婚約者選定の正当性が疑問視されるような忠言が王城へ送られるようになり、市井よりも政治的立場におけるベルへの批判は以前よりも強くなっていた。
「レオナルド様。頼まれていた資料ができました」
「ご苦労だったね、セバス」
レオナルドが頼んでいた資料を持ってセバスが部屋に入ってくる。目の下に刻みこまれた深いクマの跡は、セバスの疲労度を色濃く表している。
かくいうレオナルドも人のことを言えないほどやつれており、引きつった笑みを浮かべる主を見て、セバスも心配そうな表情を浮かべる。
「レオナルド様も少しお休みになってはいかがですか?」
「ははは……。わが子の窮地だからね」
「しかし、ここ最近まったくお休みになっておりません。レオナルド様がお倒れになられると、一体どなたがベル様をお助けできましょうか」
セバスの忠言に対して、レオナルドは引きつった笑みのまま沈黙する。ここ最近、連日の不眠不休な生活により、体力も気力も、底を尽きようとしていた。
しかし、わが子の窮地とあっては弱気になるわけにもいかない。魂の抜け落ちた死人が、奇跡の魔法で一時的に命を吹き返すような、そんな状態でレオナルドは運ばれてきた資料を読み漁る。主の無理な働きぶりに、セバスは心配で顔を曇らせつつ、同様に資料へ手を伸ばす。しかし、そこには彼らの望む内容など一つもありはしない。
「いくら探ってもホークスハイム侯爵は尻尾を出しませんね」
彼らが血眼になって読み漁っている資料は、ホークスハイム侯爵の直近の行動を書き記したものだった。しかし、そこには彼らが求めているような情報は一切と言っていいほど書き記されてはおらず、彼らの推論を決定づけるような証拠も何一つ見つからない。
連日読み続け、未だ何一つ手がかりを掴めていない。通常であれば、諦めて別の可能性を思案するところなのだろう。しかし、レオナルドの直感が他の可能性に蓋をしてしまう。
「……だが、現状を整理すると彼以外にあり得ないんだ。この出来事を通して唯一得をした人物は彼だからな」
何か追及できるような文言がないかと、レオナルドは資料に穴が開くほど鋭い眼光で資料の端々を探し続ける。
ベルの悪評が広がる速さが異常であったことから、誰かの介入があるのは確かだった。
そして、ベルの評判が下がることで得をするのは、第3王女の婚約者候補でベルの次に有力視されていたホークスハイム侯爵家だった。
また、ホークスハイム家にはこのような策略を企てる動機もしっかりと存在していたことから、レオナルドは彼らの策略だと予想し、こうして証拠となり得るものは無いかとを探し続けていたのだ。
「それに、国王とも何やら交渉をしているようだ。おそらくは誰かほかの王女との婚約でも取り付けようとしているのだろう」
レオナルドは、すでに王家から手紙が送られているということも察知していた。
この情報が、ベルの一件に関係しているのかは分からない。しかし、もしベルの件に彼等が関与しているのであれば、ホークスハイム侯爵の企てはまだ終わっていないということになる。
「やはり、ベル自身の奮起に期待するしか……」
レオナルドは眉間に深い皺を刻み込む。
レオナルドも持ち得る伝手を最大限活用し、ホークスハイム侯爵家の動向を探ってきた。そして、思いつくことをほとんど全てやりつくしていた。しかし、ホークスハイム侯爵の尻尾をつかむことはできていない。こうなると、第三者の助言など一切の効力を持たない。当事者であるベルが何かしらの行動を起こすことは最重要であるのだ。
息子のためだ、とできることはやってあげたい。しかし、ベルの奮起に期待するしかできない自分の非力さに、レオナルドの心身は苛まれる。
レオナルドは息子の無事を祈り、奮起を期待しつつも、まだ何かできるはずだと頭を動かし続けていた。
◇
「──父上! 話が違うではありませんか!!」
ホークスハイム侯爵家に怒号が響く。少しふくよかな体型の青年が同じような体型をしている父親に怒りを隠すことなく詰め寄る。
第3王女との婚約話について、父親であるホークスハイム侯爵が仲を取り持ち、必ず婚約者に内定させるという約束だった。意中の相手である第3王女との婚約話に舞い上がっていた彼は、父親の話を疑うことなく鵜呑みにしていた。そこに、今回の件だ。
「うるさい!! お前は私の言う通りに行動すればいいのだ!」
大まかな大勢はホークスハイム侯爵の思惑通り進んでいたが、ここにきて息子から声があがった。
自分のことで精一杯だったホークスハイム侯爵は息子の教育には無頓着だった。そのため、長男はかなりわがままに成長していた。
「第3王女との婚約を取り付けるとお約束したはずです! それなのに……。なぜ第5王女との婚約という話になっているのですか!!」
第3王女の婚約者選定の正当性を指摘し続けていたホークスハイム侯爵は、すでに第5王女への婚約者筆頭として長男を推挙していた。
ベルの一件で優位性を得た侯爵の要求は十中八九通るだろう。そうなれば、第3王女とまではいかないが、王家との関係を築けるという利益を生むことができる。
しかし、侯爵の息子はそれを是としなかった。
自由奔放に育ったゆえに、自らの要求が満たされていないことへの不満が募らせる。
また、先代の失敗についてそこまで重要視していなかったのも、彼が王家との関係を築くことの重要性に気付けていない一因だった。
つまり、教育に関して無頓着だったホークスハイム侯爵自身の失敗ともいえた。しかし、侯爵は自らの失敗に関して自覚しておらず、息子の言動に苛立ちすら覚えていた。
「ふん。お前に魅力があればこのような搦手を行う必要はなかったのだ。私ではなく己の未熟さを恨むのだな!」
ホークスハイム侯爵は、そう言い残して息子の前から立ち去る。彼は、睨みつけながらその後ろ姿を見送る。
しかし、彼の怒りは消えない。
「……約束を破るとは。父上と言えど許せない!」
彼はそう呟く。そして、怒りに満ちた顔のまま自室へ戻っていったのだった。
まさか、この出来事がホークスハイム侯爵家の未来を大きく変えるとは、誰も予想だにしなかった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回は、サブストーリーのような展開を書かせてもらいました。ベルの一件をめぐり、周囲の様々な影響があることでしょう。
ベルの無事を祈りましょう。