45話 陰謀と信頼
ベルが屋敷に帰ってくる少し前、アルの部屋に一人の訪問者がやってきていた。
「ベルに自領へ帰ってくるよう提案したのは、アルで間違いないね?」
普段温和なガンマの、珍しく鋭い視線がアルに向けられる。
ベルからの手紙についてはガンマに知らされていなかったのだが、ガンマ自身がそのような助言をしていないという事実と、ベルがアルに対して信頼を置いているという現状からそのように結論付けたのだろう。
「はい。僕がベル兄様を呼びました」
アルの回答に、ガンマは微かに眉を顰める。アルの提案であることは想像どおりだったはずだが、予想以上に簡単に答えるアルの本心が読めないでいた。
一旦、王都を離れるという選択肢は正しい。しかし、どうしてわざわざ敵の多いグランセル公爵領に、それもこんなタイミングで呼びつけたのか、それがガンマには理解できなかった。
「……確かに、ベルは一度王都を離れるべきかもしれないけど、どうしてこのタイミングで?」
「それは……ベル兄様が来てからお見せしようと思っていたんですが、ガンマ兄様には先に見てもらったほうがいいですね」
アルはそう言って、机に出しておいた資料をガンマに手渡す。
ガンマはアルから手渡されたそう資料に目を通す。そして、目を細めて資料を凝視した。
「これは……! ここに書かれているのは事実かい?」
「はい。サルーノさんとギリス先生に頼んで調べてもらったので」
資料には、ベルの悪評に関してガンマにとって予想だにしない情報が記載されていた。
そして、最近規模を拡大させ勢いをつけてきているサルーノ商会とアルの家庭教師をしている学者ギリスによる調査ということで、両者の優秀さを知るガンマにとって、この資料の信憑性の高さはかなりのものであると想像に難くない。
「そうなると……もう手の施しようがなさそうだけど」
「いえ、そんなことはありません」
アルはガンマの考えを真っ向から否定する。
アルのなかでは、無数に広がる選択肢が一本の本筋に収束しはじめ、解決への糸口を決して逃さないよう、しっかりと握り締めていた。
◇
「アル様、ニーナです。……ベル様をお連れしました」
「どうぞ」
アルが了承すると扉が開かれて、ニーナとベル、クランの三人がアルの部屋に入ってくる。
「ベル……大変だったね」
ガンマはひどくやつれてしまっているベルを視界に捉えると、悲しい微笑みをベルに向けてそう労う。
「いえ、俺の普段の行いが悪いせいですし……」
顔色も悪く、深い心労からか普段のベルから感じ取られた自尊心は影を潜めていた。
しかし、そこには自尊心というベールを脱ぎ棄てて、新たに変わろうと決心した男の姿があった。
「では、話を進めさせてもらいますね」
ベルとクランを部屋に連れてきたニーナだけが部屋を出ていき、ここにはアルとガンマ、ベル、クランの四人がいた。
まず、アルは自分の机に置いていた資料を二人へ手渡す。
「ガンマ兄様にはお先にお渡ししましたが、ベル兄様とクランさんもこれを読んでください」
アルから手渡された資料に目を通した二人は、ガンマと同様、驚愕の視線をアルに向ける。
「これは!? ベル様の悪評は、ホークスハイム侯爵が裏で糸を引いていたというわけですか?」
「はい。侯爵の長男は第3王女の婚約者の候補に入っていました。おそらく、それが原因だと思います」
第3王女の婚約者候補のなかには、ベル以外に二名の人物がいた。
ホークスハイム侯爵の長男はそのなかの一人で、ベルさえいなければ彼が婚約者になるはずだったのだ。
「しかし、侯爵の意図が読めないね。ベルの悪評が流れても婚約者の立場を失わせることまでは不可能だろう」
「えぇ。悪評が流れてもベル様のお立場に大きな変化があるとは思えません」
ガンマとクランは、ホークスハイム侯爵がどうしてそのような行動に出たのかについて様々な可能性に思考を巡らせる。
確かに、根も葉もない悪評が流れたぐらいで正式発表されているベルの婚約話が白紙に戻るということはないだろう。
「兄様たちの仰る通りです。侯爵の狙いは、候補者選定の正当性を追求することだと思います」
「なるほど。ホークスハイム侯爵は少し落ち目の貴族家だからね。そんな策略を立てていても何らおかしくない」
先代のホークハイム侯爵家は「魔の森」の利権化に失敗した。
その行動は、勇者ユリウスを尊敬するアイザック王国の伝統を汚す行為として国中の批判を受けることになり、現ホークスハイム侯爵はその失敗を払拭しようと企んでいた。
「待ってください! では、婚約者がご子息に決定した場合はどう行動したというのですか?」
「それはそれでいいんです。現王から寵愛されている第3王女を手に入れれば、重役へ取り立てられるのは目に見えています。先代の失敗も帳消しにできると踏んでいたのでしょう」
現王の寵愛を受けている第3王女という大きな駒を手にすれば、自身の立身出世は勿論、補助金という形で金銭的な利益を得ることもできるだろう。
そして、それは今すぐにでも目に見える手柄を立てたいホークスハイム侯爵家にとって、王女との結婚は美味しい話であることは容易に想像できる。
しかし、それだけではない。
ホークスハイム侯爵家は、婚約者の話が上手くいかなくてもいいように策略を巡らせていた。
ベルの自領での評判があまりよくないことは周知の事実だ。
そして、その下地を最大限利用して根も葉もない悪評を国中に広げていったのだ。そうすることで、婚約者選定の正当性を王家に追及することができ、事を優位に運べると考えたのだろう。
しかし、アルはホークスハイム侯爵の策略がまだ終わっていないことを理解していた。
「……悪評がこれほど早く国中に流れたのも、侯爵が裏で糸を引いていたと考えると納得できるね」
「えぇ、侯爵自身も劣勢であることは理解していたでしょうからね。ベル兄様に婚約者の立場を奪われてもいいよう事前に周到な準備をしていたのでしょう」
ベルが第3王女と仲がいいことを知っている者からすれば、最有力候補が誰なのかは火を見るより明らかだっただろう。そうなるとホークスハイム侯爵はかなりの準備期間があったはずだ。
「確かに筋は通っています。しかし、この資料の信憑性は確かなのでしょうか?」
アルとガンマの推理を聞いていたクランは、資料の信憑性について尋ねる。クランの言う通りこの資料が正しくなければこれまでの話は机上の空論に過ぎない。
アルは別の資料を三人に手渡す。
「サルーノ商会に依頼して調べてもらった資料です。侯爵はここ一か月で色々な貴族家に接触しています。……それも、自らの足で各地へ赴いて」
アルが手渡した資料にはホークスハイム侯爵の行動が詳細に書かれていた。そして、アルはまた違う資料を三人の前に提示する。
「こっちの資料には、その時に侯爵が土産として送った品物の詳細です」
「これはどのようにして仕入れた情報なのですか?」
貴族家に贈った品物についての資料に目を通したクランがアルにそう尋ねる。
日ごろから情報収集をすることが多いクランは、この資料の異常性をよく理解していた。
「サルーノ商会に依頼して、侯爵の利用している商会に接触してもらいました。……少し情報を交換するだけで何故かこの情報を教えていただけたそうですよ」
アルの言う「情報交換」がただの「情報交換」ではないことをここにいる人間は理解していた。そのため、クランもそれ以上追及することはなかった。
「……確かに、この情報を見れば侯爵が高価な品物を各地に贈り回っていると分かるね。そして、その異常さも」
「えぇ。まず間違いなくベル様の悪評を流しているのはホークスハイム侯爵でしょう」
ガンマとクランは、手渡された資料の正当性を理解したのか、アルの推理を素直に受け入れる。まだ、突っ込む点もいくつかあるのだが、すでにアルのなかでは調べがついていたことだった。
「アル……」
ここまで話に入ってこなかったベルがアルの名前を呼ぶ。
彼の顔には、自分を陥れようとする存在への悔しさと、その根本的な原因が自分にあることへの情けなさの二つの感情が共存していた。
ベルはその後に何かを付け足そうとするが、その口から言葉が出てこない。アルは、ベルの言葉を待たずに話を続ける。
「ここからは、ベル兄様次第です。この情報を王宮へ提出すればそれなりの証拠として重宝はされると思います。しかし、それではこれ以上侯爵を追及することはできません」
普通に考えればそうだろう。
確かに、こんなタイミングでおかしな行動をしているという事は指摘できるだろう。しかし、侯爵側がすべて否定し、何か行動を起こさないとも限らない。
少し沈黙を続けたベルだったが、意を決したようにアルに視線を向ける。その視線には彼の強い意志が込められているように感じた。
「俺はお前を信じてここへ来た」
ベルらしくない、純粋な信頼。
部屋の中にいた皆がその言葉に一瞬声を失った。誰に対しても絶対的な信頼を置かない、閉鎖的な関係性しか築いてこなかったベルが、初めて誰かを頼ったのだ。しかも、その相手が実の弟である。
アルはベルの答えを聞き、優しく微笑む。
「……分かりました。ただ、僕の提案は一つの案として考えてください。そして、ここからの選択はベル兄様自身で決めてくださいね!」
「ああ!」
アルの言葉にベルは力強く返答した。
「──何!? 王宮から知らせが届いただと?」
ホークスハイム侯爵家に当主の大声が響き渡る。
王家からの手紙を運んできた執事は、唐突な大声に驚きを隠せないでいた。それ故に、手紙を手渡した後も当主の部屋からでることはなく、その場で控えるという行動をとった。
本来なら、そこまでおかしな行動というわけではなかったが、侯爵は重要機密である情報が漏れる可能性を少しでも取り除きたかった。
そのため、執事が部屋のなかで控えているという状況を是としなかった。
「何をしておる! お前は出ておれ!!」
ホークスハイム侯爵は手紙を彼の自室まで届けてきた執事にそう怒鳴りつける。執事は焦って一礼をして部屋から飛び出ていく。
ホークスハイム侯爵は執事が出ていった扉を少しの間睨みつけていたが、すぐにその視線を手紙に移す。
おそらく、いや十中八九、王女の婚約話の件だろうと彼は予想していた。いずれ、手紙か何かで知らせが来るであろうことは予想していたことだが、彼が思っていたよりも展開が早かったことで完全に気を抜いていた。
侯爵は荒々しく手紙の封を開ける。そして手紙に書かれている文言を素早く読み流し、口元にいやらしい笑みを浮かべた。
「なるほど……、全ては私の思惑通りということか!」
侯爵は自らの望んだ展開でことが進んでいることに喜びを隠せなかった。それほどに手紙の内容は侯爵にとって望ましい内容だったのだ。
しかし、侯爵は知らなかった。自らの預かり知らぬ脅威が、陥れようと画策している側に潜んでいたことに。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回、いつもより長い話になってしまいました。区切ろうかとも思ったんですが、一気に見た方が楽しそうだったので。