36話 五年越しの思い
「そうだけど。君は確か給仕係の?」
アルの問いかけにクルーンは肯定しつつそう尋ねてくる。確かに、さっきこの人にも飲み物を入れた記憶がある。
「──いえ。申し遅れましたが、僕はグランセル公爵家3男のアルフォートです。訳あって今日は給仕をしておりました」
グランセル公爵家と聞き、クルーンは一瞬体を震わせる。そして、さっきまで見せていた余裕そうな面持ちは消え失せ、顔色はどんどん青白くなっていく。
「……そう、でしたか。あぁ、そういえば、マリー様に呼ばれていたことをすっかり忘れておりました。すぐに向かわなければなりませんので、私はこれで失礼させてもらいます」
クルーンは早口にそう言うと、すぐにその場を離れようとする。アルも彼を引き留めようとは思っていないが、一言だけ彼に伝える。
「あまり、浮名を流すのはやめられたほうがいいですよ。……取り返しがつかなくなりますから」
◇
クルーンのステータスを鑑定した時、スキル欄に「口説き」や「性交渉」のスキルが生えていた。今までこのスキルが生えている人を見たことがなかったので、我を忘れて声をかけてしまったのだ。
マリーさんにバレてないかな……。
アルは恐る恐るマリーの方を見る。すると、ばっちりと目が合った。
後が怖いが、ただ、今はそれどころではない。
「アル様……。お久しぶりです」
「ええ。お久しぶりですね」
アルとアリアは実に5年ぶりの会話をする。
「「…………」」
しかし、二人の間に会話はなく、重々しい空気が立ち込める。
これではいけないと思い、アルは会話のきっかけを考える。確か、さっき使用人の人が……。
「庭」
「え……?」
アルのつぶやきにアリアが反応する。アルが何を言ったのかは聞き取れなかったらしく、彼女の素の反応だっただろう。アルはふるふると首を振る。
「屋敷の庭、手入れをされているそうですね」
アルはさっき使用人に聞いた話をアリアに聞く。アリアは「えぇ」と少し下を向きながら答える。その姿は5年前のそれと変わらない。
「とても綺麗な庭でした。我が家の庭は世界一だと思っていましたが、あなたの庭はそれ以上に魅力的だと思います」
アルはアリアにそう伝える。どうしてアリアが庭の手入れを始めたのか、アルは全く理解していない。しかし、アリアにとってその言葉は何よりも嬉しく、何よりも自信となる言葉だった。
「はい……。ありがとうございます!」
アリアの目には涙がたまっていたが、アルはその涙の理由に気付くことはなかった。
◇
「貴方、約束破ったわね?」
パーティーが終わると、そのままの衣装でマリーはアルの元へやって来た。アリアのことで少し忘れかけていたが、そういえばそんな約束をしていた。
「そうですね」
ただ、反省するつもりはない。おそらく彼女の目的は達成されているだろうからだ。
「ふふっ。反省するつもりはないって顔ね」
「ええ。貴女の目論み通りでしたからね」
彼女はあの現場をずっと監視していただろう。それなのに手を出さなかったのは、アルに動いてもらうため。そして、その思惑通りアルは行動を起こした。
「賢い子は嫌いじゃないわ。でも、次にあの子を泣かせたら……」
「申し訳ありませんが貴女の要望には添えません」
アルは、マリーの言葉を遮るようにそう言った。これはアルの本心からの言葉だった。
「そう……。わかったわ」
マリーはあっさりと引き下がる。
「あの子には──」
「もう伝えています」
マリーはそれ以上何も聞いてくることはなく、「そう……」とつぶやいて部屋を出ていった。
マリーが向かったのは妹の部屋だった。いつもはノックもせずに入るのだが、今日は扉をノックする。
「どうぞ……」
部屋からアリアの声が聞こえる。その声からは彼女の心情までは読み取ることができない。
マリーはゆっくり扉を開く。部屋のなかは、彼女の机に置かれている間接照明の光だけで、少し薄暗かった。
「お姉様でしたか」
部屋に入ってきた人物を見て、アリアは優しく笑う。そして、部屋の窓のから見える庭に視線を戻す。おそらくパーティーが終わってからずっと見続けているのだろう。
「アル様を呼んだの、お姉様ですよね?」
視線は庭に注がれたまま、アリアはそう尋ねる。彼女の雰囲気から察するにいい返事だったとは思えない。
「ええ」
マリーは彼女の気持ちを探りながら、そう答える。
「やっぱりそうですよね」
マリーは「どうだったの?」と聞きたい衝動を何とか抑え込む。あの表情からいい返事がもらえたとはどうしても思えなかった。しかし、彼女の表情には絶望だけではないように思えた。
「お姉様が5年前に言ってくれた言葉。覚えてます?」
「ええ。覚えているわ」
5年前、アリアに言った「理解するために努力をする」という言葉。おそらくあの言葉をさしているのだろう。
「あの言葉、本当でした。私、アル様のことを何も知らなかったんです。だから、庭を手入れしてアル様がどんな感性を持っているのか、知りたいと思っていました」
アリアは重たそうに瞼を閉じる。彼女の瞼の裏にはどんな景色が広がっているのか、マリーには全く想像がつかない。アリアと10年ちかく一緒にいたのに。
「アル様、綺麗なお庭だって言ってくれました。私、その言葉を聞いてとてもうれしかったんです。でも、分かったんです。まだまだ知らないことばかりだって」
アリアは喉に何かが詰まったように言葉を留める。そして、それは詮を外してあふれ出る。
「アル様、今は私と結婚する気はないそうです」
やっぱりそうか。
それがマリーの感想だった。アルの口ぶり、アリアの態度を見ていれば何となく分かっていた。しかし、アリアの言葉は続く。
「でも、『またお庭を見せてもらってもいいですか?』って」
アリアは微笑んでいた。
細く頼りないが、確かに一本の細い糸がアリアには見えていた。そして、その糸が切れてしまわないように、見失わないように必死に握りしめていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
アルとアリアの関係はこれからも続いていきそうですね。アルは、彼女に歩み寄ることを決意してみたいです。
そして、マリーの言葉は本当でしたね。
「理解するために努力する。」
なかなかできることではありません。