32話 家庭教師
「──来月からアルに家庭教師をつけようと思う」
晩餐の席でレオナルドがそう話を切り出す。
8歳と言うと平民なら学園に通っている年齢だ。例外として、貴族のなかでもベルの様に8歳から学園に通う子供もいるそうだが。
「アルに家庭教師……。必要あるのですか?」
ガンマはレオナルドの決定に首を傾ける。
アルは既にガンマと同等の知識を有していた。分野によってはガンマ以上に精通しているところもあり、そんなアルに家庭教師をつけることに疑問を覚えたのだ。
「まぁ、必要ないでしょうね。ただ、この子は普通の子より常識外れな行動が目立ちすぎますからね……」
母であるミリアはわが子の優秀さは嫌というほど理解している。
しかしその反面、アルの常識はずれな行動に心配もしているようで、レオナルドの提案には賛成のようだ。
「それは……。確かにそうですね」
ガンマもミリアの言葉には同感だ。
ガンマに関しては魔道具の件も知っているため、ミリア以上にアルの常識はずれな部分を理解している。
「僕も家庭教師の方に教えてもらいたいことがたくさんあります!」
アルも家庭教師が来ることについては大歓迎だった。
「じゃあ、そのように手配しておくから。……くれぐれも先生を困らせないようにね?」
レオナルドはニコニコしているアルにそう釘をさす。
「分かりました!」と返答するアルだったが、内心では何を質問しようかと考えており、頭の中で「質問リスト」を作成していた。
この1ヶ月はかなり長く感じた。
魔法と剣術の訓練はそこそこにして、書庫に籠って本を読み漁っては、疑問点を洗い出して記憶する。
そんな日常を1ヶ月ほど続けた。
質問の準備はバッチリ。
あとは、今月来るという家庭教師を待つのみだ。
当日アルの部屋にやって来たのは、片眼鏡をかけ病的なまでにやせこけた男性だった。
服装はいかにも紳士らしい格好だが、目には生気がなくどことなく無気力な印象を受ける。
「アルフォート様。お初にお目にかかります。私は家庭教師としてやってきました、ギリスと申します」
ギリスは部屋に入るとすぐに挨拶をする。
格好通りの紳士的な振舞いに、この人が貴族であると確信する。家庭教師としてやってくる人物の経歴などは、レオナルドがなぜか教えてくれなかったので詳しくは分かっていない。
「ギリス先生、これからよろしくお願いします! 僕のことはアルとお呼びください」
アルもギリスにしっかりとした礼を尽くす。
王族でもない限りは、グランセル公爵家と同等かそれ以下の家格であることは間違いない。
そのため、アルの心証を悪くすることは極力避けたいと考えての行動だろうが、アルからすると年上の、それもこれから物事を教えてもらおうとする相手から下手に出られるとやりづらい。
「……では、アルフォート君と呼びます」
少し考えて、ギリスは君付けで行くことを決めた。
おそらく、家庭教師とその生徒という関係と家格の関係とを瞬時に天秤にかけての判断だろう。
「事前に聞いている話ですと、読み書きや算術は既に会得しているとのことでしたが……」
アルはギリスの言葉に首を縦に振る。
読み書きは2歳になる時にはマスターしているし、算術に関しては前世の記憶から引き出せば、この世界の算術の概念を大きく変えかねないほどの知識を要している。
「そうですか……。では、一応現在の知識を把握するために簡単なテストを行います」
そう言うと、ギリスは2,3枚の紙を机に出す。そこにはびっしりと字が書かれていた。
「まずは、その問題を解いてください」
問題はそこまで難しいものではなかった。
幾つか気になる問題もあったが、順調に解き進めていく。
時間にして大体20分くらいで、アルは出された問題をすべて解き終わり、後ろからその風景を見ていたであろうギリスの方を向く。
「……貴方の学力は大体理解できました。明日からは貴方の学力に合わせた学習をしていきます」
ギリスはアルの答案を回収し、そう言い残すと部屋を出ていった。
あれ、今日の授業おしまい?
取り残されたアルは茫然としながら、ギリスが出ていった扉を眺めていた。
「……なんだ、あの子は」
ギリスは用意されている自分の部屋で、さっきアルに渡した問題を見返しながらそう呟く。
今日は初めての授業という事で、もともとこの問題を解かせた後に間違いを指摘して終わるつもりだった。
しかし、一つの間違いも見つけられない。
「そんなはずはない。だって、これは……」
アルに渡した問題のなかには、学園の卒業問題もいくつか混ぜていたのだ。
普通なら18歳の青年が卒業問題として解くはずのものだ。それを、いとも簡単に8歳の子供が解いてしまったのだ。
確かに家庭教師を引き受けた時、父親であるレオナルドから「優秀な子供」であることは聞かされていた。
事前に聞いていた話では、「神童」の称号を持ち幼いころから読書を趣味とするような変わった子供であるということだった。
ただ、ギリスは家庭教師として何人もの子供に学問を教えてきたが、親の言うことは半分程度に聞いておくのが正解だと考えていた。
親は我が子可愛さに盲目的になることが多く、家庭教師として期待して教えに行ったもののその期待が裏切られることは沢山あった。
今度もその類なのだろう。
ギリスは少し憂鬱な面持ちでグランセル公爵家へ来たのだ。
しかし、ギリスが今まで築き上げてきた常識が、今目の前で崩れ落ちた。
部屋に入った時から、その子供に多少の違和感は覚えていた。
ギリスは男爵の息子でありながら、次男ということで家督を継ぐことはできなかった。
そのため、学問に力を注ぎ学者として身を立てることにしたのだ。しかし、学者になっても家格の差が嫌でも横たわる。
そんな環境に嫌気がさし、ギリスは家庭教師として未来のある子供たちの教育を行うことに決めたのだ。
家庭教師として10年。貴族の子息を中心に様々な子供相手に学問を教えてきた。
しかし、目の前で礼を尽くすその少年ほど完璧なものを見たことはない。
公爵家の子供ということもあり、礼節については厳しい教育をされているのだろう。
ギリスはそう受け取り、すぐに問題を解かせることにする。
貴族家の子供のなかでは、8歳時点で読み書き、算術がほとんどできない子供もたくさんいるのだが、この子はすらすらと問題を解いている。
公爵家の教育は素晴らしいのだな。
ギリスはその少年が問題を解く姿を見ながらそんな感想を抱いた。これなら自分が教えなくてもいいのではないか、とさえ思った。
少年は1枚、2枚と問題を解き終える。
8歳児としては驚異的なスピードだ。しかし、ここまでは初歩的な問題ばかりなので、しっかりと理解していれば誰でもそれなりの速度で解き進められる。
しかし、そこからが異常だった。
3枚目は、1枚目と2枚目とは違い記述問題が出題されている。
それは学園卒業問題のなかからの出題で8歳児の思考能力では到底解きようがない問題だ。
少年も問題を目の前にして、さっきまで動き続けていた筆が止まる。
8歳児としては十分すぎる学力は持っているな。
ギリスはそんな感想を抱いていると、再度筆の音が聞こえ始める。あの問題に挑戦するとは、見上げた向上心だと心の中で少年への尊敬が芽生える。
しかし、目の前の光景にギリスは茫然とする。
合っている。
少年はその問題をちゃんと解いていた。そして、すべての問題を解き終えた少年は私の方を純粋な瞳で見上げる。
この子は、10年に1人……いや、100年に1人……。
──もしかすると、3000年に1人の逸材なのでは?
ギリスは目の前の少年に尊敬の念を強めたのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
2章になって、新たな登場人物がたくさん登場してきています。できるだけ会話部分で区別できるように特徴を出していきたいのですが……。
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