183話 実験と協力
「……ベル・グランセルです」
たった一言の挨拶の後、部屋の中には重い沈黙が訪れる。
「銀髪の英雄」と二人の王族。それも同腹の姉妹だけあって容姿は非常に似通っており、仲間外れにされたかのようにルージュは自らの赤い髪の毛にゆっくりと触れる。ただでさえ珍しい銀髪がこの部屋には三人もいるのだ、何となく場には緊張感が張り詰めていた。
しかし、その緊張感を全く感じていないたった一人の人物は、先の非常に短い挨拶に、くすくすと小さな笑い声を漏らす。
「もう、せっかくセレーナが来てくれたっていうのに、そんな仏頂面な挨拶はないですわ」
綺麗な表情は柔らかく、初めて見る姉の心の底からの微笑みは、第6王女セレーナでさえも魅了されそうになるほどに美しかった。しかし、目の前の「銀髪の英雄」は彼女の綺麗な微笑みを見ようとはせず、相変わらずの仏頂面をセレーナたちに向ける。
第3王女のラウラは、ベルのそんな様子を楽しそうに見つめた後、小さく咳ばらいをして自らの妹へと視線を移す。
「セレーナ、よく来ましたね。それで、陛下はお元気かしら」
「えぇ、陛下はお元気です。お兄様の死で少しふさぎ込み気味ではありますけど」
「そうなの。まぁ、元気にしているならいいのですわ」
ラウラは少し安堵の表情を浮かべる。
ラウラとて、元王太子である第1王子の死が、王にとってどれだけ大きな心痛なのかを察していた。そして、そんな時世であるにもかかわらず自分は好きな人の傍におり、父親である国王陛下の傍にいられないふがいなさも感じていた。
だからこそ、セレーナの言葉は少しではあるがラウラの心を軽くしたのだ。
そこからは姉妹の会話が続いた。基本的にはラウラが質問し、それに対してセレーナが回答するという形式だったが、大体30分程度話してその場はお開きとなったりそうだった。
「……あの、例の件は?」
ちょうどお開きになろうかという時、ルージュは小さな声でセレーナにそう尋ねる。ルージュの言う「例の件」とは、セレーナたちがここライゼルハークを訪れた真の目的である王位継承騒動におけるベルへの協力要請だ。表向きの目的としてはライゼルハーク近くにある「魔の森」で強力な魔物が発生する原因を突き止めることなのだが、それはセレーナたちからすればライエルハークを訪れる建前以外の何物でもなかった。
セレーナはちらっとベルのほうへと視線を向ける。
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ベル・グランセル(27)
種族:人間
称号:グランセル侯爵家当主 元宮廷魔術師 英雄
HP:1,800/1,800
MP:6,000/6,000(上限)
魔法適性:火・風・闇
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ぱっと見ただけでもその強さが分かる。
一番に目立つのはやはり魔法適正の数だが、称号欄にある「英雄」の文字。そして高いMP量といい相当な強さを有している。もちろん、アルやセレーナほどではないが、ベルとて十分「最強」の部類に入るだろう。
セレーナの顔にベルの鋭い視線がぶつかる。噂に聞いた通りベルは気難しい性格で、噂にたがわない実力者のようだ。セレーナは目を細めてルージュの耳元に顔を近づける。
「……それはまだ。ここには一か月以上滞在する予定だから、できるだけ親密になってからでないとこちらの話を聞いてくれるとは──」
セレーナの言葉を遮るように、がたっという大きな音とともに突然ベルが立ち上がる。そして、ベルは勢いよく首を右へ左へ振りながら、何かを探すように視線を部屋中に向かわせる。
「──アル?! アルなのか?!」
大きな声で、ベルははっきりとそう言う。つられて部屋の中にいる誰もが首を振って部屋中を探す。
アルは今、交換留学生としてツーベルグ魔法王国へと向かっている道中だ。もうすでに王国を出て、あと一か月もせずに魔法王国へとたどり着くだろう。つまり、この場にアルがいるなど考えられなかった。
皆の視線がゆっくりとベルのほうへと向かう。ベルは自らに向けられた奇異の目を感じつつ、無言で椅子に腰を下ろす。
「どうかなさいましたか?」
「んんっ、何でもない。すまないが急用ができた。後は……」
「私がご案内いたします」
ベルの不可解な行動に怪訝な表情を浮かべたセレーナは、彼の顔色を注視しつつ「何かあったか」と尋ねるが、ベルはまるで何もなかったかのように憮然とした表情を浮かべていた。そして、ベルの言葉を引き継ぐように、使用人のウィルがセレーナたちの案内を名乗り出た。彼の申し出に、ベルは「あぁ、頼んだ」と後のことをウィルに頼む。
はっきり言って、さきのベルの行動は不可解すぎる。
そもそも、どうして突然あの場にいなかった「アル」の名前が出るのか。そして、急用と言いセレーナたちを遠ざけようとする言動。何かあるとしか思えない。
しかし、この場でそれを指摘することはできない。
セレーナは、そのことに何ら疑問を持たなかった風を装い、使用人のウィルの後を追うように部屋を出る。ルージュも、セレーナの反応に一瞬不思議そうな顔でセレーナとベルとを交互に見やり、すぐに彼女の後を追う。
先に廊下に出たセレーナは、背後からルージュが追い付いたのを気配で察知し、小さな声を漏らす。
「……さっき、『アル』って言ってたわよね?」
「え、えぇ、私にもそう聞こえましたけど」
ルージュもはっきりと「アル」という名前を聞き取れていた。おそらく、そのために部屋から出てくるタイミングが少し遅れたのだろう。
もちろん、あの場にアルはいなかった。それもそのはず、アルは交換留学生として二か月も前に王都を出発しており、今頃はこの国を出てそろそろツーベルグ魔法王国にたどり着こうとしているはずなのだから。
「もう一つ、確かめないといけないことが増えたわ」
セレーナは、後ろを追ってきているルージュだけでなく、自分自身へ言い聞かせるようにそうつぶやく。
ベル・グランセル侯爵の協力は、オリオール伯爵家を抱き込んだ第2王子マリウスに対抗するためには絶対に必要なピースだ。ベルの協力を得られるか得られないかでは、状況は大きく変わってくる。それだけ今回の件は大きなものだ。
しかし、それだけに慎重に慎重を期さなければならない。
重要なピースである分、セレーナが絶対に信頼できるものでなければならないのだ。もし、内々に取り込んだ後に何らかの問題が生じた場合、そこには取り返しのつかないほどの大きな穴が生じてしまう。
セレーナは考えを巡らせつつ、これからの行動について練り直していた。
◇
誰もいなくなった部屋の中で、ベルはただ黙って椅子に座っていた。人の気配がなくなったと、彼の特殊な目が教えてくれたところで、ベルは項垂れるように背もたれに体を預ける。
「──行ったか」
≪いきなりのことで、すみません≫
ベルの脳内に、アルの声が響く。
ベルにとってそれは突然のことで、さっきはセレーナたちの前で取り乱してしまったわけだが、脳内に響く声がアルのものだったため、彼の到底信じられないような説明も、すんなりと頭に入っていた。
セレーナたちが出ていくまで、ベルは脳内に響くアルの言葉に耳を傾けていた。いや、脳内に響いているのだから脳を傾けていたと表現するほうが正しいのだろうか。
アルが行ったのは、古代魔法の「念話」というものだ。当然、ベルにもその存在は伝わっていない。しかし、アルがやることだから、いかに現実離れしていてもベルが疑ってかかることはない。
≪それはいいんだ。それより、これは一体≫
≪今、僕はラヴァレス村という場所に滞在しているのですが、そこでこの魔法書を読ませてもらったのです≫
≪なるほど、実験か≫
ベルは納得したような、それでいて少し残念そうにそう頭の中でつぶやく。
アルが説明するに、古代魔法の「念話」は発動者に光と闇の2属性への適性が必要であり、なおかつ魔法の受け取り側にも光若しくは闇のいずれかに適性が必要であるらしい。この条件に合致していて、かつアルの異常性を知っている人物となると、そんな人物はたった一人しかいない。
≪それより、ベル兄様のMP消費はどうですか?≫
アルの問いかけを受けて、ベルは自らのステータスを出現させてMP量を確認する。最大値まであったMPは少しだけ減少している。いや、今もなお減少は止まっておらず、魔法発動時に決まった分の魔力が行使される類の魔法ではないようで、おそらく時間の経過によって使用する魔力が変わるのだろう。
≪漸減している、といったところだな≫
≪なるほど。受け手側のMPも少しずつ減るようになっているのですね≫
好奇心に駆り立てられているのだろう、ベルにはアルの声からいつもよりも楽し気な感情が感じ取れていた。それにしても、アルにとっては実験のつもりだったのだろうが、受け取り手のベルにとってはかなりタイミングのよいものだった。
≪アル。ちょうどいいタイミングだから聞いてみたいんだが──≫
ベルは、ついさっき第6王女セレーナが魔の森の調査という目的でライゼルハークの街にやってきたことを話し出す。セレーナとの会話の内容や、妻であるラウラと彼女の会話の内容を事細かに伝えていく。途中、アルから二、三質問があったが、とりあえずあったことを全て話し終えた。
≪なるほど。それは、おそらくベル兄様を味方につけるために用意した口実でしょうね。ルージュさんも一緒に来たということは、多分王都のほうで何か動きがあったのでしょうね≫
アルの答えに、ベルは小さく頷く。
ベルとて、セレーナの来訪には何か裏の目的があることは想像できた。そこに、王位継承問題が絡んでいることも何となくではあるが予想もできていた。しかし、アルの言葉を聞いていると、その想像や予想が確かなものへと変わっていく。実におかしなことであるが。
≪俺は、どうしたらいいんだ?≫
ベルが尋ねるが、一瞬アルからの答えに間が生じる。しかし、数秒後にアルの優しい声が脳を響かせた。
≪ベル兄様がしたいようにすればいいのですよ。彼女たちのことを知って、手を貸すかどうかはベル兄様が決めることです≫
≪……そうだな≫
そう、これはベル自身が決めなければならない問題だ。
もちろん、この件にアルが絡んでいるのは確かだ。セレーナたちがベルを訪ねてきているのは、少なからず「アルの兄であるから」という理由も含まれている。しかし、彼女たちが救いを求めているのはベル自身であって、その決定権はベルに握られている。
本当ならば、アルに決めてもらいたい。ベルの本心はそれだった。
しかし、ずっとそうしていれば自身の成長はありえない。アルに縋りたいという、自分の弱い気持ちを心の奥に押し込めて、ベルは小さく深呼吸をする。
≪また、魔法王国に着いたら連絡してくれ≫
≪分かりました。じゃあ、ベル兄様もお元気で!≫
長いようで短い「念話」が終わる。もともとその場にあったはずの静寂が、やけに煩く感じる。さっきまでアルの声に全神経を傾けていたため、周りの音など全く気にならなかったのだ。
近くにいるように感じたアルが、急に遠く感じる。無力な自分に押しつぶされそうになるが、ベルはもう一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。これから、大きな選択をしなければならないのだから。
◇
こんこんと乾いたノック音に、ベルは短く返事をする。この部屋を訪れる人間は、ごく少数に限られており、大体誰の来訪なのかは予想がつく。
扉を開いて部屋に入ってきたのは、ベルの信頼厚い傍仕えであるウィルだった。ウィルは慣れたように一礼すると軽い足取りでベルのほうへ歩みを進める。
「ベル様、魔の森の調査に来られた皆様のご案内が完了しました」
「そうか、ご苦労だったな」
「いえ! これが私の仕事ですから」
ベルはウィルの労をねぎらう。
以前の、英雄ともてはやされる前のベルだったなら、こんな優しい言葉をかけることは一切なかった。未だに気難しいところはあるが、今となっては気を許した人間に対しては自然に労う言葉が出るようになった。
ウィルは、ベルのこのたった一言ですべてが報われたような、そんな達成感にも似た気持ちを抱いていた。
「ご苦労ついでにもう一つだけ頼まれてくれるか?」
ベルの深刻な表情に、ウィルは少し浮かれていた気持ちを一気に引き締める。そして、少し周りを警戒するような素振りを見せた後、小さく頷いてベルの近くへと寄る。
「今日の夜、さっきの二人とひそかに話し合いがしたい。頼めるか?」
「分かりました。ただ、奥様にも」
ウィルの言葉に、ベルはゆっくりと首を縦に振る。
もはや、口癖のようになったウィルの「奥様にも」という言葉だが、今の自分ならばその気持ちを正しく受け取れている気がした。
「ラウラには俺から話す。それが、俺にしかできないこと、だからな」
ベルの一言に、ウィルの表情が一気に明るくなる。
その夜、セレーナは「銀髪の英雄」という王国最強の矛を手にした。そして、ラウラは初めてベルの心を得たのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
更新が遅くなってすみませんでした<(_ _)>
思いのほか忙しく、執筆がほとんど進まない日々が続いておりました。
内容は決まっているのに、実に歯がゆい日々でした……。
以前のようにハイペースでの更新は難しいかもしれませんが、必ずこの作品は完結するまで書き続けますので、皆さま、長い目で見ていただけると幸いです。
これからもマイペースに投稿していきますので、変わらず応援のほうよろしくお願いします<(_ _)>




