179話 謎の少女(2)
※今回、すごく長いです。
休憩しつつ読んでください。
「──次はあっち!」
少女の無邪気な声が馬車を動かす。御者のスクルトは、深海のように深い青色の髪の少女が指さす方角に馬車を走らせる。それはあってないような森の道。馬車がぎりぎり一台通ることができる細道を、スクルトの卓越した操縦技術で馬車は進んでいた。
アルは、車窓から落ちてしまいそうなほど体を乗り出している少女をじっと見つめる。彼女について、アルの「鑑定眼」をもってしても何の情報も得られない。それは「魔の森」で遭遇した黒フードの傀儡と同じだった。
疑問は尽きない。ただ、アリアたちがいるここで込み入った話をするわけにもいかない。
「どうして怪我してたの?」
アルは数ある疑問のなかから、ありきたりなそれを選び出す。少女は乗り出していた体を翻し、すっと馬車の座席に腰掛ける。体重が軽いからか、彼女が動いても馬車は全く揺れない。
「魔物、おそってきて。リュカ、つよくないから逃げてたの」
「魔物は?」
アルがそう問いかけると、リュカは首にかけていた何かを胸元から引き出す。アルは、再度鑑定眼でリュカの持つその何かを見る。
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魔除けの護符(済)
B級以下の魔物であれば、一体に限り消滅させることができる護符。
一度使用するともう使用できない。
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アルは小さく眉を動かす。「魔除けの護符」の効果は、B級以下の魔物、つまりアルが「魔の森」で倒したブラックウルフ相当の魔物を消滅させる──つまりは全く脅威としないものである。
「これ。おまもり、使ったらいなくなったの」
「──古代魔法。違う、これは」
鑑定眼から魔眼に切り替えて再度護符を観察すると、魔力の流れの異質さと練りこまれた魔法陣が目に映る。この護符に込められた魔力と魔法陣は、一般的なそれとは一線を画している。
「このお守りは村で作っているの?」
「わかんない。でも、そんちょうがくれたの」
リュカは本当に知らないようで、首を傾げてそう答える。ただ、この護符をリュカに与えたのは、これから向かおうとしているリュカの村の村長らしく、その人物に尋ねればこの護符について何か分かるかもしれない。
といっても、アルは護符の正体についてある程度予想がついている。
「……あの、このおまもりがどうかしたんですか? さっき、『古代魔法』って」
アリアは、アルがさっき呟いた「古代魔法」という単語に反応したのだろう、アルの顔を覗き込むようにそう尋ねる。確かに、この護符にはいわゆる「古代魔法」に似た要素が含まれている。アルでさえも「古代魔法」であると錯覚させられるほどに。
しかし、事実は違う。
「これは『魔法』ではなく、『魔術』に分類される代物です」
「……『魔術』ですか?」
アリアはこてんと首を傾げる。それもそのはず、アイザック王国では「魔術」の概念はほとんど流通していない。学園でも魔術科という命名がなされているが、実際に教育されているのは「魔法」の扱いとその概要を学ぶのみにとどまっている。
しかし、アルは違う。アルは、兄のベルを通して魔術の存在について聞き及んでおり、その違いについても答えを有していた。
「魔法とは、魔力を用いた不思議な現象を指すんです。例えばこうして──」
アルは生活魔法の「着火」を行使して手のひらから小さな炎を発生させる。本当に極少ではあるが魔力が消費された感覚がある。
「火を生み出す生活魔法『着火』は、魔力を火に変換する魔法ですよね。それに対して、魔法陣を用いた魔法道具作成は、いわゆる『魔術』に近いものです。実際、魔法陣を構築した段階では魔力は失われませんし。魔術を魔法の一部だとする考え方が一般的ですが、両者には若干の違いがあるのです」
アルは自らの考えをアリアたちに披露する。勿論、詳しく説明するならばもっと細分化されるべきだろう。例えば、アルが行使する「身体強化」も系統的には「魔術」に分類されるだろう。魔力を用いて何らかの現象を発動させるものは「魔法」と呼ばれ、その技術を用いて何らかに干渉するのが「魔術」と考えられている。
ただ、この分類分けはなかなかに難しい。
「──アルフォート様。では、『魔導』とは何と思われますか?」
アルにそう尋ねたのは、メイアだった。魔法と魔術の違いは先に述べたとおりだが、この世界には「魔導」という概念も存在する。しかし、魔法や魔術は現在にまだ存在する概念であるが、魔導については既に失われたものである。
アルは少し間を置く。実のところ、アルも魔導については未だ解明できていない部分ばかりであり、不明瞭な情報を彼女たちに与えることはできない。アルのなかで情報を精査し、簡潔かつアルの予想を踏まえた言葉たちを抽出する。
「魔導は魔法や魔術の研鑽、そしてそれを極める行動を指すと僕は考えています。そして、魔導士と名乗れるのはこの世界でたった一人」
「『異端の魔導士』だけ、ですね」
この世界における「魔導」という概念は「異端の魔導士」だけに適用されている。そのほかに、「魔導士」と称された人物は存在せず、「魔導」という概念がどういうものなのかも未だに謎のままであるのだ。
そもそも「魔導」という言葉にはいろいろな意味がある。前世で知りえた情報を思い返してみても、これといった正解がある概念ではない。ただし、魔導が魔法や魔術の上位に存在している何かであることは容易に想像ができる。魔法を極めた「異端の魔導士」だからこそ「魔導」の概念に行きつけたのだろう。
それがどのようなものなのか、アルの一生をかけてもたどり着けるか怪しい境地であるが、その無謀ともとれる挑戦に、アルの心は踊る。
「あおのめのおにいちゃん、かっこいい!!」
「え?」
突然、アルの目の前に座っていた少女が声を上げる。アルは、少女からの突然の賛辞に小さく首を傾ける。しかし、彼女もアルの何が「かっこいい」と感じたのか説明できないようで、困ったように手を動かしている。
「なんか、こう、ぐわーってした!」
少女の謎の説明に、馬車の中には大きな疑問符が浮かび上がっていた。何がどう「ぐわーっ」としたのか問い詰めたいところではあるのだが、彼女のなかにそれを上手に説明する語彙はない。彼女のなかでは「ぐわーっ」という独自の感覚が答えなのだろう。
アルが少女の独特な感性を考察していると、アルの世話役であるシャナが堪えきれなかったかのように小さな笑い声をこぼす。
「ふふっ、でもその感覚、少し分かります」
シャナはリュカの感覚が分かるようで、珍しく頬を綻ばせる。ここまでの平和なやり取りによって、和やかな空気が馬車のなかを包み込んでいた。しかし、悪路を進む馬車が小さく上に跳ねた瞬間、アルの脳裏に何か電流のようなものが走る。
その感覚はリュカも同じだったようで、ただ、リュカの表情には喜びの色が映し出されていた。リュカは勢いよく立ち上がると、さっきのように車窓から体を乗り出して前方を見つめる。
「──あ、見えた!!」
リュカの声が馬車のなかに響いた数十秒後、馬車はゆっくりと速度を落とす。しかし、その瞬間前方から大きな声が響く。その声は和やかな空気を一蹴する。
「そこの馬車! とまれ!」
怒気をはらんだ男の声。その声からは最大限の警戒と怒りの色が色濃く反映されている。リュカの話を聞いている限り、リュカの住む村は小さく、他部族との交流も全くない閉ざされた村だということは容易に想像できた。そんな村に、突然馬車が訪れたらどうなるか。最大限の警戒と、自らの村の領域に立ち入ったことに対する怒りを向けられるのは当然といえる。
「少し話をしてきます」
「アル様……お気を付けて」
アリアの言葉に小さく頷いて、アルは馬車を降りる。すると、降りてきたアルを見て、長い槍を握った大柄な男性は大きく目を見開いて驚愕する。
「『青の目』?! 動くな!」
アルを見て、村の入り口を警備していた男は長槍の切っ先をアルへと向ける。どうやら、アルの「青い瞳」を恐れているらしい。確かに、リュカと最初に出会ったときも「あおのめ」と恐怖していた。アイザック王国でも青い目は災いを呼ぶとして忌避されると聞いたことがあるが、この村ではそれ以上の何かが「青い目」に刻み込まれているらしい。
さて、この状況をどう打破するか。アルは、穏便に話し合いできる案を考え出す。しかし、その一瞬の思考が後方から聞こえていた小さな足音に向ける意識を阻害した。
「ヴァウラー、ただいまー!」
「リュカ?! ──青の目、リュカを開放しろ!」
リュカの姿を見た男性──ヴァウラーは、さっきまでの「恐怖」の感情を「怒り」によって上塗りしてアルと対峙する。リュカの登場によって、場には殺伐とした空気が立ち込める。
ヴァウラーの怒りに満ちた表情を見て、リュカも場の空気を察する。怒りの矛先はアルに向かっており、ヴァウラーが何に対して怒っているのかも瞬時に理解する。
「ちがうよ、あおのめのおにいちゃん、リュカをたすけてくれたの」
「リュカ、こいつは『青の目』だ! 『青の目』は災厄をもたらすんだ! リュカを助けたのも、この村に入るための策略かもしれねぇ!」
ヴァウラーの言葉を、リュカは何度も否定する。しかし、ヴァウラーはリュカの言葉を信じようとはせず、怒りのボルテージは徐々に上がっていく。
「……なるほど、僕のこの青い目は彼らには害を及ぼすらしい」
こうなっては話し合いによる解決は不可能だ。リュカが持っていた「魔除けの護符」について村長から情報を得たいという気持ちもあるが、それは無理やり村に押し入ってまで達成しなければならないものではない。そもそも、この村に来たのはリュカを安全な村まで送り届けるためであって、感謝されるいわれは特にない。
アルは、自分の言葉を聞き入れてくれないヴァウラーに対して顔を真っ赤にさせている少女の頭をなだめるように撫でながら腰を落とす。
「僕たちが付き添えるのはここまで。君は村へもどって──」
「いや!! あおのめのおにいちゃん、いっしょがいい!」
「そうはいっても……」
リュカの言葉でさえも受け入れてくれない彼を、アルのどんな言葉でもってしても動かすことは不可能だろう。リュカの好意はうれしいが、国外で面倒を起こすと馬車の中のアリアたちにも迷惑が掛かりかねない。
アルはどうしたものかと小さなため息をつく。しかし、その空気を一蹴するかのようにとある人物がアルたちの間に割って入る。
「何事じゃ?」
村の門番をしていたヴァウラーの後方から、白髭を携えた老人の顔がのぞく。ヴァウラーはその老人を見て、小さく頭を下げる。
「村長! それが……」
小さな声ゆえに、アルたちには二人の会話は聞こえない。ただ、ヴァウラーの報告はなんとなく想像ができる。おそらく、「『青の目』がリュカを誘拐している」という旨の内容を誇張して伝えていることだろう。
しかし、徐々にヴァウラーの動きが大きくなる。何か焦っているようで、村長を何とか説得しようと躍起になっているように見える。
「──いや、それは……村長!」
村長と呼ばれる老人の背中を、ヴァウラーは焦った面持ちで呼び止める。しかし、彼の呼びかけに村長が足を止めることはなく、彼はゆっくりとアルたちのほうへと歩いてくる。
村長はアルたちの前まで歩いたところで足を止め、アルとリュカを交互に見る。そして、何かを確信したように小さく頷いて、ゆっくりとその頭を下げる。
「『青の目』の青年よ、リュカを助けてくれたそうじゃな。このとおり、感謝する。そして、わが村の門番が失礼をした。このとおりじゃ」
老人の突然の感謝と謝罪を受け、アルは少し狼狽する。そもそも、突然押し掛けたうえ彼らのなかで不吉とされる「青の目」の青年がやってきたのだ。門番が警戒するのも頷ける。また、リュカという村の幼子と一緒だというのだから、彼の行動が行き過ぎていたとは思えない。
とりあえず、老人に頭を下げさせるのに抵抗があるアルは、村長の肩に手をあてる。
「やめてください。僕たちは当たり前のことをしただけですし」
まずは、村長の頭を上げさせることが最優先だ。村長が下手に出たことで、話し合いによる平和的解決も見えてきた。彼の登場は、アルにとっては願ってもいない助け舟となった。
村長はアルの言葉を受けてゆっくりと頭を上げる。そして、長い眉毛に隠れた細い目を少し開けて、青年の顔を見る。アルの青い目をじっと見つめた老人は、青目の青年の傍に寄りそう少女に視線を移した。
「リュカよ、その青年が好きか?」
「うん! だいすき!!」
リュカは雲一つない晴れ渡った笑顔を浮かべて、アルの腰あたりに抱きつく。天真爛漫な少女特有の、穢れのない純粋な好意である。しかし、村長は彼女の「未来」をそこに感じ取る。
「──ふぉっふぉっふぉっ! 好きを通り越して『大好き』とはのぉ!」
村長は嬉しそうに声高に笑う。アルからすれば、どうして村長が喜んでいるのかは分からなかったが、村長の人柄は何となくつかめてきた。彼は悪人ではない。それに、人の言葉に耳を傾けられる真の「賢者」であると。
数秒間の笑い声が永遠に感じられた。村長はひとしきり笑って、またさっきまでの表情がよく分からない顔に戻る。そして、くるっと体を翻してアルたちに背を向ける。
「恩人よ、わが村での滞在を許可する。存分に休まれよ」
「しかし、僕たちは旅の途中ですし」
アルたちは旅の最中だ。それも、国の意向に従った旅であり、詳細な期間が定められたものではないとしても、無駄足を踏んでいいような自由な旅というわけでもなかった。勿論、護符について詳しく知りたいというアルの個人的な興味はあるが、それは時間を浪費してまでなさなけれなならない事案ではない。
後ろ髪引かれる思いではあるが、一日でも早く留学先であるツーベルグ魔法王国に入国すべきなのは間違いなかった。特に、この地はどの国にも属していないため、アリアをこの地に長く滞在させるのも気が引けた。
アルの真意を察してか、村長は「ふむ」と顎から伸びた白髭を撫でるように触れる。そして、何かを思いついたかのようにアルのほうへ視線を向けた。
「──ふむ、ではこれでどうじゃ」
村長は空中で指先を走らせる。それは、アルが同級生のリリーに伝授した魔法陣による魔法の発動だ。しかし、この老人が描いた魔法陣はリリーに教えたそれとは大きく異なる部分がある。それは、老人が描いた魔法陣が、何かの現象を発生させる一般的な「魔法」の概念にとらわれない、「魔術」に系統するものであったことだ。
その魔法陣は天高く飛んでいき、数秒後にすさまじい風が天から吹き付ける。そして、その風に乗るようにやってきた大きな両翼を持つ獣。その獣は、勢いよく地面に着地すると、村長に頭を下げるように待機している。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヒポグリフ
危険度:A
グリフォンと雌馬の間に生まれた生物。身体の前半身が鷲、後半身が馬。
大きな両翼により飛行が可能であり、グリフォンとは違い騎乗が可能とされる。
人前に姿を現すことはほとんどなく、伝説上の生物とされることも多い。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アルは鑑定眼を通して目の前の獣──ヒポグリフの情報を見て、眉間にしわを作りながら小さくため息をつく。危険度Aクラスの魔物など初めて見た。しかも、その魔物が何らかの術を受けて人にひれ伏しているこの現状に、流石のアルでも理解が追い付かない状況だった。
「こやつに乗れば旅路など一瞬じゃ。……どうじゃ、空の旅は?」
村長の表情はしっかりとは伺えない。ただ、その言葉からはいたずら好きな少年のような感情が読み取れる。確かに、ヒポグリフに騎乗して空を進めば、ツーベルグ魔法王国の国境付近に聳え立つ山脈を越えるのは非常に楽になるだろう。荷物は後で馬車で届けてもらえばいい。体だけでも早く届けるならば、目の前に鎮座する魔法生物の背に乗ることが一番手っ取り早い移動方法だと思われる。
突然降りかかってきた様々な情報を、アルの優秀すぎる脳が精査していると、不意にアルの手のひらに小さな温もりが伝う。ぱっとその方角に目をやると、無垢な視線が交わる。
「……分かりました。では、お言葉に甘えます」
どういうわけか懐かれてしまった少女の視線に、アルは抗うことができなかった。そもそも、旅路が短くなるのであれば、「ヒポグリフ」という移動手段は魅力的な提案だ。それに、村長にも聞きたいことがある。アルたち側に、デメリットなど一つもないのだ。
「そんちょう、ありがと! じゃあ、あおのめのおにいちゃん、行こ!」
リュカはアルの手を引いて門番の傍を駆け抜けていく。短くも濃い、「ラヴァレス村」での日々が始まった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
長い一話でしたね……。分けることも考えましたが、続けて読んでいただいたほうが楽しく読めるのではないかという判断で、一話にまとめさせてもらいました。
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