177話 青の流れ
「ぉぉりゃあぁぁぁ!!」
ソーマのけたたましい声が訓練場に響き渡る。キレのいい鋭い斬撃を、真剣な表情を浮かべたクリスは真っ向から受け止める。剣を扱う技術に関してはソーマのほうが優れてはいるが、耐久力や剣を振る力などはクリスに分がある。何より、2人ともアルと頻繁に組み手をしていただけに動きが酷似しており、組手に関して決め手に欠ける。
2人の組手を、ぎこちない空気感を纏う3人が観戦していた。異分子である例の留学生、ラウンズ・ヴィル・オーグメントは、2人の激しい攻防にきらきらと目を輝かせている。時たま「おお!」とか「やっば!」など声を漏らしている。
「──キース君、あの人連れてきて大丈夫なんですか?」
「うーん、多分大丈夫だと思うけど。彼のほうから言い出したことだし」
リリーは目を細めてキースを見る。今回の来訪は、ラウンズ・ヴィル・オーグメントからの提案だったようで、キースから誘ったわけではないという。つまり、ラウンズはこの訓練のことを知っていたということになる。
「──私たちの訓練のことを知っていたんですか?」
「そういう噂を聞いたらしい。それに──」
キースの声を遮るように、甲高い金属音とともに剣が地面を転がる音がする。ぱっと音のほうを見ると、地面にお尻をつける青年と肩で息をしている女子の姿がある。転がった剣はソーマの物であり、組手の内容をしっかりと見ていなかったキース達でさえ、どちらが勝者であるかなど一目瞭然だった。
「……勝った?」
クリスは、驚いた顔で自分を見上げる青年を見て小さく呟く。その小さな声からは、信じられないという彼女の動揺が見て取れた。
尻もちをついている青年、ソーマは一瞬面食らったように言葉を失っていたが、すぐに大きく目を見開いて表情を明るくさせる。
「──さっきの一撃、やばかったな!!」
負けたはずなのに、ソーマの顔には「悔しさ」よりも「歓喜」の色があった。それは、初めて安物の小刀を買ってもらった子どものようで、それでいて人の幸せを願う聖者のような笑みだった。人の成長を心の底から喜べる、それこそがソーマの一番の武器である。
場に和やかな空気が満ちる。そんな中、異分子は小さく開いた口を閉ざし口角を上げる。そして、訓練場に響くような拍手をしつつ、2人のほうへと歩き出した。
「いやー、素晴らしい試合を見せてもらったよ~! 2人とも強すぎ!」
純粋な賛辞を受け、クリスもソーマも満更ではないような表情を浮かべる。しかし、次に続く言葉に表情をこわばらせることになる。
「……流石は『青の神童』に師事しているだけはある、か」
──青の神童。
「神童」とは、アルの持つ称号の一つだ。アルが世間から一目置かれているのは、グランセル公爵家の者であるだけでなく、「神童」という珍しい称号を得ているからでもあった。勿論、ラウンズが「神童」という称号をアルが所持していることを知っていても何らおかしくはない。しかし、「青の」というアルの珍しい目の色まで知っていたことに、場の全員が違和感を覚える。
「どういうことですか?」
声を上げたのがリリーだった。もとより、ラウンズに対して疑いの目を向けていたリリーは、この小さな違和感に対して敏感に反応した。リリーの問いかけに、ラウンズは変わらず綺麗な笑みを向ける。
「あぁ、勘違いしないで。私はアルフォート君を尊敬しているんだ。彼のことはこの国に来てから知ったんだけど、素晴らしい人柄に剣の腕も立つ、それにひどく賢いらしい」
ラウンズはアルを称賛する。
どうやらここへ来るまでにアルのことを相当調べたようで、人柄まで把握しているらしい。リリー達はラウンズに対して警戒心を強める。しかし、彼の表情の変化に一瞬意識を奪われた。
そこにあったのはさっきまでの笑みではなく、困ったように笑うラウンズの顔だった。そして、彼はその表情のまま小さく呟く。
「──彼のような人が私の国に留学に行けば、ツーベルグも変わるかもしれないからね」
「え?」
小さなつぶやきに、リリーは驚く。しかし、ラウンズはそのことに対して話す気はないのか、また綺麗な笑顔を張り付けて、もと来たルートを辿ってキースのほうへと歩いていく。しかし、そこで何かを思い出したかのように振り返る。
「せっかくの訓練中に声をかけてすまないね。でも、2人の戦いを見ていたら、いても立ってもいられなくてねー」
「お、おう」
流石のソーマでも、彼の二転三転する態度に驚きを隠せないようで、何とか一言絞り出したもののそのあとに言葉が続くことはなかった。ラウンズは変わらない綺麗な笑顔を見せた後、また歩みを進める。そして、ちょうどキースの横を通り過ぎるところで一度足を止めた。
「今日は先に帰るよ。また明日、教室で」
「もういいのか?」
キースはそう問いかける。彼がどうしてキース達の訓練に興味を抱いたのかは分からなかったが、何かしらの理由があってここに来たのは間違いないだろう。しかし、彼は少し訓練を見ただけで帰ろうとしている。確かに、この場でのラウンズは異分子そのものだ。ただ、キースには彼の目的が達せられたとはどうしても思えなかった。
ラウンズは振り返らずにまた足を動かす。
「……うん、とてもいいものを見ることができたよ。これでぐっすり寝られそうだ」
キース達からはラウンズがどんな顔でその言葉を発したかは分からなかった。だからだろうか、その言葉の持つ本当の意味を知ることができなかったのは。
ラウンズの後ろ姿を見送った一同は、少しの間沈黙を貫く。しかし、ラウンズの後ろ姿が見えなくなった瞬間、止まっていた針が動き出したかのように顔を見合わせる。
「悪い奴ではない、のか?」
「さぁ」
ソーマの問いかけに、クリスは首を傾げつつ返答する。ラウンズとの出会いは非常に濃いものだった。
◇
「遅かったではないか、ラウンズよ」
「申し訳ありません。初めての登校だったので、変に疑われないように級友と交流しておりました」
黒フードを目深に被った男に対して、プラチナブロンドの髪が揺れる。ラウンズは腰を折り、男に対して敬意を示すかのように頭を下げた。
体は大きくない。一見すると全く強そうではないが、その男からは強者のオーラが溢れ出ている。洞察力には自信があるラウンズでも、彼の実力の底が分からない。
「……まぁいい。して、本国はなんと?」
「『杯は未だ満ちず。青の流れを見極めよ』……と」
伝言を聞いた男は、右手を自身の顎あたりに持っていき少し思案し始める。黒フードのせいで顔の上半分は隠れているので、ラウンズには彼が何を考えているのかよく分からない。
黒フードの男は少しの間のあと、ゆっくりと口を開く。
「まだ行動を起こす時ではない。そして、青の流れ──ふふっ、忌まわしいグランセルの動向を見定めよ、ということか」
男の言葉に、ラウンズは少し身を震わせる。それは、狂気じみた口元を見てしまったからだ。ラウンズもグランセルについてはよく知っている。この国の最古の貴族家であり、英雄ベル・グランセルもグランセル家の者だ。そして、ラウンズが個人的に興味を持っている彼も。
「……私の役目はここまでです。あとは好きにさせてもらいますよ」
「あぁ。ただ、勝手な行動だけは慎め」
鋭い殺気がラウンズに向かって放たれる。黒フードの男の威圧感は相当なもので、ラウンズの背中を冷たい汗が流れる。しかし、この仕事を受けたのは彼の意志でもある。
「分かりました」
そう言って、ラウンズは男に背を向ける。この会合に使用した部屋は、黒フードたちがよく集まる場所だ。まだ日も落ちていないのに真っ暗なのは、男の不思議な能力に起因しているらしい。
ラウンズは暗闇の中を歩いていく。すると、突然まばゆい光が彼を襲う。気づいた時には、彼は王都の城下町の路地裏に立っていた。これも何かの魔法なのだろう。
「……杯は未だ満ちず。青花の流れを見極めよ」
ラウンズは不敵な笑みを浮かべつつ小さく呟いた。それは、さっき伝えた言葉とは少し違う、本当の伝言だった。一文字抜けるだけで、言葉は大きく違ってくる。
ゆっくりと歩き出すと、人々の騒々しいほどに活気のある声が大きくなる。
「さて、彼らはどんな踊りを見せてくれるかな」
自身の目的のためにも止まることは許されない。愉快に笑いつつも、ラウンズは重い信念を胸に歩みを進めた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
まだまだ黒フードたちの正体は謎に包まれていますね。26話から出てきている組織ではあるのですが。
更新遅くてすみません。ゆっくりではありますが、物語は進んでいきますのでもうしばらくお付き合いいただけると幸いです。




