175話 疑問と出国
「……ふーん、第6王女が王都を離れた、ねぇ」
一見すると誰もいないように見える空間に向かって、黒いフードを目深く被った女性が小さく呟く。実に不気味で仕方がないような光景だが、同じ部屋にいた第2王子マリウスは驚かない。もし、彼女が何もないところからナイフを出そうとも、彼は不気味だなとは思うだろうが驚きはしないだろう。それだけ、彼のなかで彼女は「異質」そのものだった。
マリウスは彼女の言葉の内容を頭のなかで精査する。
彼のなかで、第6王女セレーナの動向はかなり気がかりなものだった。強く賢い、そんな彼女が王位を狙うとなればかなりの強敵となる。純粋な戦闘力では第1王子すらも凌ぐと専らの噂であり、民からの印象もかなりいい。だからこそ、邪魔で仕方がない存在ではあった。
「この王位継承騒動の真っただ中で王都を離れるということは、王座を狙う気がないのか。それとも……」
前者はマリウスの願望が色濃く反映された仮説だ。しかし、王太子が亡くなりまだ日も浅いこの時期、それも次の候補がいまだ絞られていないタイミングで王都を離れるとなると、客観的に見ればこの説が最有力と取れるのもまた事実。しかし……。
「どうするのぉ?」
女の間延びした声がマリウスの思考を遮る。今の時点でいくら考えても、答えにたどり着けはしない。変に考えすぎて彼女の手のひらで踊らされるのも癪である。であれば、目の前の敵に注意を向けるのが最善手だろう。
「放っておく。今は、あいつよりも第3王子のほうが脅威だ。王位を狙う気があるのかも分からないやつよりも、王位を狙う気満々な第3王子のほうが、な」
「ふーん。そうかしらねぇ」
黒フードの女は、実に軽い声で返答する。何を考えているのかなどマリウスには到底分からないが、退屈そうな彼女からはいまだに不気味な雰囲気が漂っている。この雰囲気に長時間充てられると気がおかしくなってしまいそうで、マリウスはそそくさと部屋を出ていく。自室であるにも関わらず、女を置いて出ていくほどにマリウスの精神は混濁していた。
一人残された黒フードの女は、ゆっくりと部屋の窓際へと移動する。眼下に広がるのは大きな庭。そしてその先に小さく見える城下町だった。実によい光景だが、女の心は全く動かない。
「正直どうでもいいんだけど、あの方には報告しておこっかなぁ」
そう言って、女は窓に映る冷酷な口元を不気味に吊り上げる。数分後、マリウスが部屋に戻った時にはすでに女の姿はなかった。
◇
一文字に地を分かつ亀裂。その規模は視覚では正しく推し量ることはできず、現実のものとは思えないほどの凄みがある。この巨大な峡谷がどのようにして形成されたかは謎に包まれているが、そこには人知を超える強烈な存在感があった。
「──ここが『べランゲの谷』ですか」
馬車を出てきた青年は、目の前の巨大な峡谷を見て言葉を呑む。峡谷の規模については、かの有名な「ユリウス冒険譚」でも触れられており、実際に見たことがあるという知識人からも聞き及んでいたものだったが、目の前のそれは彼の想像を優に超えるほどの規模であった。彼は特徴的な青い目を細め、その瞳に好奇心という名の輝きを煌めかせる。
峡谷には一本の橋が架かっている。橋はおそらく峡谷の対岸へと続いてるのだろうが、朝早いこの時間帯では対岸付近は霧で覆われており全貌は見えない。
「この一本橋は一体誰によって作られたのでしょう」
後を追うように馬車を降りてきた美少女は、峡谷の規模に驚きつつも青色の目の青年の隣へ歩いてくる。彼女の疑問はさきほど青年が抱いたそれと同じものであり、不思議そうに一本橋を見つめている。
「ユリウス冒険譚を信じるなら、勇者ユリウスがこの谷にたどり着いた時にはまだ橋は架かっていませんね。いったい誰が、どんな技術を用いて橋を架けたのか、誰にも分からないというのが現状です」
「こんなに大きな谷にどうやって橋を架けたのでしょう……」
青年の説明を受けて、美少女は金色の髪を風に靡かせつつゆっくりと橋のほうへと歩いていく。そして、橋を支えている柱を不思議そうに見つめながら、橋の状態をじっくりと見始めた。
「かなり古いですね。この橋は使われているんでしょうか」
「命知らずなものでさえ、この橋を進むものはいないでしょう。自殺志願者くらいのものではないでしょうか」
彼女の問いかけに答えたのは、青い目の青年ではない。2人の様子を後方で見守っていた使用人服を身に着けた女性は、橋の傍へと歩いていく彼女を見てこちらへ来たようで、聞こえてきた疑問に彼女なりの答えを与える。
霧立った黎明の空の下でも、彼女はいつもと変わらないきっちりとした使用人服に身を包んでおり、はきはきとした物言いは彼女の精神の安定を物語っている。
彼女の言う通り、目の前の古い橋は全くと言っていいほど使用された痕跡がない。今にも落ちてしまいそうなこの橋を渡る猛者などいるはずもない。この橋が実際に使用されたことがあるかは置いておいて、今のルートとしては峡谷の南方にある検問所を通って、ぐるっと「べランゲの谷」を迂回するルートが正規の出国ルートであり、今回彼らもそのルートを通って国を出る予定になっている。
「そうですね。今は南の山脈にある検問所を通る必要があります」
青い目の青年は、顔をのぞかせ始めた太陽の少し右側を指さす。一本橋は「べランゲの谷」の南側にほど近い場所に架かっており、かなり遠くではあるが視覚に南の山脈をとらえることができる。今日のうちに南の山脈の検問所にたどり着き、出国の手続きを済ませてしまいたい一行は、不可思議な過去の遺物を背に馬車へと戻る。
馬車の止まっている場所へと戻ると、移動の準備を終えた2台の馬車が彼らを迎える。一つは彼らが乗る用の馬車であり、もう一つは旅の物資や荷物を押し込んだ荷馬車である。少し早い朝食をとった彼らは、完全に顔を出した太陽を左側に捉えつつ馬車を走らせた。
「ノーラさんたちは何をしているでしょう」
静かな馬車のなかで、金髪の美少女は親友の名を口にする。唯一と言っていいほど、仲のいい友人が今何をしているのか疑問に思ったのだろうが、同じ馬車に同乗していた青年は青い目を少し細める。
「王都を出てからまだ2か月くらいしか経っていませんから、そう変わったこともないと思いますけど……」
「何か不安なことでもあるのですか?」
青年の消え入るような言葉尻に、彼女は少し困惑気味に首をかしげる。
不安なこと、それはたくさんある。できれば一緒に王都へ残り、残る問題を全て片付けてから王都を離れたかった。しかし、彼は首を数度振って自身の不安を拭い去る。
「いいえ、彼らなら何とかしてくれると僕は信じていますから」
彼は、友人を信じた。優秀で優しく、そして信頼できる友人たちを。
馬車はゆっくりと、それでいて確実に彼らを目的地へと向かわせる。彼らがアイザック王国を出国したのはそれから2日後のことだ。そして、奇しくもその日が「剣魔の契り」が交わされた日であった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
更新が遅い……。次の話はできるだけ早く出せるように頑張ります!!
さらっと5話ぶりくらいに主人公が帰ってきました。名前は出てませんけどね……。
どの順番でどの話を出していくのか、手探り状態ではありますが最善の順番を模索したいと思います!




