169話 白い仮面(1)
今日はもう一話投稿します。時間は、20時ころを予定しています!
町のかなり奥のほうに居を構えた豪邸。
はちきれんばかりに膨れ上がった腹を高そうな質感の衣服で包み込んだ中年男性は、まだ昼前だというのに真っ赤なワインの入ったグラスを傾ける。しかし、直後に甲高い破砕音と大きな怒号が響き渡った。
「まずいっ! 誰だ、こんなまずい酒を用意したのはっ!!」
「……申し訳ありません」
砕けたワイングラスの破片と真っ赤な水溜まりを、傍に仕えていた騎士風な青年が掃除し始める。ワインと同じ真っ赤な前髪の隙間から覗く瞳は、真っすぐに丸い顔をした中年男性へと向かう。
「なんだぁ~? その不満そうなツラはぁぁ? なにか文句でもあるのかぁ!?」
肥満体の中年男性は、不服そうな青年に向かって厭らしい笑みを浮かべる。その笑みを視界にとらえた彼は眉間に深い皺を作るが、口から飛び出そうになった言葉を何とか飲み込んだ。
「──ございません」
「へっへっへっ。お前も女を覚えろ。そして、わしに女を差し出すのだ。そうすれば、あやつらと同じように褒美をくれてやるぞぉ? お?」
「私にそのような趣味はありません」
手際よくガラス片を片付け、真っ赤な水溜まりを拭い去った青年は、全くの無関心らしい表情を男へ向ける。その表情に、中年男性は不快そうに口を歪めた。
「――っけ、固すぎる。そんな馬鹿みたいに凝り固まった頭をしているから、あやつらにも簡単に見捨てられるんだろうなぁ~?」
「それ以上は――」
流石に我慢しきれなかった青年はため込んでいた不満を口に出そうとする。しかし、その言葉を遮るように大きな爆発音が屋敷中に響き渡った。
「なんだ! な、なにが起こった!!」
肥満体を震わせながら、男は勢いよく椅子から立ち上がる。爆発音と同時に衛兵たちの苦悶の悲鳴が続く。しかし、数度の爆発音のあと、彼らの悲鳴はぴたりと鳴りを潜めた。
どれくらいの時間が経っていたのか。中年男性が一気に静まり返った部屋の外に意識を向けていると、彼の耳に誰かの足音が届く。その足音は急いでいるのか、急ピッチでこちらへと向かってくる。そして、その足音は部屋の前で止まると、ノックも無しに勢いよく扉を開いた。
「しょ、商会長様! 侵入者です!」
「侵入者だと?! ここを『バラモス商会』と知ってのことか?!」
ノックもなしに部屋の扉を開いたのは万死に値するが、今はそれどころではない。肥満体の中年男性は、意味のない大声でそう尋ねる。
情報をもたらした衛兵は、少し困ったような表情を浮かべていた。それもそのはずで、ここが「バラモス商会」だと知っていようがいなかろうが関係ないのだ。バラモス商会の商会長というプライドから、このような愚かな質問が飛び出たと言える。
「そ、それは何とも。ただ、相当な手練れのようで、一瞬にして警備網を突破されました。それも、たった一人で……」
「たった一人に、警備網が突破されただと?! おい、ガーシュ! 貴様、警備は厳重にせよとあれほど命じたであろう!!」
中年男性、もとい商会長のコータスは、赤い髪の青年ガーシュに怒鳴りつける。しかし、ガーシュは切れ長の目を細めるだけで、弁明など何もしない。
確かに、商会長はガーシュに対して「警備は厳重にせよ」という命令を出していた。ガーシュもその命を守って最大限の備えはしていたはずだった。屋敷には常に30名ほどの衛兵を駐在させ、何か問題が起これば彼のパーティーメンバーが駆けつける手はずになっていた。
しかし、その警備網は突破された。それも、たった一人の侵入者によって。
ガーシュは信じられないという疑念とともに、胸が大きく脈打つのを感じていた。ただ、それは緊張感からくる胸の高鳴りだとして、ガーシュは何とかその胸の鼓動を収める。
心を落ち着けているガーシュに対して、先ほど取り乱していた商会長だったが、ぱっとガーシュのほうを見て冷ややかな笑みを浮かべる。
「まぁよい。こちらには単体ならばA級冒険者にも匹敵するほどの力をもつグズがいる。……そうであろう、ガーシュ?」
「……はい。あなたの命は私が」
そう言いかけたところで、ガーシュは腰に下げた剣を引き抜く。すると、甲高い金属音とガーシュの小さなうめき声が部屋に響く。
灰色のフードに身を包み、真っ白な仮面を身につけた存在は、ガーシュの赤い剣と手にした黒い刀身を交わらせる。
「──へぇ」
白仮面は感嘆とも取れる小さな声を上げる。しかし、剣から伝わる力は相当なものであり、ガーシュがいくら押し切ろうと力を込めてもびくともしない。
時間にして1秒間ほどの膠着ののち、ようやく場の状況を理解した商会長は、飛びのくようにガーシュの元を離れながら声を上げる。
「き、貴様! 何者だ!!」
肥満体を運動不足の両足で支えるのは難しく、商会長はしりもちをつくように後方へと倒れ込む。目の前で剣戟を見ることがなかったからか、興奮気味に開かれた目は突然現れた白い仮面に釘付け状態になる。
「貴方が……いや、お前がコータスですか? 思ったよりも頭がよくないらしいですね」
「――なっ!」
突然の罵倒に、商会長は頭に青筋を立てる。そして、その怒りが彼の自尊心を駆り立て、襲い掛かってきた不安を凌駕する。
「おい、グズ! そいつをすぐに倒すのだ!」
「──分かりました」
ガーシュは剣を一瞬引くようにして白仮面の真っ黒な刀身と自らの刀身との間に隙間を作ると、勢いよく剣を振り切って弾く。そして、足払いをして白仮面の体勢を崩そうと試みるが、白仮面はその攻撃を小さくジャンプして避けると、黒い切っ先でガーシュを突く。
ガーシュは、最小限の動きでその突きをいなすと、お返しに剣を一文字に切りつける。しかし、その剣先が相手を捉えることはなく、白仮面は灰色のローブの裾を風になびかせながら、ガーシュとの距離を取る。
周囲は彼らの剣戟に行動を起こすことは勿論、声を出すこともできず、中には息をすることも忘れてしまう者たちすらいた。
「やはり、素直で綺麗な剣筋をしています。ただ、心はここにないみたいですね」
「──っ!?」
白仮面の言葉に、ガーシュは大きく目を見開く。
「図星、ですか。どうやら、目も素直らしい」
白仮面の言う通り、ガーシュの心はここにはない。以前のガーシュならば、これほどの強者と立ち合うことができたなら、自然と心は高鳴り笑みが浮かんだことだろう。しかし、今はそうではない。
「黙れ! 俺には……俺にも守りたいものがあるのだ!!」
「──それは、『蒼の業火』ですか?」
ガーシュは再び驚きを隠せなかった。この町の人間ならば、「蒼の業火」を知らない者はいないだろう。しかし、この白仮面はこの町の人間ではない可能性が高い。もし、この町の人間ならば、ここ「バラモス商会」に侵入、いや、攻撃を仕掛けてはこないであろうし、なによりここまでの腕を持つ者に、ガーシュは心当たりがなかった。
ではなぜ、ガーシュが「蒼の業火」のメンバーだと知っているのか。
ガーシュは、「バラモス商会」に抱え込まれてから「蒼の業火」から身を引いている。それは、商会長コータスからの命令であり、メンバーたちのことを考えるとそうせざるを得なかったのだ。つまり、この町の者たちですら、ガーシュが「蒼の業火」に属していることを知らないはずだった。
ガーシュは目の前の白仮面に、そのことを問いかけようとする。しかし、ガーシュよりも先に、思いもよらない人物が行動を起こす。
「ほぉ、こやつを知っていたか! どうだ、わしの下に付かないか? お前ほどの腕があれば、こやつと共にわしの警備につく権利を与えようではないか。これほど名誉なことは、そうそう──」
「このままでは『蒼の業火』に未来はありませんよ。悪に手を染めた者たちは、それを覆い隠すほどの徳を積まなければならないのです。そうでないと彼らは……いえ、あなたたちは必ず後悔することになります」
「そんなことは分かっているっ!」
ガーシュは声を荒げる。
世界は意外と公平にできている。悪事に手を染めた者は、必ず天誅を受けるのだ。ガーシュとて、それは知っている。しかし、友を見捨てることは勿論、救い出すことすらもできない彼には、彼らと同じ道を進んでやることしかできないのだ。
「……わしを無視するとはっ! ガーシュ! こいつを今すぐに切り臥せるのだっ! 貴様の妙な能力を使ってもいい、今すぐにだ!!」
商会長コータスは、自らの言葉を遮り、そして二人だけの会話を展開したことに対して、強い怒りを白仮面に対して向ける。そして、ガーシュに対して「奇妙な力」と呼ばれる能力の発動許可を与えた。
ガーシュは、不意に自らの手に握られている剣を見る。そして、「奇妙な力」と揶揄される能力に思いをはせた。
「――すまない。名も知らぬ善なる者よ」
ガーシュは、そう言って自らの隠し持つ能力を発動させる。体内の魔力が急激な活動を始め、彼の中で暴れまわるように循環し続ける。その度に、彼の体は燃えるように熱くなり、瞬間、抑えきれなかった熱がガーシュの手から放出される。
その熱は青色を帯びており、轟々と燃えるその炎は溶けだしそうなほどの熱気を孕んでいる。
「なるほど、これが『蒼の業火』の所以ですか……」
白仮面は、知るはずもないその青色の炎を見て、納得気味に頷く。まるでよく知っている現象のように頷く白仮面を見て、ガーシュは何か違和感を胸に秘めていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
今日は、20時頃にもう一話続きを投稿しますので、そちらも是非読んでください<(_ _)>




