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168話 静かな旅(2)




「――うわぁ、すごいです!」



 白い湯気を立てる白濁(はくだく)の湯。火山の近くにある町であるため、お湯の色は乳白色に濁っており、全面真っ白な空間には3人の女性だけが湯につかっていた。


 アリアは両手でその湯をすくい上げる。すくい上げられた濁り湯は、まるで女神の見えざる手から(こぼ)れ落ちる聖水のようだった。


 そして、その女神は自身の手から(したた)り落ちる白く濁ったお湯に首を傾げる。



「どうしてお湯に濁りがあるのでしょう」



 小首を傾げつつまじまじと湯を見つめる姿は、同性であっても魅了されるほどの力を有していた。そんな愛らしい女神を眺めつつ、メイアはここにきた理由を思い出す。そして、苦々しい表情を浮かべた。



「――彼はいったい何者なのでしょう」



 メイアの言う「彼」とは、今回の計画を立てたアルを指しているであろうことは容易に想像ができた。


 当の本人はアリアを彼女たちに託して、また一人で何かをしていることだろう。グランセル領にも温泉の類はないはずであるにも関わらず、彼は特に興味を持っていなさそうだった。



「アルフォート様ですからね……」



 メイアの隣でシャナが苦笑を浮かべる。主人の異常性についてはシャナが一番理解しているはずなのだが、そのシャナをもってしてもアルの考えには理解しがたいところがある。


 静かな温泉には、心地よい時間が流れている。しかし、外は少しばかり騒がしさを孕んでいた。







「――これは、ひどいですね」


 

 荒れ果てた部屋を見て、メイアは眉間に深い皺を刻み込んでいた。


 割れた花瓶に、叩き折られたベッド。幸い窓には手を出されていないようで、外から見るぶんにはこの光景を想像することすらできないだろう。片付けようとした痕跡は見られるが、この状態では客に部屋を提供できないはずだ。



「先日、父が倒れてしまって、私だけで店を切り盛りしていたんです。そしたらあいつらが来て……」


「……『(あお)業火(ごうか)』ですか」



 宿屋の娘、カナは小さく頷く。瞳は少し潤んでおり、小さな唇は細かく震えていた。


 彼女の話では、一昨日に「蒼の業火」という高ランク冒険者がこの宿屋に宿泊したらしい。運悪く、その日は店主である彼女の父親が床に()せってしまったタイミングであり、彼女は一人で店を開いたようだ。そして、最悪は訪れた。



「あいつら、『行楽館』の用心棒をしてるんです。確かにBランク冒険者だから、腕は立つんでしょうけど。他の部屋も同じように荒らされてしまって……」



 彼女は悲しそうな、それでいて悔しそうに震える唇をかみしめる。カナに案内されて、アルたちは他の部屋も見て回る。どの部屋も例外なく荒らされていたが、たった一部屋だけは綺麗に片付けられていた。いくら頑張っても、この一部屋を片付けることしかできなかったらしい。


 一通り状況を確認し終え、アルたちは一階のロビーに降りてくる。


 使い物になる部屋はたった一つだけ。他の部屋も、少し片づければ一日だけ宿泊するぶんには問題ないだろうが……。



「……僭越ながら、この店を出ることを提案します。穏便にやり過ごして、明朝にここを出るのがよろしいでしょう」


「うっ、そうですよね。一つの部屋しかご用意できていないですし……」



 メイアの直球な提案に、看板娘のカナは苦悶の表情を浮かべる。いかに被害者であろうとも、部屋を提供できなければ客は離れていくのが道理だ。それは、カナ自身もよく分かっているこの世の「節理」なのだ。


 しかし、そこに鶴の一声がかかる。



「私は、このお店が気に入りました」



 アリアの薄桃色の瞳は、一切の曇りを持たずに店を一回りする。



「ロビーも廊下も、すごく綺麗にされていました。外観だってそうです。お部屋は……、今は荒らされてしまっていますが、きっと細部まで掃除の行き届いたお部屋だったのでしょう。私はこのお店がすごく気に入りました!」



 アリアの言う通り、この宿屋はかなり綺麗に掃除がなされていた。聞けば、父娘のたった二人で切り盛りしていたようで、その仕事に対するひたむきな態度が見て取れる。

 


「……そうですね。僕もこの店は気に入っていますよ」



 アルもアリアの言葉には同感だった。


 どの世界でも元々の資本や有しているコネ、また、後ろ暗い悪事が跋扈(ばっこ)している。そして、大富豪と呼ばれるような人物に多いのは、ひたむきに経営努力を行っているような者達ではなく、先にあげたような狡猾(こうかつ)な者達が多い。


 アルは、そのことについて何とかしようとは思わない。しかし、それは「犯罪」という一線を乗り越えない範疇(はんちゅう)でのことだ。



「――では、少しだけお(きゅう)を据えに行きましょうか」



 思いもよらない言葉に、看板娘のカナは小さな口を目いっぱいに広げる。そして、その口はアルの計画を聞いてから閉じることを知らなかった。







 豪華絢爛(ごうかけんらん)を極めた店構えの扉を開くと、予想通りに煌びやかな内観が広がる。落ち着いた印象の店内では、大通りを歩いていた軽装な衣服に身を包んだ者たちの姿が多くある。



「いらっしゃいませ。ようこそ『行楽館』へ! ささ、こちらへ」



 行楽館の店員は、満点の営業スマイルでアリアたち三人を迎え入れる。彼は少し足早にアリアたちを受付の方へと案内する。すると、扉の近くに4人の冒険者風な集団がアリアの目に映る。武器を有してはいるが、まだ昼前だというのに酒にうつつを抜かしている。



「……あれは?」


「あの方々は用心棒です。ここを経営しているオーナーと縁故があるらしいです」



 店員の、満点の営業スマイルに綻びが見える。周囲の従業員の表情から見ても、彼らがこの場の雰囲気にそぐわないことは容易に見て取れる。



「今日は宿泊ですか?」


「いえ、こちらの温泉はお肌にいいと言うお話をお聞きしましたもので」


「そうでしたか。ええ、うちの湯は美容にいい成分を多く含んでいるらしく、それはもう皆さまに称賛頂いております」



 少し会話をしつつ、歩みを進める。しかし、アリアの美貌はこの一見煌びやかな空間の中にいても、一際目立ってしまうほどの魅力を持っていた。そんな彼女に向けられる視線は多種多様である。



「――下卑た視線です」



 メイアは斜め後ろを冷たい視線で一瞥しつつ、小さくそう漏らす。アリアも、彼らの厭らしい視線には気が付いていた。ただ、変に声を掛けてこないぶん、まだどこぞの伯爵家の跡継ぎよりはましにも思えた。



「そういえば、こちらには書庫があるらしいですね。貴重なものもあるとか」


「ええ、階段を上がって右手に。……貴重なものがあるとは聞いていませんが」


「そうなのですか、ちなみにこちらのオーナーは今どちらに?」


「あぁ、オーナーでしたらここにはあまり顔を出しません。……まぁ、いらっしゃっても最上階にある一番豪華は部屋をご使用になるだけで、仕事については館長に全て任せているみたいです。オーナーがここを買い取ってからは経営こそ上向きにはなりましたが……」



 そこまで言いかけて、店員は口を閉ざす。どうやら、この店員はかなり前から「行楽館」で働いている者のようで、最近の経営方針について思うところがあるらしい。その不満が溢れてきたのだろう、彼の良心が窺えた。



「すみません、変な話をしていましました」


「いえ、お気になさらず」



 その後、温泉の場所やその場での諸注意などの説明を加え、その店員はその場を立ち去り、次の客の対応へと向かった。またさっきの営業スマイルで説明を行うのだろう。


 アリアたちは用意されていた備品を受付で受け取った後、言われた通りに温泉への順路を歩く。そして、受付からの死角になる所で一旦立ち止まった。



「――ここには居ないみたいです。あと、どうやら経営方針は館長ではなくオーナーが担っているようです。『蒼の業火』もオーナーの縁故雇用者だとか」


「分かりました。では、皆さんはそのまま温泉に向かってください」



 ふらっと金髪の美青年が現れる。あらかじめアルが潜んでいたことを知っていたメイアでも、この光景には未だに気味悪さを感じてしまう。


 ただ、アリアはそうではないらしく、全く別の所を気がかりに思っていた。



「……本当にいいんですか? アル様も温泉に入ったことはないはずですのに……」


「僕は大丈夫ですよ」



 アルは乾いた笑顔を浮かべる。「アルフォート」としては初めての温泉だが、「神崎奏多」としては初めてではないのだ。







「――ここが『バラモス商会』ですか。いかにもって感じですね」



 アルはたった一人で大通りを抜け、町の最奥に居を構えている豪邸の近くに到着する。下級貴族に引けを取らないほどの敷地を有しており、屋敷の造りは贅沢を極めていた。


 これまでの話を聞く限りでも、ここの商会長、コータスという男は何かしらの犯罪に加担していると思われる。勿論、「赤翼(あかはね)亭」の一件に必ずしも関わっているとは言わないが、黒い噂があるということならば、叩けば何かしらの埃が出てきそうだ。


 ただ、確信はない。となると、町の住人に話を聞くべきだろう。



「すみません。バラモス商会はここで合ってますか?」


「おいおい。あんさん、命知らずか? この町で声高々にそんなこと聞いてたら、無茶苦茶な嫌疑にかけられちまうぞ」



 人のよさそうな青年はアルの肩を優しく引き寄せ、小さな声で忠告する。



「……滅茶苦茶な嫌疑、ですか?」


「あぁ、この間も一人やられてたな。なんでも、商会長の裏取引を見たとか言ってたら、その日の晩にはいなくなっちまった。あんさんも、下手に関わらないほうがいいぞ」


「……そうですか」



 この青年の言葉をすべて信じるわけではないが、彼の対応や宿屋のカナの話をすり合わせると、商会長の後ろ暗い影が色濃くなっていく。



「だが、この町はいいところだから嫌いにはならないでくれよ! 俺はここで肉屋をやってるから、気が向いたらいつでも来てくれや! じゃあな!」



 そういって、彼は元気よく手を振ってその場を去っていく。


 この町の人間は比較的人がいい傾向にある。アル達の御者をしているスクルトもこの町の出身であるし、宿屋のカナもさっきの青年も、自分の身だけでなく見ず知らずのアルを本気で心配してくれていた。


 それだけに、ここの(うみ)を何とかしたくなる。



「――さて、少しだけ風通しをよくしますか」



 アルは小さく呟いて歩みを進める。アルの歩みを止めることは、もはや誰にもできないでいた。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!


静か(?)な旅路でしたね。


最近、更新速度が遅くなってしまい申し訳ありません<(_ _)>

もっと早く書かなければとは思いつつも、なかなか……。

実は、最初の部分と今の部分で技術的な差が生じているように思えて、最初から表現や書き方を統一しようかと画策しております。内容を変えるつもりはないので、ここまで読み進めてもらった方が混乱しないようにと思っております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「風通しをよくしますか」──ワクワクが止まりませんっ! >最初から表現や書き方を統一しようかと── 長期連載あるあるですね。実は、自分も少し同じような事を考えてました。 でも、ただでさえ遅…
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