167話 静かな旅(1)
穏やかな空の下。木々によって作り出されたトンネルを、通常よりも少し大きな馬車が進んでいく。
御者台には、齢60くらいの老人と15にも満たない青年の二つの人影があった。手綱を握っているのは青年のほうで、ゆったりとしたスピードで馬車を操縦している。
「へぇー。坊ちゃん、馬車の扱いもうめぇじゃねぇか!」
青年の隣に座っていた老人は、豪快な笑い声とともに青年の肩を強く叩く。金髪の青年は、特徴的な青い目を細めて笑う。
「幼い頃から、庭師の方に指南してもらったので。簡単な操縦くらいなら」
「そりゃすげぇな! 坊ちゃんのせいで、俺の貴族への印象がだいぶ変わっちまったなぁ!」
まだ一か月も行動をともにしていないものの、二人の間には信頼関係のようなものが芽生え始めていた。それは一重に、貴族らしい青年の人徳によるところが大きかった。
談笑しながら馬車を進めていくと、細い木々のトンネルを抜けて真っ青の空が顔を覗かせる。すると、目の前に大きなはげ山が姿を現した。周囲には森のような場所が散見されるものの、その山だけは木の一本も見受けられない。
「――お、でっけぇ山が見えてきたな。あれが『ナルニー火山』だ」
「……あれが『ナルニー火山』ですか」
ナルニー火山と言えば、「ユリウス冒険譚」にも名前の出てくる火山であり、この国で一番標高の高い山でもあった。また、未だに活動を続けている活火山でもあり、噴火を繰り返していくと今以上に大きな山となるだろう。
青い目の青年アルと老人御者スクルトがそんな会話をしていると、後ろから美少女の顔が覗く。
「『ナルニー火山』には、本当に伝説の『火竜』が棲んでいるのでしょうか」
「『ユリウス冒険譚』の話ですね。勇者ユリウスに『聖なる鎧』を渡したという」
アルの返答に、金色の髪が揺れる。いつ見ても綺麗なその髪は、日光によって更なる輝きを帯びていた。そんな美しさを感じていると、その後ろから新しい顔が見える。
いつものようにびしっと使用人服を身につけたメイアの目が、心なしか輝いている。
「ダンジョンがあるのは確かだそうです。ただ、ダンジョンの中には冒険譚に出てきたような大扉はなくて、魔物すらも出てこない道が続いているだけと聞きますね。そのため、よく『枯れた迷宮』と呼ばれているそうです」
「いやー、アンタも詳しいなぁ。俺が付け足すこともねぇ完璧な説明だ!」
メイアの説明に、スクルトは大袈裟なほどに褒め称える。ただ、そこには嫌味らしいところは一切なく、メイアも少し得意げな表情を浮かべている。
「枯れた迷宮」。
確かに、メイアの話す内容はアルとて知っていた。魔物が一切出ない通路が、ただただ長く続いているだけ。一応最深部まで続いてはいるものの、伝説の場所らしきところは見つけられないと聞く。
「……あれで『枯れた迷宮』ですか」
アルは小さく呟く。
アルの青い目は、小高い山に向かっている。他の面々には、木の一本も生えていない山だけが映っているが、アルの目は別の何かを捉えていた。
「まぁ、火山のダンジョンは旨味がねぇが、火山の近くの町じゃ『温泉』が有名でなぁ。それ目当ての観光客が集まるんだ。今日はまだ時間もはえーが、そこで泊ってくか?」
「……温泉」
アリアの小さな声がアルの耳に届く。アリアの住んでいた地域でも水に浸かる文化があるのだが、暖かいお湯につかるということはない。アリアの顔には、ほんのりと赤い色が浮かんでいた。
アルは少し前、観光しようと言いつつも結局別のことに熱中してしまったことを思い出す。
「――そうですね。ここまで順調に進んでますし」
そこまで急ぐ旅ではない。ここまでの道中、大雨に降られることもなく順調に進んでいる。アリアと過ごす旅路もとてもよい時間だが、せっかくの旅なので楽しんでおくべきだろう。
馬車は進路を変え、山の麓へと進んでいった。
硫黄の香りに包まれた町、クルールは白い湯気が各所で立ち込めていた。火山の麓の町だけあって気温が高く、町を歩く者たちの服装は非常に簡素で、肌色が目立つ衣服が多かった。
「アル様、見ちゃだめです!!」
アリアの小さく柔らかな掌が、アルの視界を覆う。さっきまで見えていた白い景色から、一転して黒い景色に変わる。
「……この町は破廉恥です。あんな緩い着物で外を出歩くなんて」
「アリアさん……あの、前が見えないです」
「が、我慢してください!」
アリアの顔を見ているわけではないが、おそらく真っ赤に染まった顔があるだろうことはアルにも分かる。
硫黄の香りと、アリアの掌から伝う甘い香りがアルの鼻腔をくすぐる。女の子特有の甘い香りに、アルの胸が大きく一つ鼓動した。
視界を覆う指の隙間から、少しの光が差し込む。アリアの小さな手では、アルの目を完全には隠せていないらしく、そんなことでさえアルには愛おしく思えた。
一行は、目隠しされたアルを先頭に大通りを進んでいく。そして、硫黄の香りが薄れていったところで、アリアは覆っていた手を緩める。
「――やっと解放された」
アルは無意識的に大きく息を吸う。すると、体を巡る血の流れが、ゆっくりと普段の速度に戻っていく感覚があった。
「アルフォート様、どうされますか? この町には貴族家の屋敷がないので挨拶に行く必要もありません。宿泊するなら宿をとる必要もありますし」
「そうですね……」
アルは辺りを見回す。自らの行動に赤面したアリアは置いておいて、とりあえず宿泊できそうな場所はないかと探る。
アイザック王国の識字率は比較的高い。そのため、店の前には文字の書かれた看板が掲げられていることが多く、その他にも店の絵が描かれた看板もちらほらと散見される。
ぱっと確認できた宿屋は3軒。
まずは、町の入り口付近にあった非常に立派で豪勢な宿屋。本来ならばその宿屋に宿泊する予定だったのだろうが、またあの大通りに戻るとなると同じように目隠し状態で進むことになる。……それは、アルのなかではあり得ない選択肢だった。
次は、少し遠くに見える宿屋の絵が描かれた看板の店。こちらはリーズナブルな価格帯を推しにしたような簡素な宿屋だった。ただ、貴族の令嬢の宿泊先と考えると、分不相応すぎるようにも感じられる。
となると……。
アルはぱっと視線を上げて、「赤翼亭」と書かれた看板を見る。大きくも小さくもなく、外観はそれなりに清潔な状態を保っている。大通りにも面してはおらず、非常に落ち着いた印象の宿屋だ。
「ここにしましょうか。雰囲気も良さそうですし」
「そうですね。防犯面でも、ここならば問題ないかと思います」
アルの提案にシャナも同調する。アリアとメイアも異存はないようで、首を小さく上下させる。
「いらっしゃい! 赤翼亭へようこそ!」
扉を開くと、アルよりも少し背の低い女の子の元気な声がアルたちを迎える。店番をしているその女の子は、二重で特徴的な大きい目をしており、表情は生気で溢れていた。
彼女は元気な挨拶を終えると、カウンターから出てきて羊皮紙に何かを書き始める。
「えっと、1、2、3……」
そこで声が止まる。彼女の目は、アル達の後ろにいた老人スクルトのところで停止する。彼がアル達の同行人なのか、もしくは下男か何かだと考えたのかもしれない。
そんな空気を察してか、スクルトはアルの耳元で小さくささやく。
「坊ちゃん。俺は別の場所で」
「そうですか。……では、これを」
アルは小袋を取り出してスクルトに渡す。すると、その小袋の重量感にスクルトは目を見開く。そして、困惑気味にアルの方を見た。
「……こんなに頂いていいんですかい?」
「えぇ、一日だけですけど、ご家族にいい物を食べさせてあげてください」
「――っ!」
スクルトは息を呑む。スクルトの出身について、また家族構成などをアルに話した覚えはない。別段、隠していたわけでも無いのだが、変に気を遣わせないために聞かれるまでは口を閉ざしていたのだ。
しかし、アルにはお見通しだった。
「……こりゃあ参った。ちゃんと家族にサービスしねぇとな!」
スクルトは、いつもよりもはにかんだ笑顔を受かべつつ、小袋を少し持ち上げてアルに微笑んだ。そして、軽い足取りで宿屋を後にする。
「――4名様ですね! それで、あの~……」
さっきまで元気そうだった彼女の笑顔は、一瞬のうちに陰りを見せる。その表情の変化だけで、その後に続く言葉は何となく予想はできた。
「あのですね、お部屋のほうが少なくてですね。できれば、お一部屋だけにしてもらえると助かるのですが……」
「ひ、一部屋ですか!?」
アリアが珍しく大きな声を上げる。しかし、その声色には「拒絶感」よりも「喜び」の色のほうが濃いように思われた。表情も心なしか赤く、目には少しの輝きすら見受けられる。
「申しわけありませんが、流石に一部屋に泊まるのは厳しいですね」
アルは彼女の提案を丁重にお断りする。その時、アリアから「え?」という小さな声が漏れたような気もするが、アルは敢えてそこには触れない。
「町の入り口にも大きな宿屋がありましたし、そちらに――」
「――『行楽館』ですか!?」
アルの言葉尻と重なるように、店番の女の子の声が店中に響く。
「『行楽館』はやめておいたほうが。最近、変な噂もよく聞きますし、今からならお金もたくさん掛かっちゃいますよ」
商売敵の悪口を言うのはあまり感心しないが、彼女の言葉からはアル達への純粋な心配が見て取れる。おそらく彼女の言っていることは本当のことで、この町の住人からすれば当然の情報なのだろう。
しかし、観光しにくるような者はそれなりにお金を持っているため、できるだけサービスのよい宿屋を探す。それ故に、町の入り口付近に拠点を構えている「行楽館」に流れる客が多いのだろう。
「……それにしても、あまり賑わってはいないように見えますけど」
ここまで黙っていたメイアが、店の様子を見ながらそう問いかける。確かに、「赤翼亭」は酒場も兼ねた宿泊施設であるように見えるが、昼前の店には客の姿は全く見えない。
「あー、そのことですか……」
店番の女の子は、少し困ったように眉を傾ける。そして、ゆっくりと事情を話し始めた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
更新速度が落ちてしまい、本当に申し訳ないです<(_ _)>
これからもマイペースに更新していくので、気長にお待ちいただけると嬉しいです(´;ω;`)




