166話 旅路(2)
大噴水を越えて街の大通りを進んでいくと、街の最深部に聳え立つ立派な屋敷が目に飛び込んでくる。
赤みがかった空の下に、石造りの豪邸が対照的に建っている景色は、非常に神秘的だった。夕焼けのアーレの街は色彩鮮やかで、美しさで溢れている。
屋敷の大門にもうすぐ辿り着くと言うところで、門番をしていた二人の衛兵が目に映る。
しかし、アルたちの姿を見つけた瞬間に、片割れの衛兵は勢いよく踵を返し、屋敷のある方角へと走っていく。そして、少し経った後に一人の女性を引き連れて帰ってきた。
「――アリア・サントス様にアルフォート・グランセル様、お待ちしておりました」
暗めの茶髪を綺麗に結った女性が、お手本のようなお辞儀で挨拶をする。服装はかなりしっかりとした作りになっており、これが制服ならばオーグスハス伯爵家の財力は相当なものであると分かる。
女性使用人の後ろで、衛兵たちは大きな門を開けている。その様子を見つつ、アル達は彼女の前まで歩いていき、小さな礼を返す。薄っすらと赤かった空は、少しずつ黒い色を含み始めていた。
「予定よりも少し遅くなってしまいましたが、今から伯爵殿にご挨拶することは可能でしょうか?」
「はい。ご主人様よりお見えになった際はお通しするようにと指示を受けております」
彼女は用意されていたかのようにすらすらと言葉を返すと、「こちらです」と一言続けた後に、もと来た屋敷の方へと歩き出す。アル達は開かれた大門をくぐりつつ、彼女の背中を追う。
「――ご主人様、お見えになりました」
大きな屋敷の最上階。アルが予想していたよりも質素な扉の前で彼女は止まり、その扉に近づいて声をかける。
すると、無音の扉が中から開かれる。そして、すらっと背の高い丸い眼鏡をかけた男性の顔がのぞく。扉を開いたのは部屋の中に控えていた使用人であり、その男性はティーカップを片手に、机の傍に立っていた。
「お初にお目にかかる。私はダラム・オーグスハス。……いやはや、有名な二人に来ていただけるとは、実に光栄なことだ」
切れ長の目が、アル達を見据える。その視線には、少しの好奇心と猜疑心とが混在していた。
「かの有名な」という言い回しに、少しのとげがあるようにアルは感じ取るが、あの目からは馬鹿にするような意図は一切感じ取れない。
「サントス公爵家次女、アリア・サントスでございます。本日は、ツーベルグ魔法王国への留学の道中、立ち寄らせていただくことへのご挨拶に伺いました」
「了解している。初の交換留学ということだ。あなたたちへの期待は非常に大きなものであり、そのプレッシャーは私には計り知れないものでしょう。もし、宿泊先が決まっていないなら、我が家でお過ごしになるとよろしい」
アリアの挨拶に、ダラム・オーグスハス伯爵は相変わらずの視線のまま返答する。
宿泊先は決まっている。一応、宿泊や旅に関する費用は国から用意されており、御者たちが既に宿の手配を始めていることだろう。勿論、伯爵からの好意を無下に扱うことはできないし、生活環境的にも屋敷で寝泊まりできる方がいい。しかし。
「いえ、公費をいただいて――」
「――公費とは、民より徴収した税金から賄われているものであり、些細な金額であっても浪費すべきではないのでは?」
アリアの言葉を、オーグスハス伯爵の言葉が遮る。公費の使用は正当なものだ。しかし、無用な金銭を使用するのも正しいとは言えない。勿論、アルやアリアがアーレの街の宿舎に泊まることで、お金を市場に回す効果もある。ただ、その行為を国民がすべて理解しているということでもない。
「……その通りですね。では、一晩お邪魔になります」
「それがよろしい。じきに夕餉の仕度が終わるだろうから、使用人を向かわせるようにしよう」
「お心遣い、感謝いたします」
アリアは複雑な表情を浮かべつつも、小さく礼をしてその場を去る。アルとシャナ、メイアも同様に礼をしてアリアの背を追う。
「――なんですか、あの態度は!」
案内されて入った部屋の中で、メイアは怒りをあらわにする。勿論、部屋はアルとアリアと別々に用意されており、この部屋にいるのはアリアとメイアだけだ。
彼女の怒りは、さきほどの一件にあった。しかし、アリアは小さく首を振ってそれを否定する。
「――あちらは領地持ちの伯爵位。それに対して、私は公爵家の娘ではありますが、準貴族扱いの身分です。だから、オーグスハス伯爵様の対応は、何も間違っていませんよ」
「そう、ですが……」
そのことはメイアも理解している。しかし、13歳の令嬢に対しての対応と考えると少しばかり辛辣すぎると感じていた。そして何より、あの場にいて助け舟を出さなかった青年に対しても、メイアは静かな不満を抱いていた。
◇
「――いやはや、こうして晩餐を共にできて光栄ですな!」
豪勢なテーブルに、向かい合うように両者は着席していた。ダラムは、先ほどとは打って変わって明るい表情で世辞を続けていた。あまりの変貌ぶりに、アリアは少しの違和感を抱く。
「……こちらこそ。近年、農産業でめざましい発展を見せているオーグスハス伯爵様とお話しできる機会を頂けて、光栄に思います」
「――っふ、軽い言葉ですね」
ダラムと同じように、すらっとした体格の青年は、アリアの言葉に嘲笑する。ダラムは、少し冷ややかな視線で彼を一瞥すると、少し前に見た視線をアリアたちに向ける。
「……これは、長男のマリウスです。今年19になり、お二人よりは少しだけ年上になります。ただ、まだまだ若輩者で――」
「父上、なぜそれほどに気を遣われておられるのですか! 公爵家の者とはいえ、父上のほうが身分の上では高いのですよ!」
マリウスは声を荒げる。さっきまでは何とか堪えていたのだろうが、我慢の限界が来てしまったようだった。マリウスは、鋭い視線でアリアたちを睨みつける。
「……すみません。息子が」
「いえ、おっしゃられていることは間違っていませんので……」
事実、この席での会話だけを聞くとダラムがアリアたちに謙っているように見えるだろう。確かに、アルやアリアは公爵家の子息であるのだが、身分の上ではダラムがこれほどに謙るような必要はないのだ。
場に重苦しい沈黙が訪れる。アリアは、この空気を変えるべく声を上げる。
「――それにしても、豊かな大地ですね! 今日、『大噴水』も拝見しましたが、あれほどに大きな噴水は王都でも見たことがありません!」
「お気に召されたなら幸いです。あれは、街の近くを流れる大河、スプリト川から水を引いて作られたものです。アーレは王都よりも内陸部にありますが、水に関しては王都よりも豊富でしょうな」
「……なるほど。スプリト川の水は農作物にもいい影響を与えているのでしょうね」
作物を育てるうえで、水の有無は重要な問題だ。比較的内陸部にあるオーグスハス伯爵領では、気候はそれなりに安定しているものの、降水量は比較的少なく、近くに大河であるスプリト川が流れているのは、非常に大きな意味を持つ。……そう、アリアは考えていた。
しかし、ダラムは小さく首を横に振る。
「我が領の農産業が発展しているのは、ひとえに『魔法』によるところが大きいでしょう」
「魔法、ですか?」
想像だにしない答えに、アリアは目を細める。その表情の変化を目ざとく見ていたダラムは、何かを閃いた悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「アリア殿は、魔法で水を作り出すことができますか?」
「……えぇ、生活魔法の『給水』を使えば、少量ですが水を作り出すことは可能です」
「では、その『給水』で作り出された水と、水属性魔法によって作り出された水とは全く同じものだと思いますか?」
アリアは黙る。
生活魔法の「給水」は、本当にごく少量の水を作り出すことができる魔法だ。これは、人間ならば一部の例外を除いて殆ど全ての者が扱える魔法であり、日常に溶け込んだものでもあった。故に、水属性魔法で生み出された水と、「給水」によって生み出された水の違いなど、考えたこともなかった。
アリアの沈黙を受けて、ダラムは一度長く目を伏せる。
「答えは同じように見えて、少し違います」
ダラムは生活魔法である「給水」を行使して、少量の水を自らのグラスの中に注ぎ込む。
「『生活魔法』は、人間ならば殆ど誰でも使える汎用魔法ですが、そこに魔力消費は殆どありません。それに対して……」
ダラムは自らの右手を前に差し出し、水属性魔法の初級魔法「水球」を発動させる。そして、空になったお皿の中に、溢れんばかりの水が注がれた。
「属性魔法はそれなりの魔力を消費することでようやく扱うことができるもの。……さっきの、『給水』によって作り出された水には、全くと言っていいほど魔力は含まれていない。しかし、水属性魔法によって作り出された水には、かなりの魔力が込められている」
「つまり、オーグスハス伯爵領では水属性魔法によって生み出された水によって農作物を育てている、ということですか?」
ここまで一切会話に入らなかったアルが、ダラムの結論を代弁する。すると、面白いものを見つけた少年のような視線がアルの方へと向かう。
「その通りだ。……やはり、君は頭がいい」
「その研究は非常に興味深いですね。僕ですら、初めて聞く情報でした」
「――っふ、金持ちのお坊ちゃんには到底理解不能な話だ。特に、サントス公爵家の次女についてはお話にも――っ!?」
突然、何かに縫い付けられたようにマリウスは口を閉ざす。向かい側に座っている年の割には大人びた青年は、マリウスに向かって綺麗な笑みを向けている。それなのに、その笑顔には得も言われぬ凄味があった。
「――一度は見てみぬふりをしましたが、アリアさんを侮辱するのはやめて頂けますか? オーグスハス伯爵殿は貴族の位を得ていますが、マリウスさんは僕たちと同じ準貴族扱いです。となると、サントス公爵家への非礼は、そのまま伯爵殿の失態となります」
「もし、次に同じことがあれば……」
アルは張り付けた笑顔を取り払い、真剣な目を彼に向ける。既に顔面蒼白になったマリウスは、アルの綺麗な顔を見て、大きく身震いさせる。
「――分かった。アリア殿も、すまなかった」
マリウスは、早々に非礼を詫びる。そして、何度目かの気持ちの悪い沈黙が場に流れる。
「オーグスハス伯爵殿、素晴らしい晩餐に感謝申し上げます。ただ、この場を収めるためにも本日はお開きにしたほうがよいと思いますが」
「その通りだな。愚息の非礼、臥して詫びる」
「……いえ、伯爵殿の意のままに動いたまでですよ」
アルはそう言い残して席を立つ。そして、その後を追うようにアリアたちが部屋を出ていった。
残された伯爵家の者達は、数秒間動くことすらできないでいた。しかし、唐突にダラムが大きな笑い声をあげた。
「――ハハハハハ! やはり、噂通りの傑物のようだな」
「もとを辿れば、父上が言い始めたことですよ! 『ぬくぬくと育ったお坊ちゃんにお灸を据えるか』と」
「そうだな。……いい経験になっただろう?」
ダラムは面白そうにそう言う。そして、ようやくマリウスは自分が「踊らされていた」ことに気が付いた。
「……そういうことですか。確かに、頭の回転の速さといい、あの目から伺える力強さといい、俺には無いものをたくさん持っているとは思いました」
あの顔、そしてあの目を思い出すだけで、マリウスの背中に冷たい汗が流れる。冷静な頭で考えると、尊敬する父と同等に語り合える知識量と度胸は相当なものだ。
ただ……。
「――ただ、全てを負けるわけにはいきません! 何か、何か一つでも勝ってみせます」
◇
廊下を歩く金髪の美女は、長い髪を揺らしながら青年の背を追う。
「――アル様、あの、申し訳ありませんでした!」
実は、今回の挨拶についてはアリア主導で動くことが決まっていた。言い出したのはアリア本人であり、アルにだけ負担をかけまいという彼女なりの心遣いだった。それ故に、アルの手を煩わせまいと積極的に前に出ていたのだ。
しかし、上手くいかなかった。結局、アルに助けられてしまい、アリアは自分が情けなくて仕方がないという気持ちに苛まれていた。
ただ、アルは彼女に優しく笑いかける。
「大丈夫ですよ。あれは『茶番』ですから」
「――え? 『茶番』?」
アルの言葉を、アリアの脳は上手く処理できない。それほどに、予想だにしない言葉だった。
「あれは全てオーグスハス伯爵が僕たちを試していた、ただのお遊びです。ただ、マリウスさんにも知らされていなかったみたいですけど」
「……そう、だったんですか」
言われてみれば、オーグスハス伯爵の動きはおかしかった。あの視線といい、明らかな態度の変貌といい、アリアたちを試していたと言われると、すんなりとそれらの動きが紐づいていく。
「おそらく、後日正式に謝罪に来られると思います。ただ、罰を与えられるほどのことでもありませんし、アリアさんが気にされることじゃないですよ」
アルはそう言って、何事もなかったかのように歩き出した。アリアの目には、彼の背中には翼が生えているように見えた。
アルと別れた後、アリアは部屋のベッドで横になっていた。灯は消えており、部屋の中には窓から差し込む月の光と、アリアから発せられる少しの熱しかない。
今日の出来事を振り返る。
夕刻までは楽しかった。初めてアルと街を自由に歩き、美味しいものを食べて……。アルの周りが見えなくなってしまうほど熱中している姿も、アリアにとっては楽しい出来事の一つだった。しかし、それ以降は……。
「私は、ほんとうに……」
不甲斐なかった。
自分から言い出したことであるのに、あの時アルが助けてくれて、心の中ではホッとしていた。
アルならば、本当に自分が困ったときは助けてくれる。あの時、そんな安心感がアリアの心の中に浮かんでいたのだ。
「戦う強さだけじゃなく、もっと別の強さもあるのですね」
アリアは自分の不甲斐なさと、自分の目指すべき道を抱きつつ目を伏せた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
少し長い話になってしまい申し訳ありません<(_ _)>
途中で区切るにも、いいところが見つけられなかったものですから、そのまま書き連ねてしまいました(´;ω;`)
更新速度は少し落ちてはいますが、これからも書き続けては行きますので、もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです!!




