164話 朝と宵
気持ちのいい朝。
大きな部屋の中で、いつものように畏まった衣服に身を包んだ王女は、一人黙々と文献を読み漁っていた。こんなに澄んだ空なのに、部屋の中は重く湿った空気で充満していた。
使用人のクラリスは、そんな王女に付いて朝から行動を共にしていた。もうじき、予定の時間は過ぎようとしている。
「――行かなくても良かったのですか?」
「どこに?」
クラリスの抽象的な問いかけに、第6王女セレーナは端的な言葉を返す。クラリスが何を言わんとしているか、セレーナとて理解はしているはずだ。しかし、敢えてクラリスの問いかけの省略部分を汲み取ろうとはしない。
二人の間に重い沈黙が横たわる。
あの日、アルフォートとセレーナが会った日から、セレーナの放つ雰囲気が変わった。それは、いつも近くにいるクラリスだからこそ感じ取れるものでもあった。
何があったのかは分からない。しかし、それがセレーナにとって重要な出来事だったことは、クラリスにも容易に想像ができた。
だからこそ、彼が旅立つ今日の日は、必ず見送りに行くものだと思っていた。しかし、もうその時間は過ぎようとしている。
「いいのよ。私は私で、やらないといけないこともあるしね」
そう言って、セレーナは古本のページをめくる。それは、これまで読んでこなかった「アイザック王族法」の一頁だった。
◇
緑の草原に、一団はくつろいでいた。王都を出発して2日が経過しているが、その一団には少しの緊張感があった。
「アル様、どうぞ!」
「ありがとうございます」
アルは、アリアから差し出されたティーカップを受け取ると綺麗な笑みを彼女に向ける。
優しい茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。少しフルーティーな香りと共に、茶葉独特な渋めの匂いが混ざり合う。澄んだ水には赤に近い褐色が溶け込んでいた。
アルはそれを少し口に含む。
「……美味しい。初めて飲むお茶ですね」
「それはサントス公爵領の紅茶です。産地がコーマル山脈ということもあって、比較的高価なお茶なのです」
コーマル山脈とは、サントス公爵領に位置する山脈の名前だ。そこには独自の文化が根付いていて、交流の閉ざされた部族が点在しているという。
そして、そこでしか取れない茶葉だからこそ、ごく少量しか流通していないのだろう。
「そんな高価な品だったのですね……。いいんですか? 貴重なものなんじゃ……」
「いいんです! アル様のお茶の趣味も知りたいですし……」
アリアは自分で言いつつ、後半へ行くほどに顔を赤らめていく。アルのことなら何でも知りたい。そんな気持ちの表れだった。
アルも、アリアの純粋な好意に胸が高鳴る。そして、二人の視線が交わると、同時に大きく胸が鼓動する。
「――んんっ! お二人とも、あと少しで出発しますので、そろそろ馬車の方にお戻りください」
アリアの付き人としてこの旅に同行しているメイアによって、その場を支配していた薄桃色の空気は霧散する。少し恥ずかしそうに顔を赤らめた二人は、ゆっくりと腰を上げて馬車の方へと歩いて行った。
「……本当に、一緒にいられなかった時間を埋め合わせているみたいですね」
「同感です」
メイアの言葉に、苦笑気味なシャナが同調する。二人でこんなに長く一緒にいられるのは、本当にいつぶりのことか。
メイアもシャナも、二人の気持ちはよく分かる。しかし、この甘い空間を共有するのは、非常に辛いものがある。
二人は早々に後始末を終えて、馬車へと向かう。メイアが馬車の扉を開けると、二人が何やら話をしている光景が目に入る。
「――ですから、肌身離さずに持っていてください」
「分かりました!」
丁度話が終わったタイミングで、何を話していたのかはよく分からなかった。そして、メイアが入ってきたのを見たアリアは、銀色の何かをさっとポケットに忍ばせた。
「どうかされましたか?」
「い、いえ、何もありませんよ」
純粋ゆえに隠し事が苦手なアリアは、少し言葉を詰まらせる。何かあったことは推して知るべしなのだが、突っ込んで話を聞くわけにもいかない。
メイアは不思議そうに首を傾けつつも、何事もなかったかのように馬車の中に入る。その後ろを追うようにシャナが馬車に乗り込んだところで、御者はゆっくりと馬車を動かし始める。
「この先は様々な貴族の領地を通ることになります。面倒かもしれませんが、その領地を賜っている貴族家へ挨拶に向かわないといけません」
メイアは比較的真面目な話を切りだす。ここまでは王族が所有する土地を進んできたのだが、もう少し進むと他家の貴族が所有する土地に入ることになる。必ずしも挨拶をしないといけないわけではないのだが、今回は初めての「留学生」として他国へ向かう道すがらということもあり、公的な旅である部分が強い。
それ故に、できるだけ挨拶に向かう必要性があった。
「……と言っても、グランセル公爵家とサントス公爵家に比較的友好的な領地しか進まないようになっているので、そこまで身構える必要はありませんよ」
「そう、なのですか」
「大丈夫ですよ。アリアさんはしっかりしていますし、何かあったら僕が何とかしますので」
みるみる赤くなるアリアの頬。無意識的にこういった発言ができてしまうアルに、メイアやシャナまで心が揺れてしまう。
「……あと4か月間、これを見続けなくてはならないのね」
メイアは自分の心と、アリアの心の平穏を祈りつつ、肌に張り付く薄桃色の空気を逃がすべく窓を開ける。そして、流れる景色を眺めていた。
◇
薄暗い部屋に、二人の男性が向かい合う。見え隠れする白髪は、二人の年齢の高さを思わせる。
「――陛下、お話というのは」
陛下と呼ばれた男性は、重い腰をソファに下ろす。そして、未だに立ったままでいるもう一人の男性を労うように声をかける。
「セイムス、そこに座れ。今日は『宰相』としてではなく、『友人』として話したいのだ」
セイムスは、『友人』という言葉に頬を緩める。そして、ゆっくりと陛下に歩み寄り、真正面に向かい合うように用意された柔らかなソファに腰かける。
少しの沈黙の後、アイザック王国国王ユートリウス2世は重々しく口を開く。
「……私はセレーナこそ次の『王』にふさわしいと思っておる」
力強い言葉に、セイムスは何も言えずに次の言葉を待つ。ユートリウス2世は溜まっていた水が溢れ出したかのように、ゆっくりと言葉を続ける。
「あの子は強い。勿論、魔法の才能もそうだが、何よりも清らかで実直な性格。それに、力強い味方もおる。――だが、マリウスが黙ってはいないだろう」
「第二王子殿下に『王』の資質はないでしょう。力が必ずしも必要とは言いませんが、王としての道を殿下が進まれることは想像すらできません」
第二王子マリウスは、魔法適性こそ2属性持ちではあるものの、極端にできない武術と臆病さのために、『王』としての資質は皆無と言えた。しかし、本人の野心は相当なもので、王太子が亡くなったいま、正当な後継は自らにあると考えて疑わなかった。
しかし……。
「――ゆえに、祭り上げられるのだ」
ユートリウス2世は、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「……私はもう長くないだろう。王太子の死によって、いずれ跡目争いは激化する。いくら王である私が次なる王を明言しようとも、な」
ユートリウス2世は諦めたような、それでいて何か未練を抱えているような、複雑な二つの感情を混在させていた。ただ、これから来るであろう政変と、自らの願いとの間を行き来する。
「だから、お前には全て明かしておく。私の、終ぞ叶えられなかった『夢』を――」
国王の壮大な夢物語は王城の片隅で展開し、真っ暗な暗闇に吸い込まれていく。儚い夢は、机上の空論と化し、セイムスはその夢物語に耳を傾けていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
新章一話目の投稿です。
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