幕間 ニーナの一日
※幕間です。
ニーナのお話を書きたかったので……。
まだ空が白くならない時間帯、青い髪と特徴的な上に向いた大きな耳をもつ女性は、毎日の日課となったとある部屋の掃除を行っていた。
その部屋は今は誰も使っていない場所であり、毎日掃除をする必要はなかった。
しかし、獣人メイドの彼女は、この本で溢れた部屋の掃除を毎朝欠かさずに行っていた。
慣れた手つきでドアノブを回して部屋に入ると、少し古い本の匂いが彼女の鼻腔をくすぐる。もともと、そこまで本好きだったわけでは無いのだが、この部屋の主のおかげで、本の匂いは好きになった。
胸には、幼少期の主から貰ったブローチと、メイド服で隠れてはいるが、最近帰省した時に渡されたペンダントがある。どちらも、「ナナシ花」と呼ばれる伝説上の花をモチーフとしたものだった。
獣人メイドのニーナは、なぜアルが「ナナシ花」をモチーフとしたこれらの品を贈り物として選んだのか、よく分かっていなかった。
ニーナは朝の日課である掃除を終えると、本来の仕事へ戻る。
アルが居なくなってから、ニーナの仕事は非常に単純なものが多かった。
屋敷内での清掃や給仕、そして偶にグランセル公爵の右腕でもあるクランの仕事の手伝いをこなす。手伝いと言っても、街に出ての情報収集が主で、そこまで大変なものではなかった。
アルがいる時にも似たようなことはしていたので、そこまで苦労することもなくクランの手伝いができていた。
しかし、最近は別の仕事も増えてしまった。
「ニーナさん! 今、大丈夫?」
金髪に赤色の目をした少年が、中庭を歩くニーナを呼び止める。両手には、訓練用の2本の木刀が握られていた。
少年は、このグランセル公爵家の次期当主でもあるガンマと生き写しのような容姿をしている。
本来ならば、一介のメイドが親し気に会話することさえ許されないような存在なのだが、この少年、ロン・グランセルは少し違う。
ニーナは、ロンに「神童」として名高いアルを重ねていた。
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、また訓練に付き合ってくれる?」
訓練。
それは剣の訓練のことだと、ニーナは瞬時に理解する。
「分かりました。でも、少しだけですよ?」
「やった!」
ロンの顔に晴れやかな笑顔が咲く。しかし、剣を握ると人が変わったように真剣な表情へと切り替わった。
持っているのは訓練用の木刀だ。ニーナも、用意された木刀を手にして眼前の少年を見据える。
年相応の身長で、まだ筋肉も発達しきってはいない。しかし、これまでの経験と、赤子の時からよく知る「規格外な存在」のために、ニーナの目は肥えていた。
ロンは肩幅くらいに開いた両の膝を一気に曲げて、前傾姿勢になる。そして、右へ左へと蛇行しながらも、鋭くニーナへと向かってくる。
右手に握られた木剣は、少年の左側から鋭く横に振られる。しかし、ニーナは事も無げにそれを避け、二撃の突きを少年に見舞う。
「――はやっ!」
ロンは驚きの声をあげたものの、ニーナの剣をしっかりと避けている。
ロンは絶え間なく様々な攻撃をニーナへと向ける。しかし、その剣がニーナに当たることはなく、ニーナの反撃も同様だった。
お互いに決め手がない状態で、訓練は続いていた。
ニーナが、そろそろお開きにしようかと思った瞬間、ロンは大きな深呼吸を一つする。そして、小さなの口から「試してみようかな」という呟きが漏れる。
ロンとニーナとの距離は約10メートル。これだけの距離を詰めるには、それなりの時間を必要とする。
実際、これまでロンの動きを終えなくなったことはないし、いくらロンが強いとは言っても、獣人のニーナよりは速度の面でも筋力の面でも劣ることは必至だった。
それ故に、ニーナの中には小さな「油断」があった。
ロンはゆっくりと腰を落とす。そして、今にも飛びだしそうなほどの前傾姿勢で固まっていた。
ニーナは少し怪訝な表情を浮かべる。その動きは、今までのロンの動きとは一線を画すものであり、何か策を講じていることはすぐに分かった。
しかし、そのためにはこの距離を詰めるために動く必要がある。
ニーナは、そう考えていた。斬撃が飛んでくるまでは。
「――っ!」
飛んで来た斬撃を、ニーナは危機一髪のところで避ける。しかし、ニーナが避けたその場には、身につけていたブローチが横たわっていた。
斬撃は、ちょうどブローチのついていたニーナの胸元少し霞めたのだ。
「……やった、勝ったぁ!!」
ロンは勝利に歓喜する。
これまで幾度となく訓練を持ちかけて、一度として攻撃を当てられなかったニーナに、たった一太刀とはいえ攻撃を当てられたのだ。こんなに嬉しいことはなかった。
しかし、ゆっくりと何かを拾い上げるニーナを見て何かに気が付き、走ってニーナのもとへと駆け寄る。
「ブローチ。これってアル兄様からの贈り物だよね……。ごめんなさい!」
目に涙を溜めて、ロンは勢いよく頭を下げる。
持ち物がアルからの贈り物だったからという理由で謝っているわけではない。この少年は、その人にとってどれだけ重要なものなのかというところをよく考えている。
別に安いものでも、好きな人に貰った物は、その人にとっては唯一無二の宝物だ。そういうところが、ロンをアルと重ねてしまうところだった。
「大丈夫ですよ。これくらいなら治りますから」
幸い、ブローチを留める金具が壊れただけであり、ブローチ自体には当たっていなかったようだった。これくらいの損傷ならば、金具を交換してあげればすぐに直る。
ロンは可愛らしい目で、ニーナを見上げる。
「……ほんと?」
「はい。本当です」
ニーナが笑ってみせると、ロンは心底ほっとしたように笑みを浮かべる。そして、何かを思いついたのか大きく目を見開いてニーナの手を引く。
「じゃあ、僕が直す! だから、直しかた教えて!」
その後、ニーナはロンと一緒にブローチの留め具を一緒に直した。
「ナナシ花」のブローチが、ニーナも胸元に戻る。
仕事は粗方済んでしまい、少し赤色に染まりだした空を見上げる。
「……もうじき日が暮れますね」
少し前、といって大分前のことなのだが、アルがいた時はこうやって空を見上げることはなかった気がする。いつでもアルが近くにいて、退屈を感じる暇さえなかった。
そんな事を思いながら、ニーナは昔を懐かしむ気持ちを振り払うように頭を振る。すると、突然後ろから声がかかる。
「――あ、あの、ニーナさん!」
振り返ると、そこにはグランセル家でも指折りな実力者であるカインの姿があった。ニーナよりは4つ年齢が下の青年なのだが、アルを慕っていたこともあり、以前からよく話す間柄ではあった。
しかし、アルがいなくなってから、カインも仕事で忙しくなり、話す機会はめっきり少なくなっていた。
「カインさん。どうかしましたか?」
「い、いえ。その、これからお暇かな、と」
顔を真っ赤にさせて、カインは目を泳がせる。
ニーナは少し不思議そうに小首を傾げつつ、目の前の青年を眺める。仕事は、もうない。
「……えぇ、今日の仕事はもう終わってしまいましたし」
「それなら、ちょっと街に出ませんか? あの、アルフォート様の件でお話したいこともありますし!」
アルの名前を出されたら、考える必要はない。
二人は、夕暮れの街へと歩を進めていた。
「――それでですね、あの方は私の剣を、こう、斜め下から弾きまして、あれにはもうお手上げでした!」
「そうなのですか」
お酒を飲んで少し興奮気味なカインは、身振り手振りで剣の軌道を説明しつつ、少年のような笑顔でアルトの訓練の内容を語っていた。
二人が食事をとっている場所は、ユートピアの街の、カイン行きつけの酒場だった。それなりに繫盛はしているようだが、机と机の距離がそれなりに離れているため、周りの声はそこまで気にならなかった。
カインが嬉しそうにアルとの訓練の話をしているのをひとしきり聞いたのち、ニーナは本題に移る。
「……それで、アルフォート様の件でお話したいことって、今の話ですか?」
「いえ! さっきのはまた別です」
さっきまで興奮気味だったカインは、少し周りを見て、少し小さな声で話し始める。
「ニーナさんも聞いたかもしれませんけど、アルフォート様は冒険者になられるそうです」
「……えぇ、私もそう聞いています」
その話はニーナも聞いていた。
ニーナも、アルは当然のように王国騎士か宮廷魔術師になるのだろうと思っていた。しかし、アルの性格を考えると、何かに縛られない冒険者という職業に憧れを抱いてもおかしくはないとも思っていた。
その考えはカインも同じだった。
剣、魔法、戦術……。どれを取ってもアルは優れている。おまけに頭もよく、どんな苦難に見舞われても自力で対処できてしまうだろうとさえ思っている。しかし……。
「アルフォート様のことだから、私なんかが心配するようなことはないのだと、頭では分かっているのですが、やっぱりあの才能を埋もれさせるのは忍びないです」
カインは、アルの事を本当に尊敬していた。
それ故に、アルには危険のない場所で、存分に力を発揮してもらいたかったのだ。あの才能を散らすことが、怖くて仕方がなかった。
カインは、真剣な表情をニーナに向ける。
「ニーナさんは、どう思っていますか? 私なんかより、多くの時間をともにされているじゃないですか」
「そうですね――」
ニーナは少し考え込む。そして、ゆっくりと言葉をこぼし始めた。
「私も、アルフォート様の才能は、この世界で随一だと思っています。武術も魔法も、それに頭の良さも……」
アルの桁外れの才能を、ニーナはずっと前から見てきた。それはもう、おとぎ話の主人公のような、そんな桁外れの才能を。
しかし、それよりももっと、アルの人格を知っている。
「――でも、アルフォート様には何より幸せになってほしいのです。……好きに生きて、誰かの為じゃなくて自分の為の人生を送ってほしい。それが私の想いです」
嘘偽りない、本当の気持ちだ。
アルの才能が埋もれることや、アイザック王国の繁栄など、ニーナにとっては些細なことだ。アルが本気になれば、貴族に取り立てられることなど容易なのだから。
それよりも、アルには人としての幸せを追い求めてほしかった。それこそが、ニーナの本心だったのだ。
カインは少し驚いたように沈黙する。しかし、すぐに目を細めて頬を緩める。
「……やっぱり、ニーナさんは素敵な女性だ」
「――え?」
突然の言葉に、ニーナは小さな驚きを見せる。すると、カインはゆでだこの様に顔を真っ赤にさせた。
「な、何でもありません!」
夜は次第に深くなる。
二人の会話は、尊敬できる「主」の話で盛り上がっていった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
面白い、先が気になる……。
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もう一、二話くらい幕間を挟んで、第六章に進みたいと思います!!




