161話 意思と策略
眼前には、赤い豪華な布に金色の綺麗な刺繍が施された絨毯がずっと続いている。
アルは、第6王女セレーナの傍付きであるクラリスの後について、その豪華絢爛な廊下を歩いていた。
「――殿下は、今朝からお部屋に閉じこもっておられるのです」
足を止めず、クラリスは後ろをついてきているアルにそう話す。
少しの間、二人と行動を共にしていたアルは、彼女たちの深い信頼関係をよく知っていた。それ故に、クラリスにすら話せない問題を自分に話してくれるのかとアルは不安を感じる。
しかし、クラリスはそうではなかった。
「……でも、アルフォート様ならお会いになるかもしれません」
「それはどうしてですか?」
クラリスは一度足を止めて、アルの方を見る。
彼女の目には金髪の端正な顔つきをした青年が映る。賢さと強さは彼女も知る所であり、その上で性格も温厚であり日の打ち所のない青年だ。
クラリスとて、それはよく理解している。しかし、セレーナが彼を信頼する理由は、もっと違うところにある気がした。
「私にも分かりませんが、殿下はアルフォート様のことを慕っておられるご様子なので」
クラリスは、少し複雑な表情を浮かべつつ、再び歩を進めた。
◇
大きな両扉の前でクラリスは足を止める。そして、慣れた手つきで扉をノックした。
「――殿下、クラリスです」
部屋の中からは、物音一つ聞こえない。クラリスは、小さく眉間に皺を作りながら目を閉じる。
いくら長い時間を共に過ごしていても、いくら寄り添いたいと願っていても、身分の差以上の何かが二人を隔てていた。
この大きな隔たりを越える何かを、クラリスは持っていない。そんな自分の非力さを嘆きつつも、クラリスは最後のカードを繰り出す。
「アルフォート様がお見えになっておりますが、いかがなさいましょうか」
ガタッと、部屋の音で誰かが動く音が聞こえる。それだけ、セレーナの中で「アルフォート」という名前は大きな意味を持っていた。
音が聞こえて、少しの時間が経った。
すると、扉がゆっくりと開いて、暗い表情のセレーナが顔を出す。
「……どうぞ」
「失礼します」
アルは開かれた両扉の間をすり抜けて、招かれるままに部屋に足を踏み入れる。
想像よりも質素な部屋には、アルの部屋ほどではないが沢山の本が置かれてある。基本的には、魔法系統の本に偏ってはいるが、帝王学や政治方面の学問にも手を出しているらしかった。
アルは部屋の主を見つめる。
普段は尖ったナイフのような雰囲気を醸し出し、人に弱い部分を晒さないように常に気を張っている彼女だが、アルの目に映る今の彼女は非常に弱々しい。
「……私、この国が好きなの」
ポツリと、セレーナはそう漏らす。
おそらく、本心なのだろうという事は、アルにも分かった。
しかし、その言葉の後に続いたのは自嘲気味な笑顔だった。
「でも、私じゃ王様にはなれない。私じゃ、無理だわ」
「それは、殿下の本心ですか?」
アルの問いかけに、セレーナは少し怪訝な表情を浮かべる。
視線にはアルに対する不満と、純粋な疑問の2つの色が含まれていた。
「……どういうこと?」
セレーナの問いかけを受けて、アルは少し遠い視線で窓から見える街を眺める。
一見、平和そのものに見えるこの国も、色々な問題を内包している。
それは、最近頻出している魔族の事もそうだが、それ以外にも問題となり得る火種は無数にある。
「この国は今、様々な問題を抱えています。各地で異変が起こっていて、まだ表面化していない問題も沢山あるでしょう」
「……そう、なのでしょうね」
ためらいながらも、セレーナはアルの言葉に同調する。
元をたどれば、いつからこの国の歯車が狂い始めたのか分からない。
セレーナは、自国は平和そのものなのだと思って疑わなかった。
有能で国民想いの王に、心優しく勇敢な王太子。未来は限りなく明るく、自分もその栄華に一役買えればいいと、そう思っていた。
しかし、その夢は消え去った。
王太子は死に、国王であるユートリウス2世は老いてしまった。
この国の希望は、もう何も見えない。
そんな事を考え、表情に影を落とすセレーナに、アルは力強い声をかける。
「世継ぎは独り立ちしていないと、国は落ち着きません。今、この国が成さないといけないのは、誰が次の王となるのかを決めることです」
「……貴方は、私に王になれって言うの?」
「そうです。殿下以上に王の器にふさわしい人物はいないでしょう」
「……王の器?」
セレーナは再び怪訝な表情を浮かべる。
「王とは、神ではありません。万能である必要も、有能である必要もありません」
「じゃあ、王には何が必要なの?」
王は誰よりも有能で、有事には先頭に立って民を先導する。
それこそが、アイザック王国の王族としての訓示だった。だからこそ、勇猛な第一王子が王太子になることに対して、一切の意義が出ることはなかった。
第2王子は貧弱で狡猾であり、おおよそ王の素質はない。しかし、だからと言ってセレーナは自分の王の素質など考えもしなかった。
しかし、アルは違った。
「民を思う気持ちです。誰よりもこの国を、そしてこの国に住まう民を愛している人物こそが、王の器なのです。そして、この国で王の器にふさわしいのは、殿下だけだと僕は思っています」
真っ白で、穢れを知らない。
こんな言葉、沢山聞いてきた。
セレーナを祭り上げて、一旗揚げようとする輩は存外多く、幼いころから嫌というほど「王の器」だと祭り上げられてきたセレーナにとって、こんな言葉は全く心に響かない……はずだった。
「……ふふっ、貴方は本当に」
セレーナは、安堵の気持ちと、胸の奥に小さな炎が灯っていくのを感じる。
白く穢れを知らない言葉は、セレーナの心を強く動かす。そして、狂った歯車が音を立てて動き始める。
「そう。確かに、その通りだわ。できないことは、できる人の力を借りればいい。何でも自分で背負い込む必要はないものね」
自分に言い聞かせるように、セレーナはそう呟く。
そして、傍らの青年に、いつもの様に強気で、それでいて優しい視線を送る。
「……私が王座を獲ったら、貴方にも協力してもらうわよ?」
「できる範囲で、ですけどね」
魔族を滅した「白い炎」は、まるでバフでもかけたかのようにセレーナの心を強くする。
ここに、セレーナ第6王女の旗が挙げられた。
◇
暗闇の中で、目つきの悪い男は「――ちっ」と舌打ちをしながら立っていた。
ガリガリに痩せていて、剣など持てそうにない枝のような腕は、少し強く握っただけで折れてしまいそうだった。
すると、急にもう一つの音が真っ暗な空間に生じる。
病的なほどに痩せた男は、音の方に視線をやる。そこには、真っ黒なフードを身にまとった一人の女性が傅いていた。
「……遅いぞ! 貴様、私を誰だと思っているのだ!」
「失礼をしました。殿下」
平坦な声に、尊敬の念はない。
その事実に、待たされた男は再び苛立ち始めるが、今はそれ以上に重要な案件があった。
「……それで、王が既に世継ぎを決めているというのはまことか?」
「……どうなのでしょう」
あくまで平坦な、馬鹿にしたような言葉に、男は不機嫌さをあらわにする。
「私を馬鹿にしているのか? お前がそれなりのクラスに居られるのは、俺の恩恵があってこそなんだぞ?」
「……」
黒いフードの女性は何も言わない。
それは、目の前の下卑た男の言葉が事実であり、その上で彼女の本心は全く違う方向へと進みたがっていたからなのだろう。
黙り込む女性を見て、男は少し優越感に顔をゆがめる。
「まぁいい。いいか、この国の王になるのは俺だ。お前たちは俺が王になれるよう、ただ働き続けていれば良いのだ!」
黒い空間には、男のいやらしい笑い声が響いた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
更新速度、速くしたい……(切実)




