160話 父の顔
※すぐにもう1話、「ユリウス冒険譚(16)」を投稿します。
次の話で「ユリウス冒険譚」は最後になります。
暗い王城の廊下を、急ぎ足に一人歩く。
王城の最奥。
幾重にも張り巡らされた警備の騎士たちは、彼女を見て仰々しい敬礼をするだけで、その進行を止めようなどはしない。
国王陛下から呼び出しを受けた彼女は、父ユートリウス2世の部屋へと向かっていた。
騎士たちの警備網を抜けて、彼女は初めてその空間に足を踏み入れる。
王の部屋の周囲には、許可を得た者しか立ち入ることはできず、それは王族であっても例外ではない。実際、彼女もここに来るのは初めてだった。
窓などはなく、壁には魔道具による光源があるだけだった。細い廊下を進んでいくと、突き当りに一つの扉があった。
「失礼します」
「――来たか、セレーナ」
扉を開けて、ユートリウス2世は娘を中に迎え入れる。
王らしくない行動だった。常に厳格な父の意外な行動に、セレーナは少し訝し気な表情を浮かべる。
想像よりも質素な部屋には、大きめのベッドと机、大量の書物がそこら中に重ねて置かれていた。
ユートリウス2世は椅子を引き出してきて、立ち尽くす彼女の前に置く。
セレーナは出された椅子に腰かけながら父を見る。
「……お話とは何ですか。それもこんな夜更けに」
ユートリウス2世には、「一人で部屋へ来るように」と呼び出されていた。時間の指定が人の寝静まった深夜帯ということもあり、セレーナは少し身構えていた。
セレーナの問いかけに、王は重い瞼を閉じ沈黙する。数秒後、その目と重々しい口がゆっくりと開かれる。
「……お前と同じ年の頃、私は王太子となった。その頃はいつも、王城から見える景色が誇らしくて仕方がなかったものだ」
「……今はそうではない、ということですか?」
ユートリウス2世の言葉から、今はその感情を持ち合わせていないようにセレーナは感じた。
目の前の存在は、この国の王だ。
誰よりも国を慈しみ、誰よりも身を粉にして尽くすべき存在であるはずなのだ。
ユートリウス2世は、一瞬乾いた笑みを浮かべる。
しかし、すぐにその表情は厳しいものに変わり、冷たい目が彼女へ向けられる。
「王家の歴史を、お前は知っているか?」
「えぇ。勇者ユリウスの子孫であり、代々その血筋を守ってきたと」
アイザック王家の血筋は、辿っていけばこの国を建国した勇者ユリウスに辿り着く。それが、この国に住まう誰もが知っている、王家の歴史だ。
しかし、ユートリウス2世はもの悲しい表情で首を横に振る。
「……それは真実ではない。なぜなら、勇者ユリウスには子がいないからだ」
初めて聞く事実に、セレーナの頭は少し混乱する。
しかし、父の真剣な表情は、何よりもその情報の正しさを物語っていた。
ユートリウス2世は立ち上がり、歩き出す。
部屋の奥には非常に厳重な金庫が設置されており、慣れた手つきで仕掛けを解除し、一冊の古本を取り出し、彼女の前に差し出す。
「これは『負の遺産』だ。王となる者だけが閲覧を許可された、先祖の『罪』だ」
黒い表紙には何も書かれていない。いつから引き継がれてきたのか、かなり時代を感じさせる。
ただの古本だ。
それなのに、目の前のそれは異様な威圧感を放っており、セレーナは目を離すことができなかった。
「……お前は、これを見ることを望むか?」
「私は――」
彼女の声は暗い闇の中に消えていった。
◇
物の少ない寮の一部屋で、臙脂色の制服に身を包んだ青年は読んでいた本を閉じる。
ライゼルハークから帰ってきたアルは、すぐに留学へ向けた準備に取り掛かった。と言っても、大体のことはグランセル公爵家の使用人がこなしてくれていたので、アルがやることなんて本の選定くらいのものだった。
「――うん、この本はいい本だ」
「……そうは言っても、これ以上は難しいと思いますが」
アルが積み上げた本の山を見て、ここまで沈黙を貫いてきたシャナもたまらず声を上げる。公爵家に置いていた本と、学園入学後に買った本たちは、何段もの山をそこらに築き上げている。
一体、どこに隠していたのか。
「大丈夫ですよ。ここからまた絞っていくので」
アルはそう言って飄々としている。
彼女の忠言を聞いているのか、無視しているのか。ただ、自分の才能を見出してくれた恩人を前にして、シャナは黙り込むしかない。
そんな時、一つのノックが部屋に響く。
今日は学園の始業の日で、他の面々は授業に出ているはずだ。アルは留学の準備ということで、特別に欠席の許可を得ているのだが、この時間に寮の扉を叩かれるということは極めて珍しかった。
「誰ですか?」
アルの考えを察したのか、シャナの表情は険しかった。扉を挟んでいても、シャナの言葉のとげを感じ取ったのか、ノックの主は少し間を置く。
「――王家の使いの者です。急ぎの知らせがあり、参上しました」
王家の使い。
そのフレーズに、シャナはアルの方へ視線を送る。アルはシャナに頷いて見せると、彼女はゆっくりと扉を開く。すると、少し質素な衣服に身を包んだ女性が、頭を下げた状態でそこに立っていた。
「お初にお目にかかります、アルフォート・グランセル様。急ぎの知らせゆえ、先触れもなく申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですよ」
アルはそう言って、彼女から「手紙」を受け取る。紙に触れただけで、高級なものであることが分かる。
王家の紋章が施された封蝋を外し、「知らせ」に目を通す。
「……なるほど、陛下から」
文章に目を通したアルは、少し眉を顰める。
ごく簡単な一文だけが記された「知らせ」から、手紙の差出人である国王陛下の様々な意図がアルに頭に流れ込んでくる。
少し、ほんの一瞬の間が場に起こる。しかし、その一瞬をアルの一言が埋めてしまう。
「分かりました。今から向かいましょう」
「馬車は用意しています、こちらです」
アルとシャナは、知らせを届けた女性の後を追って、本で埋め尽くされた部屋を後にした。
◇
「……久しいな。待っておったぞ」
王城の衛兵に連れられて、アルは想像よりも少し小さな、執務室のような場所に通される。そこには既に国王ユートリウス2世が待っており、アルの顔を見るなりそう言葉を投げかける。
アルはその場で跪き、頭を下げる。
国王は「面を上げよ」と一言アルに言って、窓から見える城下町を眺める。
「……私はあの子こそ、この国の王にふさわしいと考えておる。あの子の優しさと強さはこの国の宝だ」
ユートリウス2世は眼下に広がる街をまじまじと見つめつつ、そう呟く。
その呟きには、彼の心からの「慈しみ」と自分への「戒め」の意味がこれでもかと言わんばかりに込められていた。
国王は数秒間そのまま窓からの景色を見つめた後、ぱっと振り返ってアルを見据える。
「何故、そなたを護衛につけたのか、分かるか?」
「……いえ」
国王の質問に、アルはただその一言を返す。何となくの予想はしているが、その答えを知っているのは国王陛下ただ一人だからだ。
ユートリウス2世は、優しさと少しの寂しさとが混在したような表情を浮かべる。
「私はそなたと初めて会った時から、この国には将来なにか災いが起こるのではないかと思っていた。英雄が生まれるのはそういう時期で、そういう場所だからな」
英雄が生まれるのは、その国が混乱に陥った時だ。
これは、神を絶対とするこの世界における真理だった。災いを取り払うために、神が「英雄」を生み出して世界を救う、そういう力が働くとされている。
それは、世界にとっては望ましいことだろう。しかし、その渦中にある人間からすれば、英雄の誕生とは「災い」の前兆であるだろう。
国王陛下は少し自嘲気味に笑った後、一度外した視線を再度アルに向ける。
「……そなたにはあの子の味方になってほしい。私に宰相がいたように、あの子にはそなたが必要なのだ」
そう言って頭を下げる。
その頭がどれほど重く、どれほど尊いのか分からないわけがない。それほどに、彼にとってアルの力が必要だったのだ。
しかし、アルは首を横に振る。
「……申し訳ありませんが、それはできません」
アルは王の頼みを断った。
国王陛下の真剣さは嫌というほどアルにも伝わっていた。しかし、アルには彼とは違う考えがあった。
「……味方とは、誰かに頼まれてなるものではありません。共にいる人間を決めるのはその人自身です。……それに、傍に居るべき人間は常に自分の中にいます」
アルの言葉に、ユートリウス2世は真剣に耳を傾ける。
「私の中には尊敬すべき父や母、そして兄と同じ血が流れています。それは、常に自身の力になってくれます。……陛下が先祖について何か思うところがあったとしても、それと父や母を尊敬する気持ちは全くの別物なのです」
アルの言葉の最終部分で、ユートリウス2世は驚愕する。そして、重々しく言葉をこぼす。
「……なぜ、そのことを」
ユートリウス2世はそう言ってアルの顔を見つめる。
アルの言う通り、彼は自分の先祖についての「負の遺産」を引き継いだ。そのために自分の先祖を尊敬することができないでいた。幼い頃は希望に満ち溢れていたはずの自分の夢も、いつの間にか自らの手から零れ落ちた。
彼はそのことを知っているはずがない。ユートリウス2世はそう思っていた。
しかし、アルの口ぶりからそれは真っ向から否定された。数少ない情報やこれまでの会話から、彼は「真実」に辿り着いたのだ。
「――ふふっ、本当に賢い男だ。うむ、そなたならあの子を救ってあげられる」
今までの少し悲しみを帯びた笑顔ではなく、目の前の少年への「希望」に満ち溢れた笑みが、ユートリウス2世の顔に浮かんでいた。
心からの呟きを終え、緩んだ頬が再度引き締まる。
「共にいろとは言わん。ただ、今日だけは話し相手になってやってくれ」
「話し相手、ですか」
ユートリウス2世は小さく頷く。
そして、まるで昔の自分を思い返しているかのような遠い目で、窓から覗く城下を眺める。
「あの子は今、王になろうとしている。本当に可哀想なことをしたと思う。ただ、それは王になるために必要な『試練』なのだ」
それは、自らの経験をもとにした、確かな「真実」だった。だからこそ、それ以外の道を模索し続けてきたのだ。そして今、我が娘が同じ道を歩もうとしている。
「……ただ、あの子には幸せになってほしい。自分の道を進んでほしいのだ」
自分には不可能だった「別の道」を、娘に模索してほしい。自分では手に入れられなかった「幸せ」を掴んでほしいという、父親の顔がそこにはあった。
そんな顔を前に、アルはもう何も言えない。
「……分かりました。力不足かもしれませんが、お話を聞くくらいならば」
「頼んだぞ」
何ができるかは分からないが、出来るなら幸せになってほしい。
それは、友人である「セレーナ」という女子もそうであるし、目の前のやせ細った老人も同じだ。アルは。どちらにも幸せになってほしかった。
アルは一礼して執務室を出る。すると、そこには見覚えのある顔があった。
「お待ちしていました。こちらへ」
セレーナの傍付きで、少しの間一緒に行動したクラリスは深く頭を下げた後、早足で廊下を歩いていく。
アルは、そんな真剣な彼女の後ろ姿を追っていった。
◇
開いた扉を衛兵が閉じる。
まだ日は高いはずであるのに、あの青年が居なくなって太陽が隠れてしまったように場は重苦しい空気を含んでいた。
「……『あの者を囲うような真似だけは決してなさらないでください』か」
以前、セレーナが言い放った言葉だ。
可能性は無限大。
話すだけで感じられる知性と、体が震えるほどの緊張感。百戦錬磨のユートリウス2世ですら、彼と話すと言い知れない緊張感を抱いてしまう。
「本当に、あの者の底が見えない。……『ななし花』。凶兆とも吉兆とも言われるが、彼はどちらか」
「ななし花」とは、勇者ユリウスがアイザック王国を建国した時に咲いた花とされている。
事実はどうなのか分からない。どんな花なのかは言い伝えでしか残っていない、伝説上の花だ。
珍しい花なので、吉兆として捉えられる花ではあるのだが、その反面で凶兆としても捉えられる両面性を持った花でもあった。
その花が、彼の誕生と被る。
見たい。
彼がどんな人生を送るのか、そしてどんな光景を見せてくれるのかという期待感が、ユートリウス2世の胸を高鳴らせる。
しかし、すぐに表情に影が落ちる。
「……時間が惜しい。あの傑物の最後をこの目で見られないのは、本当に残念だ」
老人の独り言は、陽の光によって作り出された自らの影に消えていく。物言わぬ影は、彼の独り言を飲み込んで、一際大きく笑った。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ユリウス冒険譚の方も、どうぞよろしくお願いします!
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これからも、どうぞよろしくお願いします<(_ _)>




