149話 ライゼルハーク(1)
ライゼルハークの朝は早い。先月から急激に変化を見せた情勢に、アルの後を継いだ執政官は頭を悩ませていた。眠い目をこすりながら、資料と魔の森周辺の街を治める領主からの書簡とを見比べて、何度目かのため息をつく。
ライゼルハークは急速な景気回復を終え、今では高い水準で落ち着きを見せている。中でも下水問題の改善は大きな功績であり、度々他領の領主たちから情報を求められる。ライゼルハークを治めているベルは、その情報をすんなりと引き渡すものだから、周辺の街々も衛生状態が改善されてきている。その御礼として、様々な品が途絶えることなくもたらされ、すっからかんだった宝物庫は文字通り宝の山と化していた。
しかし、決して小さくはない問題もあった。
「……『魔の森から溢れてくる魔物たちの量が増えてきている』。こっちは『冒険者では手に負えず、戦力を貸与してほしい』か……」
最近送られるようになった書簡には、規模や被害には大小あるものの、大体同じような内容が書きつけられている。逼迫した魔物との戦線維持は街の発展には欠かせない物であり、英雄と名高いベルならば現状を打破できるだろうという安易な発想だった。
執政官のケートルは頭を抱えた。流石に、これは自分の判断でどうこうできる範疇を越えている。
そう考えたケートルは、すぐに資料と送られてきた書簡を両手に抱えながら、ベルの元へと走った。
「――あ、見えてきたぞ!」
さっきから忙しなく馬車から顔を外に出していたソーマが嬉しそうにそう報告する。すると、随員たちはこぞって馬車から顔を出して進行方向を見始める。そんなに焦らなくても、今からそこへ向かうのだからと思うアルだったが、アルとて昔王都へ初めていった時はこんな感じだった気もする。
もう随分前の事ではあるのだが、今になると父レオナルドも同じような気持ちだったのだろう。
「へぇー、あれが英雄の治める街ですか……」
「元々侯爵家があった場所と考えると、思ったよりも大きくは無いですね」
「ホークスハイム侯爵家は何度も住む街を変えてきたからね。だから、飛びぬけて栄えた街はなかったと聞くよ」
アルが説明を入れる前に、キースが元ホークスハイム侯爵領の内情を語る。まさか、キースからそのような情報がもたらされるとは思っていなかったのか、クリスは訝し気な表情を浮かべる。
「――貴方、やけに詳しいですね」
「俺はここらの出身だからね。まぁ、もっと辺境の村出身だけど」
キースが元ホークスハイム侯爵領の出身とは知らなかった。キースの出身地がこのあたりという事は、彼の剣術の師匠であり、転移者でもある人物のお墓もこのあたりにあるということになる。
「へぇー、一度行ってみたいですね」
「俺もアル君には一度来てもらいたいね。そのほうが師匠も喜ぶだろうし」
キースは、是非来てくれとアルを歓迎する。あまり、故郷について話したがらないので、故郷へ帰れない理由でもあるのかと前々から敢えて触れてこなかった話題ではあったのだが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
今回の旅路で向かうのは無理だが、アルは、機会があったら是非行かせてほしいと伝えた。
ライゼルハークの街に入ると、変わらぬ街並みがアル達を迎え入れる。まだ半年も経っていないのだから当然と言えば当然であるし、アルも自分が居なくても成り立つような街づくりを進めていたのだから、特段驚くようなことはない。
「ちゃんと以前のシステムが維持されているね……」
下水処理場としていた施設には神聖魔法を使える魔術師によって清潔に保たれているし、異臭なども一切ない。以前はいつ疫病が蔓延してもおかしくないような状態だっただけに、生活習慣の維持が出来ているのかと少し不安視していたのだが、一度清潔な生活を覚えると元の不衛生な生活には戻れないようだ。
「それにしても――」
アルは街の商店から溢れている大量の魔物の素材に眉を顰める。この街の事はよく知っている。近くに魔の森があるために魔物の出現率が高く、冒険者が沢山集まる街なので、以前から魔物の素材は飽和状態だった。しかし、その辺りは周辺の街々と飽和状態な素材の交換システムを取り入れて、特定の素材がその街ごとに飽和しないように取り計らったはずだ。
「なぁ、あれって何だ?」
ソーマがアルの肩を叩き、とある物を指さす。
「あれは魔物の素材で作った武器だよ。ダンジョンだと倒した魔物は消えてしまうけど、ここら辺は魔の森から魔物があふれてくるから、魔物の素材が沢山とれるんだよ。一応は魔剣扱いになるけど、粗悪品が多いからあまりお勧めはしないけどね」
魔剣と言っても色々な種類があり、以前ホークスハイム侯爵家の地下に安置されていたという「魔剣グラム」のような元々の剣に改造を施したものが一般的な魔剣として語られるのだが、魔物の素材によって作られた剣も魔剣として扱われる。
ただ、前者の物に比べて個体値がバラバラであり、同じものは二度と作れないと言われるほど素材の良し悪しによって完成度が変わってしまうので、粗悪品を掴まされるケースが多いとも聞く。
ソーマはアルの話に相槌をうちながら耳を傾けていた。
元ホークスハイム侯爵家であり、今はアルの兄であるベル・グランセル侯爵の屋敷の前に到着すると、見知った顔があった。
アルは門前で一度降りて、彼に近づいていく。
「こんにちは、ウィンさん!」
「アルフォート様、お待ちしておりました! どうぞ、中へ」
以前からベルの傍で警護をしていたウィンは、丁寧なお辞儀でアルたちを迎え入れる。先に馬車には進んでもらい、アルはその後をウィルと共について行く。
多少の世間話と現在の街の状況を尋ねる。ウィルの話から、アルの後にこの街の執政官として派遣された青年によって無難に治められている事が分かる。特に大きな問題も起こっておらず、街の治安は良い状態をキープしているそうだ。
しかし、少し妙なことも。
「――魔物の量が多い、ですか」
アルはウィンの報告の中にあった中から、一番気になる部分を抜き出して繰り返す。アルの言葉に、ウィンは大きく首を縦に振る。
「えぇ、アルフォート様も見られたと思いますが、魔物の素材が飽和状態になっていて、一応サルーノ商会が対応してくれて何とか捌けていますが、どうも限界が近いようです」
「そうですか。サルーノさんには悪いことをしましたね」
この間、サルーノ商会に行った時、彼は特に何も言わなかった。おそらく、既にアルがライゼルハークの執政に関わっていないという事で気を遣っての事だったのだろう。気遣いのできるサルーノらしいと言えば納得できる。
アル達が馬車に追いつくと、もうすでに荷下ろしが始まっており、級友たちは石造りの屋敷を興味深そうに眺めていた。
「屋敷は結構しっかりしてますね。街の規模からすると、結構大きいと思うんですけど」
「まぁ、ホークスハイム侯爵らしいですね」
ルージュは皮肉たっぷりにそう言う。街の繁栄よりも家の繁栄を取ったために、これほどに街の規模とは似つかわしくないほどに立派な屋敷を建ててしまったのだろう。
確かに、見栄ばかり追い求めるホークスハイム侯爵らしいと言えるだろう。
荷下ろしは屋敷の使用人に任せて、アル達は到着の報告をするためにベルの待つ部屋に向かう。慣れた足取りで立派な屋敷の中を歩いていき、とある部屋の前で立ち止まる。
扉には鷹のようなレリーフが刻まれており、いかにも英雄らしい。ノックした直後、すぐに扉が開かれる。どうやら、中に使用人が待機していたようだ。
直後、同じ目の男性と目が合う。
「――アル!」
先に声を発したのは、向こう側だった。一年半前、王都での決闘時よりも穏やかで、昔ほど張り詰めた様子もない。以前のベルを知るアルからすると、よくここまで柔和な表情を浮かべるようになったものだと思う。
「ベル兄様、それにラウラ義姉様もお久しぶりです!」
「4か月ぶりくらいなのに、もう、大きくなりましたね!」
ベルの傍で笑っているこの国の第3王女ラウラは相変わらずな優しい笑顔で微笑んでいる。少し腹黒いところもあるのだが、基本的にはいつも優しい。言いたいことははっきりというタイプでもあり、アルには非常に好感の持てる人物として映っている。
アルは順々に友人たちを紹介していく。事前に、アルから性格を聞いていた級友たちは少し緊張気味ではあったが、想像よりも柔和な雰囲気に安心もしていたようだ。
紹介を終えて用意された部屋へと案内されるが、アルだけはその場に残った。級友たちには「少し世間話をするから」と伝えたが、世間話と片付けるには少々事が大きすぎるだろう。
アルは皆がいなくなり、扉が閉じられるのを確認してからベルに向き直る。
「街は、特に変わりないようですね」
「あぁ、ただ少し問題もあってな……」
「魔物の発生量が増えたこと、ですね?」
アルはそう尋ねる。ベルは特に表情を変えずに小さく頷く。
「……もう既に知っていたのか」
「ついさっき、ウィンさんから少しだけお話を伺っただけですが」
謙遜でも何でもなく、本当に詳しい話は一切聞いていない。
ただ、ここライゼルハークの近くには「魔の森」と呼ばれるダンジョン級に魔素が多く、魔物が大量に湧き出す場所がある。
そのため、魔の森と今回の魔物の量が増えたことが関係しているとは踏んでいた。
「それとも関係するんだが――」
ベルはこの街の現状と、「魔の森」周辺の街々の状況を話し出した。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
ようやくライゼルハークへ到着。本章の題名が少し浮いている感じがしますね。




