138話 進化と転機
王城にて、ユートリウス2世は宰相からの報告に頬を緩める。それは、第6王女の傍付きである使用人から得た情報であり、王が頬を綻ばせるのに十分な情報だった。
「ついに尻尾を出しおったか」
王は笑う。今まで、ただ賢いとだけしか思っていなかった例の子が、『神童』の名に恥じぬ実力を公にしたのだ。「能ある鷹は爪を隠す」とはよく言ったもので、賢者であるからこそ今までその才を隠してこられたのだろう。
ひとしきり笑い終えたユートリウス2世はすぐに憮然とした表情に戻り、新たな懸念事項に思いをはせる。
「――して、エルメスの方はどうだ?」
エルメス・ノースウォーク。
ノースウォーク公爵家の五男であり、同家史上最高の剣士と名高い少年だ。その強さは既に学園生の枠を大きく超えており、騎士団の訓練を容易にこなせる傑物である。しかし、それ故に相手を見下し、強い者にしか興味を持たないという問題を孕んだ少年でもあった。
以前から、王は常にエルメスのことを気にしていた。そんな将来有望な少年が初めて同世代に敗北した
のだ。何か変化が見られたのではないかと王は考えた。
「騎士団の訓練には出ていないようです。何でも――」
「――おい! あの時の斬撃にはどんな効果があったんだ?」
剣術エリア最奥に位置する個別訓練場にて、異常な威圧感を放つ大柄な少年がアルに詰め寄る。その目は真剣そのもので、彼自体はここに剣術を学びに来ている。しかし、彼の態度からは人に教えを乞うという気持ちは感じ取れない。
アルは苦笑いを浮かべながら、剣術大会での戦闘に用いた「飛ばす剣術」の仕組みを彼に伝授する。
「貴方が使った剣術と原理は同じです。エルメス君は魔力を剣に込めることで斬撃を飛ばしていた、ということです。後は単純明快で、エルメス君の込めた魔力量よりも僕が剣に込めた魔力量が少し多かったというだけの話ですよ」
「なるほど……、剣に魔力を込めるというのは考えたこともありませんでした! 流石はアルフォート様です!!」
アルの説明に反応したのはエルメスではなく、一緒について来ていたルージュだった。しかし、近くでアルの話を聞いていたもう一人の同行者によって諫められる。
「……君はあっちで勉強って言われてなかったっけ? あんまりしつこいと嫌われるぞ?」
「ちょっと立ち寄っただけですよ! アルフォート様、本当にちょっと立ち寄っただけなのです」
少しきつい口調でその同行者、キースに言い返した後に丁寧な口調に言い換えたものをアルに告げる。そして、そそくさと元いた場所に帰っていった。
彼女にはまた別の課題を課している。そのため、ここで油を売っていてはいけないのだ。
「――つまり、剣術と魔法の複合技という事かな?」
ルージュの来訪によって遮られた会話を、キースが持ち直す。エルメスは少し難しい表情でアルの顔を凝視していた。
アルは二人を交互に見つめ首を縦に振る。
「その認識で正しいと思います。魔力を使ってはいますが、魔法陣を描くわけでも詠唱を唱えるわけでもありません。魔力を属性変化させずに放出している、と考えるべきでしょう」
つまりは剣による魔力弾の放出である。無属性の魔力であるから「魔法適性」という壁に阻まれることがなく、魔力による攻撃を可能としている。しかし……。
「ただ、その分コスパ……魔法効率が非常に悪いというデメリットがあります。魔力が切れると、剣を振る事すら困難になりますから、多用は出来ない諸刃の剣と言えます」
「なるほど、だからエルメスはあの場で倒れたのか……」
キースは舞台に横たわるエルメスの事を思い出す。
「剣術と魔法は相いれない」という考えかたが蔓延るこの世界において、魔法の才能がない者が剣術の世界に足を踏み入れるケースが多く、魔力量が少ない者が剣術を学ぶという下地が出来上がってしまっている。それ故に、魔力を剣術に活かそうなどと考える者はいないのだ。
ただ、どうやらエルメスの様に無意識化でそれを成し遂げてしまう「怪物」もいるようだが。
「原理は分かった。――で、どうしたら俺は今以上に強くなれるんだ?」
ここまで黙ってアルの言葉に耳を傾けていたエルメスが、重く閉ざされた口を静かに開く。その言葉には彼の苦悩と葛藤、そして形容できない不安が込められていた。
アルは彼のステータスを今一度確認する。そして、彼の現状からある一つの事象を察する。
「エルメス君は筋力の成長に限界を感じている。……そうではありませんか?」
アルの言葉に、エルメスは小さな反応を見せる。それは本当に小さな反応であり、注意深く観察しても気付けるかどうか分からないものだったが、アルの目はそれを目ざとく探り当てる。
「……あぁ、一年ほど前から筋力は成長していない」
エルメスの口調は非常に重い。それだけ、彼の中では重要かつ深刻な悩みなのだろう。しかし、この場でともに話を聞いているキースは、「……まじかよ。あれで?」と自身の腕を見ては身を震わせる。おそらく、先の腕をひねり上げられた時の感触を思い出しているのだろう。
エルメスの悩みについて、アルには何となくの事情が把握できていた。
「それは、エルメス君の成長段階が人よりも早いからでしょう。おそらく、他の人が剣の型を必死に覚えていた時、エルメス君は魔物との戦闘を繰り返した。違いますか?」
「それがノースウォーク家の教えだ」
アルの問いかけに、彼はただ一言そう答える。
貴族の令息が剣を、魔法を学んでいる時、彼は既に魔物との戦闘を開始していた。それは、王国の北方に位置するノースウォーク公爵家の教えなのだ。
ある意味では、それは理にかなっていると言える。
魔物との戦闘が一番レベルを上げるのに効果的であることを、「鑑定眼」でレベルを視認できるアル自身が一番よく知っていた。しかし、それはステータスの上昇という意味での「強さ」だ。力だけが強くなると、精神面での弱さが露呈する。
もし、他の者達が彼と同じ程度の経験を積んだら……。
「エルメス君の筋力が上がらないのは、その経験によって成長速度が人よりも早いためです。つまり……」
「――いずれは追いつかれる、か」
アルの言葉を受け継ぐようにエルメスは呟く。そして小さく頷いた後、再度アルの顔を見やる。
「理由は分かった。――で、どうしたら強くなれる」
それは、本当に真っすぐな目だった。彼はただ愚直に前を見ている。いや、強さという彼の中の正義をただひたすらに追い続けているのだ。
アルにはそんな姿が一人の人物に重なる。彼と同じく、強大過ぎる力を有して、精神的に揺らいでしまったそんな人物に。
「方法はあります。それは、エルメス君が無意識に使っている『筋力強化』のスキル……魔法と言ったほうが良いでしょうか。その強化の練度を上げること、そして魔力量を増やすことが貴方の筋力を高める方法です」
「アル君、その『筋力強化』とは何だ?」
静かに耳を傾けていたキースがそう尋ねる。
「『筋力強化』とは、魔力を体内で高速循環させることで起こす筋力強化の事です。付与魔法に近いですが、自分にしか効果がなく高度な集中力と才能に起因する技のことですね」
厳密に言うと他にも違いはあるのだが、ここでは敢えてそれには触れない。
アルの説明に、キースは目から鱗が落ちるような感覚を得る。それは、今まで自分の知り得なかった技であり、強さであったからだ。
「……そんな技があったのか。なるほど、俺の剣術もまだまだ古いということか」
キースはそう呟く。以前、自身がクリスに放った「古い剣術」という言葉を彼自身が自分に放つ。それだけ、彼には柔軟な頭があるのだろう。
そんなキースをしり目に、エルメスは重い腰を上げて立ち上がる。
「――俺に足りないものは分かった。次に会う時はもっと強くなっている。お前もせいぜい力をつけておくんだぞ!」
彼はそれだけ言ってアル達に背を向ける。そして、地面に置いていた大剣を背中に担ぎ、そのままの足で個別訓練場を出て行ってしまった。
「……帰ったよ、ほんと自己中心的な奴」
キースは彼の背中を見つめながらそう呟く。確かに、自分の要件を済ませて出ていく様からはそう感じずにはいられない。しかし、キースの目にはそんな彼への羨望にも似た感情が込められていた。
アルはそんなキースを見ながら声をかける。
「――それで、貴方はどうしてここに?」
「いや、二人が行きたいって言うから連れてきたってのが建前上の理由だけど……」
彼はそう言って残った同行者をちらっと見る。そして、必死に本にかじりついている彼女の姿を確認し、再度アルに視線を戻す。
「君も俺に聞きたいことがあるんじゃないかって」
彼は笑顔でそう言う。その笑顔からは、少し自分に似たところを感じ取る。
彼には、彼だけの信じる世界がある。そして、それを他人に安易には話せない。そんな雰囲気を彼は放っている。それは、アルとて同じだ。
「えぇ、そうですね。貴方の剣術は異色すぎる。それについてお聞きしても?」
「あぁ、話そう。俺の剣の師匠……爺さんのことを」
キースはそう言って、自身の過去を少しずつ話し始めた。
「……なるほど、そういうことでしたか」
話を聞き終えたアルはそう呟く。
彼の師匠は、十中八九「異世界人」だ。それも、アルが良く知る人物に特徴が酷似している。しかし、そうなるとこの世界とアルが、いや、神崎奏多が生きた世界との時の流れとが見合っていない。
「これが最後に爺さんが墓に書かせたものだ。俺にはなんて書いてるのか分かんないけどな」
キースはそう言って、胸元から一枚の紙を取り出してアルに手渡す。
『古志らう、この地に眠る』
その紙にはそう書かれていた。そして、アルの抱いていた予想は確信に変わる。
「……そっか。あの『小次郎』はこの地で骨を埋める覚悟をしたんだ……」
アルは小さな、誰にも聞き取れないような独り言をつぶやく。
彼は、あの世界でなし得なかった剣士としての「幸福」をここに得たのだ。そして、自身の剣の全てを伝える後継を得て、悔いなくこの世界に骨を埋めた。
「……貴方の師匠は最強の剣士です」
「師匠のこと、知ってるのか!?」
アルの発言にキースは強く反応する。しかし、アルは小さく首を横に振る。
「いいえ、知りません。『小次郎』……貴方の師匠の事は貴方が一番よく知っているでしょう。ただ、この字には見覚えがあります」
「……何て書いているんだ?」
アルは再度紙に目を落とす。
「小次郎、この地に眠る……。貴方への感謝と、自分の人生に一つの悔いもないという意思がここには書かれています。……そして、この字を読める人物へのメッセージも」
そう、この紙に書かれた文字はキースにだけ向けられた文章ではない。この文字を読める、自分と同郷の者にもあてた文章なのだ。おそらく、愛弟子への協力を求める、そんな愛情がここには込められている。
「そうか……。それなら面と向かって言ってほしいなぁ。こんな回りくどい言い方せずに」
キースが目に涙を溜めながらそう呟く。あの時、振り返らないと決めた心が再度彼に力を与える。そして、師匠とのかけがえのない思い出が彼の背中を強く押す。
「俺にも強くなる方法を教えてほしい。『停滞は退化の始まり』っていうしな」
彼は少しお茶らけた笑顔の奥に、熱い魂の火を灯しながらそう言う。そこには、自身の可能性を信じ、師匠の剣技の可能性を信じる男の姿がある。
アルはそんな決意を持った男の覚悟を受け取る。そして、新たな剣士の誕生を喜んだのだ。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!




