閑話 師匠
ちょっと一休みの回です。
ソーマの勝利によって会場は不思議な空気が立ち込めていた。
Eクラスが一つ上の階級であるDクラスに勝利したというだけでも快挙であったのに、負傷したとはいえAクラスの生徒に勝利を収めたのだ。そのことに驚きの声があがるのは必然と言えた。
現在、ソーマは魔術科の教官によって回復魔法をかけられ、治療を受けている。アルが確認したところでは、骨は綺麗に折られており後遺症などは残らなそうだった。次の試合は絶望的ではあるものの、骨が完全にくっつくのに一週間もかからないだろう。
「――ふん、所詮は3番手だな」
舞台を降りたキースに向かって、腕組みしたままの状態で試合を見ていたエルメスがそう呟く。とても小さな呟きではあったが、その声はキースの耳にも届いていた。
キースは乾いた笑みをこぼしつつ、先の戦闘を振り返る。
彼の剣術は、一言で言い表すならば「邪道」だった。
黒鉄の曲線を描く刀身は、薄くて極めて細い。そして刃は片方にしかついておらず、その強度は場所によって大きく異なる。
王国の王道ともいえる剣術が、いかに攻撃を当てるかについて深く追求するのに対して、彼の剣術は一太刀で決着をつけようとするものだ。鞘に納めた状態から繰り出される「抜刀術」はその最たる例であり、一撃の鋭さや強さを追い求める剣術ともいえる。
キースはソーマと対峙して、彼の剣術に触れあった。彼の見せる対応力の高さは非凡なものであり、キースは自らの剣術の奥義、師から伝え聞いた「必殺技」を繰り出したのだ。
それは上段から振り下ろした刀を瞬時に切り返し、神速の二撃目を相手の胴に放つという技。師いわく「燕返し」という技らしい。
これまで、何度かこの奥義を実践で試す機会があったのだが、初見で止められたのは初めてのことだった。
もし、刃を返さずに刃のついている側面で攻撃していれば、ソーマの腕は切断されていただろう。部位欠損は骨の治癒などとはわけが違い、その治療には最上級の回復魔法を行使しなければならない。しかし、この場の教官にそのような魔法を行使できるものは居なかった。
つまり、試合には負けたものの剣術の勝負という面では勝っているというべきだ。しかし、彼はそうは思っていなかった。
キースはその瞬間を思い出す。
「燕返し」の間合いは完璧で、ソーマの動きも予想通りだった。しかし、ソーマはその一瞬で何かを感じ取り自分の剣の軌道を変えてみせたのだ。
それは戦闘における彼の技術が高いのか、それとも野生の勘か……。
「……末恐ろしい剣士であることは違いない、か」
キースは少し高揚する胸を鎮めつつそう呟いた。
――剣の境地は一人にしてならず。
これはキースが師と仰ぐ人物が口酸っぱく言い聞かせていた言葉だった。言葉の通り、剣術の練達にはたった一人での訓練だけで到達できるものではないという事であり、強力な相手がいて初めて技は完成するのだという意味だ。
しかし、当時のキースはその言葉の真意を知ることはなかった。
キースの師である爺は、キースの住む街の外れに一人で住む変わり者だった。奇妙な形の剣を一振り腰に携え、森に入っては強大な魔物を討伐してその魔物の素材を街に持ってくる。
そこで報酬を得ると一週間分の食材を買い込み、また街はずれの自分の家へ帰っていくのだ。
街の者たちはそんな彼を恐れ、誰も彼に近づこうとはしなかった。ただ一人を除いては……。
街はずれにポツリと一つ建っている古民家の傍を、一人の小さな少年が歩き回る。彼は何かを探すように家の周囲を歩いていた。その何かに気付かれないように、息を殺し足音を立てないように気を付ける。
そして、暖簾が掛けられただけの開けた裏口から彼は標的を確認する。標的は、家の中にある炉を真剣な表情で見つめており、周囲には一切の注意を払ってはいなかった。
炉に金属を放り込んで時間が経てばそれを取り出し形成する。それは少年が知る一般的な剣の形をしておらず、柔らかな曲線を描いている。そして、刀身は異常に薄くて細い。打ち合いになれば折れてしまうのではないかと子供ながらに思ってしまうほどに。
少年は標的から目を離し、その奇妙な剣に目を奪われていた。それ故に、標的の動きに気が付かなかった。
「――隙あり」
後ろから小さな声でそう告げられる。その言葉を聞いて、ようやく自分の置かれている状況に気が付いた少年は腰に下げていた木剣に手をやろうとする。しかし、そこには少年の木剣はない。
「――あ、爺ちゃんズルいぞ!」
彼はそう言って後ろを振り向く。すると、そこには自分の木剣を持った標的が笑顔で立っていた。
「何故、わしが炉に集中している時に打ち込んでこなかった?」
「そんなズルい事はしない! 俺は、せぇせーどぅどーと爺ちゃんを倒すんだからな!」
そう言って少年は胸を張る。それこそが自分の中に立てた騎士の誓いであり、小さな体に流れている剣士の誓いだからだ。
標的、白髪が混じった爺は彼の宣言を遠い目で見つめていた。
それから約一年後、少年は爺から剣術を習うようになった。
爺の剣術は、彼曰く「殺人剣」というらしい。人を斬ることを一番の目的とし、強力かつ神速の一振りを極める、そんな剣術だった。
少年は強さを求めた。それは、自分の置かれている社会的状況によるところも大いにあるのだが、それよりも目の前の爺の剣術を継承したいという気持ちが日に日に強くなっていったからだ。
しかし、別れの日がやって来た。
師と仰いだ標的は、床に伏して重たい瞼を気持ちで何とか持ち上げつつ、最後の言葉を愛弟子に送る。
「――いいかキース。お前は剣の筋がいい。しかし、だからと言って慢心だけはするんじゃないぞ? 上には上がいる。お前が想像も出来ないほどの強者はどこの世界にも沢山居るだろう。常に学べ、常に進化せよ。これでよいと停滞を始めれば、剣の腕は否応なく退化していくのだ」
「……はい。承知しました」
キースは師の最後の言葉を受け取り、零れ落ちそうになる涙を何とか瞳にとどめようとする。しかし、そんな小さな抵抗も世界の法則には抗えない。どんどん供給される水分を瞳が留められる訳もなく、自然の法則に押し出されるように地に帰っていく。
そんな少年を見て、爺は笑みを浮かべる。
「……神よ、感謝する。今世では私を慕う弟子の前で最後の言葉を授けられた。私の想いを、私の言葉を、そして私の剣の全てをこの世に残せたのだ。私の願いは遂に叶えられた。……最後に、このキースの人生に幸多からんことを切に願う」
爺は天を仰いでそう言うと、重たい瞼をついに閉じてしまった。
キースは街の外れに小さな墓を作った。それは、キースに対する爺の最初で最後の願いだった。
「――爺ちゃん、これでいいんだよね?」
キースは爺の遺体を地に帰し、その地の上に墓石を置く。そして、そこにはこう刻み込んだ。
『古志らう、この地に眠る』
キースには何と書かれているのかは分からない。見たこともない字あり、爺もこの文字を書いた紙をキースに渡しただけで、その言葉の意味までは遂に教えてはくれなかった。しかし、それもまた爺らしいと言える。
「……爺ちゃん、俺は爺ちゃんから教えてもらった剣術を必ず進化させる。そして、絶対につないで見せるからな!」
キースは亡き師に向かって一つの誓いを立て、その場を立ち去る。もう振り返ることはしない。「停滞とは退化の始まり」という師の言葉を胸に、彼は我が道を歩き出したのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回はちょっと一休みの回でした。早く続きを書けと言われてしまうかもしれませんが、ここらで少しお休みの回を挟んでおこうかと。
話数にはカウントしないので、あと5話投稿してからユリウス冒険譚になります。




