106話 生前の繋がり(1)
※ある一人の女性視点です。
私は笹沼彩音。
日本の中でも、本当に田舎の町で生活する女子高校生だった。田舎は遊ぶ場所は無いから、基本的には友達の家でテレビを見たり、おばあちゃんの畑の手伝いをして放課後を過ごすような生活をしていた。
テレビで見る都会の風景は、私にとっては蜃気楼のような物であり、私の世界はこの小さな町だけで完結していた。勿論、外の世界への興味はあった。しかし、臆病な私が外の生活に順応できるとは思えず、田舎のこの空気こそが私にあっているのだと思っていた。
しかし、私の生活は急変する。
それは、大好きだったおばあちゃんの死によって、家族の中の見えなかった亀裂が浮き彫りになってしまったからだ。
私の父は次男であり、母は父方の祖母を介護していた。
おばあちゃんは年老いても畑仕事を自分でやりたがり、目を離せば畑に降りて行って草をむしっていた。母はもともと介護職をしており、父の願いを受けておばあちゃんの介護に乗り出した。
それからすぐに、おばあちゃんは亡くなってしまった。
おばあちゃんの中で、畑仕事というのは最後の執着だったようで、私が畑仕事をこなせるようになると急激に体の容態が悪くなっていった。
そして、セミが鳴く夏の夜にこの世を去った。82歳だった。
大好きだったおばあちゃんが亡くなったことは、私にとってかなりショックな出来事だった。しかし、もっとショックだったのはその後の出来事だった。
「……お前の嫁の介護が悪かったんじゃないか?」
葬式の日、父の兄である茂和伯父さんはそう言った。伯父さんは都会で仕事をしていて、偶にこの家に帰ってくる人だった。だからこそ、少し前まで元気に畑仕事をこなしていた実母の死が受け入れられなかったのだ。
そして、伯父さんが目を付けたのが私の母だった。
母は、何も言えずに黙っていた。
おばあちゃんは元々体が悪かった。しかし、畑を維持するために体に鞭を打ちながら無理やり体を動かしていたのだ。
しかし、そんなことは伯父さんにとってはどうでもいいことだった。私の目から見ても、おばあちゃんの急激な体の衰えは直視できないほど悲しいものだった。そして、その経緯を一切見てこなかった伯父さんからすれば、おばあちゃんの死は本当に突然の出来事だったのだ。
父は伯父さんに対して大きな声を上げた。
自分たちがいかにつらい思いをして介護をしてきたのか分かるのか、と。
親族が大勢集まる中、2人の間に出来た亀裂は決定的なものだった。
伯父さんは、田舎に戻った。
長男という事もあり、伯父さんは徐々に家を占領していった。私たちは親族の集まりにも徐々に疎外されていき、だんだん肩身の狭い存在になっていた。
ただ、私にはある使命があった。それは、おばあちゃんが残した畑の維持だ。
高校に通いながら、私は精一杯畑仕事を続けた。元々、こういう仕事は好きだったし、丹精込めて作った野菜が食卓に並ぶとすごく嬉しかったし、皆が食べているのを見るだけで幸せだった。
しかし、私の母は違った。
また仕事を始めたが、周りからは中途半端な年齢からの採用に変な目で見られ、親族からは正に親の仇のような目で見られる。母は既に限界に達していた。
そんな母を見て、父は一つの決断をする。
それは、この町を出るという決断だった。ここを離れて、新しい場所で新しい生活を始める。母を思った、最良の決断だと言えた。
父は私についてきてと頼んだ。
今年高校を卒業する私は、当然のようにこの町で農家として暮らすつもりだった。しかし、精神的に不安定な母を家に1人にして働くことはできない。父は、私に土下座してまで私についてきてほしいと懇願してきた。
そんな両親を見て、私はもう言葉が出なかった。
春、私達はこの町を出た。
茂和伯父さんは畑を維持できないと考え、簡単に手放した。畑を潰し、コンクリート詰めされたあの光景を、私は直視できなかった。
私たちは新しい居住地として、都会にある街を選んだ。
私の父は優秀であり、就職先は簡単に決まった。元々かなり貯蓄していたことと、給料も田舎で暮らしていた時よりも高くなるようで、私達は一軒家に移住した。
母は精神状態は徐々に回復していった。あの閉鎖的な生活からの脱却と、この街の空気があったのだろう。元々の明るさを取り戻し、徐々に社会復帰していった。
しかし、私は……。
「いらっしゃいませ」
私は慣れない笑顔を作りながら、接客する。
お客様は中年の男性で、汗をハンカチで拭いながら「コーヒー1杯、あとサンドウィッチね」と注文しながら空いている席に向かって歩いていく。私は、店長に「3番卓、コーヒー、サンド入りました」と伝えて、空いている席の清掃を行う。
前のお客様の食べたナポリタンの皿を片付け、テーブルを付近で拭く。丁度そのころにサンドウィッチが出来上がったようなので、プレートを盆に乗せて持っていく。
私は、慣れない作り笑いを浮かべて、精一杯仕事をした。思っていたよりも大変な仕事で、慣れるまでは大変だった。
しかし、私には一つの心の支えがあった。
それは、店に飾られている絵だった。どこの巨匠が描いた絵なのかは分からないけれど、緑を基調とした自然の色がふんだんに使われ、絵に詳しくない私でも分かるほどに絶妙なバランスで描かれた名画だ。
どこの風景を描いたのかは分からない。もしかしたら日本の風景じゃないのかもしれない。
それなのに、なぜか懐かしく感じる。そんな絵だった。
――カランカラン。
喫茶店の扉が開く音が聞こえる。今日は休日で、お客様の入りも良かった。今の時刻は14時ごろで、少しお客様もひいてきたところだったが。
私はテーブルの清掃を一旦止めて、扉の方に向かった。入ってきたのは3名のお客様。老夫婦とお孫さんだった。
「いらっしゃいませ」
「あら、新しい子ねぇ。こんにちはー」
可愛らしいお婆さんは、私の顔を見てそう言う。
この街に来てから、初めて目と目がしっかりと合った気がした。可愛らしい笑顔を浮かべるそのお婆さんが、心の中に刻み込まれている祖母と重なった。
「――あれ? 神崎さんじゃないですか! お久しぶりです」
店の裏で作業をしていた店長が出てきて挨拶をする。お婆さんと少し話をして、店長は次にお孫さんのほうに話題を変える。
「奏多君も久しぶりだね。あの絵、ありがとね。お客さんにもすごく評判がいいんだよ」
「そうですか? それは良かったです!」
綺麗な顔の青年は真っ白な歯を見せて笑う。
その笑顔に、私は目を奪われる。
背は私よりも高い。
顔は整っていて、俳優さんのような造形美だった。しかし、どことなく幼さが残っており、中学生か高校生くらいだと思う。
店長は自らお客様を卓に案内する。ここで働き始めて半年ほどだが、このような光景は初めて見た。
「……店長、あの方たちは?」
私は戻ってきた店長にそう尋ねる。すると、店長は「ん?」と一瞬不思議そうな表情を浮かべる。しかし、すぐに何かを思い出したように口を開いた。
「あぁ、笹沼さんは初めて会うか。神崎さんって言ってね、常連さんだよ。……ただ、最近はあまり来なくなってしまったけどね」
あの方たちは「神崎さん」というかたたちらしい。店長と親しそうだったのに、私が全く知らなかったのは最近来られていないのが原因のようだ。
それにしても……。
「……絵って言うのは、あの絵ですか?」
私は会計レジの壁に掛けられている絵を指さす。そこには、私が大好きな絵が飾られている。
「そうだよ。お孫さんの奏多君が書いてくれたんだ。確か、笹沼さんもよく眺めていたよね」
店長はそう言って、その絵を眺める。「……本当にいい絵だよね」と呟きながら。
「……お疲れ様でした」
私はシフト時間を終えて、従業員出口から外に出る。季節は夏だったが、夜になるとそこまで暑くはない。私はいつもの様に帰路につく。
――あの絵。私よりも若い青年が描いたものだったんだ。
今日、訪れた青年の顔がぱっと浮かぶ。
前々からあの絵を描いた人はどんな人なのか気になっていった。
こんな絵を書けるのだから、おそらく私の知らないような経験をしてきており、人生経験も豊富なのだろう。そんな風に思っていた。
しかし、実際は自分よりも若い、それもあんな綺麗な顔をした青年だった。私はやけにうるさい心臓の音を聞きつつ、心は既にここにはなかった。
すると、周囲が急に光りだした。
私は、驚いて声もでない。そして何も感じる間もなく、笹沼彩音としての人生を終えたのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!!
少し短編チックな話でしたが、いかがだったでしょうか。これから彼女がどうなるのか……。そもそも彼女は誰なのか!(予想はついているでしょうけど……)
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