89話 信頼と魅了
今回は少し長めです。休憩しながら読んでください。
アルは地下牢で来客を待っていた。
今日、クルーンが帰ってきたことはしっかりとこの目で見た。
その後、屋敷内に入っていったかと思えば、少ししたらまた屋敷を出ていった。おそらく、アジトの資料の紛失についての処理に向かったのだろう。
「……来ない」
もう日は暮れており、クルーンが街に入ってから大分時間が経っている。アルの知る彼なら、屋敷に到着したらすぐに地下牢の方へ来るだろうと予想していたのだが。
さらに一時間が経過する。
クルーンどころか人一人来る気配がない。よく考えれば、三日間地下牢に閉じ込めている女性を何の準備もなく襲うわけがない。
つまり、この時間に人が来ないということはそういうことなのだろう。
これはアルにとっては非常に良い傾向だ。
おそらく、明日、明後日にも調査部隊が街に入る。そうなれば、クルーンは地下牢に閉じ込めている女性と逢瀬を重ねる隙などないはずだ。
つまり、上手くすれば今夜を乗り切れば良いということになる。
実際、今夜クルーンが訪れた時のために対策を考えてはいたが、どうやら徒労に終わりそうだ。
こうなれば、地下牢にとどまる必要もない。
そう考えたアルは、一つの魔法を唱える。
すると、長い茶色の髪が徐々に短くなっていき、顔立ちも変化する。平凡な女性の顔から少し頼りない印象の男性へ変貌し、視界もすこし高くなる。
「……うん、上手くいったみたい」
アルはそう呟くと、隠密系のスキルを有効化する。
「さて、今夜はどうしようかな」
その呟きと共に、地下牢は静寂に包まれた。
調査隊の第一陣が王都を出発して半日以上が経過した。すでにあたりは暗くなっており、そんな中を調査部隊は進んでいた。
調査隊のメンバーが事情を把握しているためか、通常よりも休憩回数を減らし、進行速度も上げていた。
そのため、既に道のりの半分以上先に到達している。このペースでいけば、明日の午前中にはクロムウェル伯爵家の屋敷があるノリスの街に到着できるだろう。
クランは様々な可能性を頭に浮かべながら、自分の主であるアルがどのように行動するかを考えていた。
アルの計画では、「ノリスから王都まで2日」「説得で1日」「王都からノリスまで2日」の計5日以内に調査隊を派遣する手はずだった。
計画を話していた時は、アルがノリスの街に残ることはおろか、たった3日だけしか猶予がないという事も分かっていない状況だった。そのため、本来のアルの計画からすれば大きくズレた筋道で現状が進行しているはずだ。
王都で情報を集めたところ、クロムウェル伯爵家の長男が王都を出発したのはクランが王都に到着した日の朝の事だったらしい。つまり、順調に進んでいれば、現在すでに屋敷に到着しているだろう。
「……おっかない顔なんかして、何か心配事ですかい?」
「ゴドリックさん」
馬車の中で考え込んでいると、御者をしていたゴドリックがクランの方へ歩いてきた。ずっと黙って考え込んでいるクランを見て、心配になっていたのだ。
「今日はもう少し進んで終わりだ。流石に馬が限界なんでな。アンタには悪いが、今日中にノリスの街に着くのは無理そうだ」
「頭を上げてください。ここまで速いペースで飛ばしていただいて、私には感謝しかありませんよ」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるゴドリックに、クランは慌てて頭を上げるようにお願いする。
貴族でもないクランに頭を下げるゴドリックという男に、クランは並々ならぬ信頼感を抱いていた。
「……それに、私の主なら大丈夫ですよ」
クランはようやく気を落ち着かせる。そして、空に浮かぶ星を眺めながらそう呟いた。
「そこまで信頼しているのだな」
ゴドリックはクランの表情を見る。
そこには、主への「敬意」だけでなく、長年パーティーを組んできたベテラン冒険者にも劣らぬ「信頼」の色が見える。
ゴドリックは二人の関係性に興味を持つ。どうすれば「貴族」と「平民」の間でここまでの信頼関係が築けるのか、と。
「はぁ、いつまでこんな事すればいいのかしらね……」
ビアンカは柄にもなくそんな事を呟いた。
この屋敷に仕えたのはもう10年も前のこと。当時15歳だった彼女は、親の借金のためにこの屋敷で働くことになったのだ。
貴族の家で使用人として働くのは栄誉あることだと自分に言い聞かせていたが、いざ働きだすとその理想はすぐに崩れ去った。
朝はやくに起き、夜遅くに仕事を終える。慢性的な人員不足から、屋敷内の仕事は溜まりに溜まっており、忙しさは異常なほどだった。
しかし、堪えられないほどではない。
真面目な性格のビアンカは、率先して仕事をこなしていき、屋敷の使用人たちから一目置かれる存在になっていった。
事態が急変したのは6年前。ビアンカが働きだして4年目の事だった。
クロムウェル伯爵家の長男である、クルーンが1人の使用人を襲うという事件が起こった。
その子はビアンカよりも少し年下の女の子で、正義感が強い子だった。そのため、自堕落になっていくクルーンに対して、生活の改善を求めたのだ。
その結果、彼女は心が折れてしまい、今はもうこの屋敷にはいない。
その頃からだろうか。もともと離職率が高かったこの屋敷から、さらに多くの人が消えていったのは。
ビアンカたちはすぐに真相に辿り着く。しかし、借金をたてに私たちは何の行動も起こすことはできない。
そして、ビアンカたちは堕ちていったのだ。
「こんなことを考えるなんて……。あの青年を見たからかしら」
ビアンカは先日屋敷に入ってきたという青年の事を思い浮かべる。おそらく、自分よりも年下だったはずだ。
今日、心配になって仕事をしながら彼の姿を探したが、一度として見ることがなかった。おそらく……。
「……だから、忠告したのに」
自然と眉間に力が入る。
別に知り合いでも何でもないが、こうして人が1人消えていくごとに自分の人生がひどく滑稽に思えてくる。
借金を返して自由の身になるために身を削って奉公する、この人生を。
「……やっぱり、まだ諦めてはいませんでしたか」
「――っ!?」
突然後方から声がかかり、ビアンカは目を見開きながら体を翻す。すると、そこには短い茶髪で頼りない顔があった。
「……生きてたのね」
当然のことで、そんな言葉しか口から出てこなかった。
ひどく冷たい言葉だ。こんな言葉しか言えない自分にいら立ちを覚える。
しかし、彼は何一つ表情を変えない。心なしか、前に会った時と印象が違って見えた。
「……あなた、誰?」
気付いたらそんな言葉をもらしていた。同じ顔で同じ声なのに、なぜか全く違う人間に思えて仕方がなかった。
すると、その男性は「フフッ」と笑う。
「自己紹介がまだでしたね」
その言葉のあと、目の前にいたはずの彼が一瞬にして消え去った。
いきなりの事で、ビアンカは狼狽する。すると、突然肩がたたかれる。
ビアンカは、後方を振り返る。
そこには綺麗な金髪に澄んだ青色の瞳をした男の子が立っていた。
顔立ちはひどく整っており、まるで作り物のよう。外見からすると15歳くらいの少年と思われるが、顔にはいまだ幼さが残っている。
ビアンカが呆けているのを見て、また「フフッ」と笑みを見せる。その笑みは人を魅了するのに十分すぎるほどの美しさがあった。
「僕はアルフォート・グランセルです。ここで話すのも何ですから、場所を変えましょうか」
そう言うと、ビアンカの手を取って静かに歩き始める。
本来ならば目立って仕方がないはずの光景だが、行き交う人たちはビアンカたちに全く意識を向けようとはしない。まるで、自分が違う世界に隔離されているようだった。
そんな不思議な体験をしながら、ビアンカは普段使われていない部屋にまで連れていかれた。
「……どういうこと、ですか?」
ビアンカの言葉には色々な意味が込められていた。
「グランセル」という家名は、この国に住むものなら誰でも知っている。それほどに強大な貴族家なのだ。
そんな「グランセル」家の、それもこんな若い子供がどうしてこの屋敷にいるのか。
そして、急に姿が変わったのは何故か。屋敷の者たちが認識しないようになったのはなぜなのか……。
様々な疑問が折り重なって、そんな言葉が出たのだ。
アルという少年は一瞬困ったような表情を見せる。
たったそれだけの表情なのに、心が動いている。自分の中にまだこんな感情が残っていた事に、自分自身で驚いてしまう。
「細かい話はまた今度お話します。今は時間がありませんから」
少しの思案の後、アルはそう返答する。すべてを話すと時間がかかる。そして、それをビアンカが手放しに信じるとは思えなかったからだ。
「ただ一つ、あなたにお聞きしたいのです」
アルの言葉にビアンカは緊張を覚える。さっきまで幼く見えた少年の表情に、真剣さが感じられたからだ。
「……いったい何を聞きたいのですか?」
おそらく、この屋敷のことを聞かれるだろう。
ビアンカは聞き返しながら、そんな予想を抱く。しかし、次に目の前の少年の口から飛び出した言葉に耳を疑った。
「人生をリスタートしたくはないですか?」
予想だにしない言葉に、ビアンカはその場で固まってしまい、脳がその言葉を理解するまでに多くの時間を有した。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
実は本日確認してみたところ、総合ポイントが700に到達しておりました!!
読者の皆様、本当にありがとうございます!!
これを機に自分の作品を見ていると、「ユリウス冒険譚」が読者の皆様にとって煩わしいのではないかと感じました。
そこで、「ユリウス冒険譚」を本作から取り除き、新しく『ユリウス冒険譚』としてこの作品とシリーズ化しようかなと考えています。まだ悩んでいるのですが……。
出来ればご意見をいただきたいです。お願いします!!
以上、「報告」と「お知らせ」でした。




