88話 破戒
※今回はクルーン(クロムウェル伯爵家長男)視点です。
俺の19年の人生は順風満帆だ。
クロムウェル伯爵家の長男として誕生した俺は、周りの者から次期当主として大切に育てられてきた。誰も俺に指図することはなく、領内のものは全て自分に服従している。
13歳の時、俺は屋敷の使用人と関係を持った。
その使用人は、あろうことか俺に「貴族とは何か」と諭してきた為、制裁の意味を込めた行動だった。
最初こそ抵抗していたが、すぐに抵抗することを止めて、最終的には自分の為に尽くすようになった。
「力、権力こそが正義」
俺はこの「常識」を疑ったことはない。
王都を出発して2日が経過した。
御者がトロトロしていたせいで、我が屋敷があるノリスの街に入った時には既に日が傾いており、今にも町中が暗闇に覆いつくされそうになっていた。
俺の乗っている馬車を見て、平民たちが膝をつく。
俺はそんな平民たちを見て、2日の旅路のイライラが少し癒されていくのが分かる。
屋敷に辿り着くと、使用人たちが俺を迎える。使用人たちを一瞥して、俺は屋敷の中へ入っていく。
王都の日常はやはり楽しい。
この街にはない娯楽が数多く存在する王都に足繫く通っているのは、表向きには知見を磨くためだが、本当はギャンブルや女の為だ。
俺が自室へ向かっていると、前方から一人の男が駆けてくる。
不潔さが服を着ているような男で、頭は寂しく、腹は出ている。確か、……ゴブリンだったか?
「――ゴーレンですわ。若様、おけぇりなせぇ」
「……あぁ」
俺の顔を見て、名前を忘れられていると感じたのか、男は名を名乗ってから俺の前に傅く。
「――して、何の用だ」
ゴーレンという男を見下しながら、俺は要件を尋ねる。
こいつが屋敷に来ることは珍しく、何か用事がなければこうして待っていることもないだろう。
「えぇ、今回は『上玉』を用意しておりやすから、追加料金をいただきてぇのですわ」
ゴーレンは手もみをしながら下卑た目で物乞いしてくる。
俺は、不快な感情を抱きつつ、男を睨み返す。
「ふん、そういう事は我が父に言えと言っているだろう」
こいつの頭は虫レベルか。
確か、半年ほど前にも同じことを言ったはずだ。ゴーレンは「あぁ、そうでしたわ」と阿呆面を晒している。
俺はそんな顔に苛立ちつつも、男の言葉を頭の中で咀嚼する。
「……それにしても、『上玉』か」
「えぇ、宿屋の野郎が隠してやがって。ぎりぎり15でしたわ」
ゴーレンは「そいつはもう処理しておきやした」と満足げな顔を見せる。
これも、もう10回は俺が注意していたことで、何をしたり顔で言っているのかと更なるイライラが込み上げてくる。
「あ、あと若様のお耳に入れとかねけりゃならねぇ情報が」
ゴーレンは、さっきまでのしたり顔から一気に真面目な顔に戻す。
その表情の変化から何か大事が起きたことはすぐに推測できる。
「……実は、アジトの資料が幾つか消えちまいまして」
「――何!?」
俺はゴーレンの言葉に耳を疑う。
何か大事が起きたのだろうと想像はしていたが、思っていたよりも急を要する内容だ。
「このことは?」
「まだ伝えとりませんわ。――親方様には内緒の事案もありやすから」
俺はゴーレンの言葉を聞き、少しほっとする。流石の馬鹿でもその辺の分別はついているらしい。
「今からアジトへ向かう。どの資料が消えたのかを調べろ。……あと、その日の担当者を連れて来い」
「へぇ。分かりやした」
ゴーレンは俺の指示を受けて、屋敷を出ていく。
「手間をかけさせやがって!」
俺は、このことを最初に話さなかったゴーレンと、誰かは分からないが資料を紛失した間抜けに対していら立ちを覚える。
「こいつがその日の担当者ですわ」
「若様! どうかお許しを!!」
ゴーレンによって連れてこられたのは、スキンヘッドの大男だった。
いかにも馬鹿そうな顔をしている。
その男は俺の足元で土下座をする。
今にも靴を舐めそうな勢いだったが、俺はその男の頭を蹴ってそれを拒否する。唾液で靴が汚されてはたまらないからな。
「……それで、どの資料が消えたんだ?」
俺は蹴られて転がる男に一瞥して、ゴーレンの方へ視線を移す。
ゴーレンもちらっと男の方を見るだけで、すぐに気持ちを切り替える。
「確認できたなかじゃ、ここ最近の収支資料と名簿が消えとりやした。……もしかしたら、まだあるかもしれねぇですわ」
よりにもよって、そんな大事な資料が紛失されているとは。
目の前に転がるこの男にそんな頭があるとは思えないが、消えた資料から考えると「裏切り」も頭に入れなくてはならない。
「……で、こいつがその日の担当者か」
「俺は何もしてねぇです!!」
スキンヘッドの男は、必死な形相で自分の無実を主張する。馬鹿でも「裏切り」という可能性には至れているらしい。
「ふん、裏切り者がよくいう言い訳だ。……いいか? お前が裏切っているかなんて、この際どうでもいいことなんだ」
俺は冷笑しながら男に近づいていく。男は俺の言っている意味が分からないのか、視線を左右に動かしながら、必死に頭をひねっている。
そんな男を追撃する様に、俺は言葉を投げつける。
「見せしめだ、見せしめ! もう、お前が死ぬのは決定事項なんだよ」
俺の言葉に男は大きく目を見開く。
まさか、殺されるとは思っていなかったのか、男は顔に絶望の色を浮かべている。
しかし、その表情は徐々に生気を取り戻していき、ついに堪忍袋の緒が切れたように顔を真っ赤にした。
「そんな……ここまで身を粉にしてやったのに、このくそ変態――」
どさっと何かが地面に落ちる音と共に、男の言葉はそこで途切れる。いや、既に人ではないか。
「……アジトから消えた従業員は?」
俺は、眼前に転がる物に目もくれず、冷ややかな目をゴーレンに向ける。
ゴーレンは、真剣な眼差しでこちらを見つめている。いや、少し「恐怖」の色が見え隠れしている。
「一人もおりやせん」
「なら、まだ資料もこの街の中だろう。……すぐに探せ」
「分かりやした」
もはや、さっきまでの気楽さはゴーレンの中にはない。
俺という存在に委縮し、自分がアレの二の舞にならないように必死だ。
「……あと、この汚物も片しておけ。目障りだ」
俺はそう言い残し、アジトを出る。既に街は息をひそめ、冷たい風が俺を吹き付ける。
「興がそがれたな。――明日、じっくりと虐めてやろう」
俺は明日の楽しみを思い浮かべながら、夜の街を歩いていく。
「さて、何をしてやろうか」とほくそ笑みながら。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。




