86話 使用人の嘆き
「――私、もうやっていけないです!」
「我慢なさい。……ここを出ても体を売って生活するしかない。どうやっても私たちの人生は終わっているのよ」
屋敷の使用人の間でそんな会話が繰り広げられる。
外見からすると20代前半と言ったところだろうか。
特に美人というわけでもなく、ごく普通の外見をしている彼女たちだったが、目の下には酷いクマが出来ており、本来の年齢よりも老けて見えた。
彼女たちは疲れ果てた目から絞り出すように涙をこぼし、自身の不遇さを嘆いている。
「称号:使用人(テームズ専属)」。
弱音を吐いている彼女のステータスには、クロムウェル伯爵家当主であるテームズの専属使用人であることが書かれている。
以前まではここまで詳しい内容を見ることはできなかったが、ある時を境に以前よりも詳しい情報を見ることが出来るようになっていた。
1人の男性が彼女たちの元へ近づいていく。
「――あの、お聞きしたいことがあるのですが」
突然話しかけられたことに、彼女たちは狼狽する。
といっても、ここは廊下であり誰が聞いているとも分からないような状態であり、彼女たちの会話の内容はとても危険であると言えた。
しかし、その男性の気配が全くしなかったのも事実であるのだが。
「……見ない顔ですが、何か?」
弱音を吐いていた女性を慰めていた少し気の強そうな女性の方が、その男性を訝し気に見ながらそう尋ねる。明らかに警戒の色が見て取れる。
「昨日からこの屋敷に配属されて者です。以前は他のお屋敷で働いていたのですが、少しミスをしてしまいまして……」
その男性の顔に少し影が落ちる。
さっきまで警戒の視線を送っていた女性も「あぁ……そうなの」と同情めいた視線へと様変わりする。この屋敷には彼の様に他の屋敷でミスをして送られてくるようなものが多い。
そういう人は決まって1か月もせずにこの屋敷から消え去っていく。
「あの、旦那様からお部屋に来るように仰せつかっていたのですが、場所が分からなくて……」
その男性は頼りなさそうに頬を掻く。
女性は、いわゆる典型的な仕事が出来なさそうな印象を持った。しかし、教えてあげないと目の前の彼はすぐに屋敷から消えていくのだろう。
「……旦那様の部屋はこの屋敷の最上階、3階にあるわ。階段を上って左側の最奥のお部屋。
……何を頼まれたのか分からないけれど、自分を殺して奉公すること。……さもないと、早死にするわよ」
「……ご忠告ありがとうございます。ビアンカさんも周囲には気を付けてくださいね」
青年は素直に礼を言うと、一つ小さなお辞儀をして階段の方へと向かっていく。
彼女の言ったことを理解していたのか、特に不思議そうな顔をすることもなく。
「いい人そうでしたね」
「えぇ、でもああいう子が早死にするのよ」
彼女たちは周りに誰もいないか確認しつつ、仕事場の方へ戻っていく。時刻は既に22時を優に超えていた。
仕事場といっても、屋敷の仕事をするわけではない。
彼女たちは昼間は使用人として労働し、夜からは内職をしてわずかな貯金を作っている。その内職で一定額の貯金を作ることが出来れば、この屋敷を出ていくことも夢ではない。
そのため、彼女たちは寝る間も惜しんで内職をしていた。
彼女たちは用意されている自分たちの部屋に帰っていき、黙々と内職を続けるのだ。
静かに手を動かし続けていると、ふとさっきの会話が頭に浮かぶ。
あの青年、どうしてあんな時間に呼ばれたのかしら……。
さっきの青年は何も持っていなかった。つまり、何かを取ってくるように指示されたわけでは無く、伯爵が彼自身に用事があったことになる。
――そういえば。
「……そういえば、何故私の名前を知っていたの?」
「やっぱり、思った通りだ」
茶色の髪をした20代前半ほどの青年は、伯爵の部屋から持ってきた資料を眺めながらそう呟く。場所は地下牢の中だ。
「帳簿もしっかりと書かれていたし、怪しい記述は一切ない。つまり、仕事面では優秀だと言える、か」
伯爵の部屋に置かれてあった帳簿の類には、一切の怪しい部分がなかった。
つまり、税金や王都からの補助金などはしっかりと管理がされており、横領などの事実はないということだ。
「それ故に王都に近い場所にありながら、ここまでバレずにやってきたと。まさに灯台下暗しってやつかな」
実際に王が伯爵を疑っているか否かは定かではないが、ここまで野放しにしている以上は完全に認知していないのだろう。王都から2日の距離という、比較的王都に近い場所でありながら。
「……これは、もう少し調査しておく必要があるかな」
そう呟くと、彼はまた地下牢の階段を上っていく。……長い金髪をなびかせながら。




