84話 地下牢
アルは、ムンナという地下牢に閉じ込められていた女性にこれからの計画を話していく。
顔は見られているので別段身分を隠す必要もないのだが、事が大きくなった時に困るので身分についてはぼかしながら話した。
「まず、屋敷から出ることは簡単だと思います」
屋敷の警備はそこまで強固なものではない。
外からの侵入についてはあまり警戒していないからか、この隠し階段がある部屋にすら窓が設けられているほどだ。
ただ、問題なのはその後だ。
彼女の言っていた3日間の猶予を有効活用できたとしても、王都を行き来するのに最低4日、状況説明などの期間も考えるとそれ以上の時間が必要になってくる。
その間に、必ず誰かがこの地下牢にやってくるだろう。まず、その3日間の猶予でさえ確実ではないのだ。
「……やっぱり、偽装工作は必要かな」
アルは小さな声でそう呟く。
そして、じっとアルの方を見つめている彼女に視線を戻した。
「いくら何でも遅い……」
アルに言われていた通り退路を確保していたクランだったが、アルが一向に帰ってこないことに対して不安を募らせていた。
あのアルの事だから、万に一つも失敗などしないだろうと思ってはいるが、人ひとり連れ帰ってくるのにここまで時間を使うとは思っても見なかった。
屋敷の方に異常はない。
もし侵入者でも見つかれば、門周辺に衛兵が押し寄せているはず。つまり、まだ作戦が失敗しているわけでは無い。
クランはそう自分に言い聞かせながら、アルを待っていた。
すると、クランの視界の端に1人の女性が身をひそめながら茂みを進んでいる光景が目に入る。
クランは直感的に、その女性がアルの言っていた人物であると理解する。おそらく屋敷の両側にある鉄でできた高い柵を乗り越えてきたのだろう。
クランは茂みに身を隠しながら屋敷の方へ進んでいく。
その女性は衛兵の方にばかり気が行っている様子で、近づいていくクランには全く気が付いていない。
「――静かに」
クランはその女性に近づくと、彼女の口を手で塞ぐ。
急に話しかけると、驚いた彼女が声を上げてしまいかねないからだ。
その女性は突然の事に驚いてはいたが、すぐに状況を把握した様子だった。
警戒心は薄いようだが、頭は回るらしい。
「私はアル――貴女を逃がした者の従者です」
クランの言葉に安心したのか、彼女の体に入っていた力が抜けていくのが分かる。
クランは彼女の反応からアルの言っていた女性であると確信する。そして、確信が持てた所で彼女の口を塞いでいた手を緩めた。
クランは彼女が落ち着いたのを見て、周囲を確認する。
幸い誰かに着けられているというわけではなく、門番をしている衛兵たちにも気づかれていない。しかし、肝心のアルの姿が見えない事にクランは不安を抱く。
「我が主の姿が見えないのですが」
クランは彼女の方に視線を戻してそう尋ねる。不安故に、少し厳しい口調になっていた。
「それが――」
その女性、ムンナはクランの口調に少し緊張感を抱いたが、事の顛末を話した。
自分が領主の屋敷にある地下室に閉じ込められていたこと。そこに1人の少年が入ってきて、自分を救い出してくれたこと。
そして、彼の手助けのおかげで屋敷の外に出ることができ、こうして茂みを隠れながら進んできたこと。
話を聞いていくと領主の考えの稚拙さが浮き彫りになっていく。
人さらいをするにしては管理の徹底がされておらず、仕事が出来ない悪徳領主という姿が容易に浮かんだ。
しかし、クランが気になっていたのはそこではない。
「それで我が主は今どこに?」
彼女の話を一通り聞いたクランは話の本題に切り込む。
彼女はクランの真剣さに少し身を震わせる。一旦屋敷の方に視線を送り、眉間にしわを作る。
「あの方は私の代わりに地下室におられます。これを貴方に渡してくれと」
ムンナはそう言ってポケットに入れてあった紙をクランに手渡す。
クランはすぐにその紙を受け取り中身を確認する。
間違いない。アルの字だ。
ここ数年間見慣れた字に少し安心感が湧く。しかし、中の文章を読み、すぐにそれは緊張感へと変わる。
「……分かりました。本当に困った人ですね」
クランは中身をすべて読み終えてそう呟く。心なしか表情に柔らかさが戻っていた。
「ムンナさんですね。明日の早朝にはここを発ちます。もしかしたらこの街にはもう帰ってこられないかもしれません。……心の準備が出来ていますか?」
クランは紙を大事に折り、懐へ仕舞うとムンナの方へ視線を送る。そして、最後の確認をとる。
王都へはあと2日で着く。
上手くすれば4日後にはこの街に王都の調査部隊が派遣されるだろう。そして、ここの領主を拘束することが出来る。
しかし、ムンナがこの街に帰ってこられるとも限らない。
領主が上手い事証拠をつかませなければ領主を拘束することがかなわないからだ。そうなると、ムンナはこの街に戻ることは出来ない。
ムンナはクランの言葉を受けて、少し考え込む。
生まれた時からずっとこの街で生活してきた。思い入れが無いとは言えない。
しかし、この街の人は私を助けてはくれなかった。
連れていかれる私に憐みの視線を送るばかりで、誰一人として危険を起こして助けようとはしない。それが彼女にとって、とても悲しかった。
それに比べて、彼はどうだ。
彼の容姿、口調、服装などを見れば、すぐに貴族だという事は分かった。それなのに、見ず知らずの私を助けようと身代わりとなって地下牢に残っている。
そんな彼のために出来ることは……。
「――はい。私の為にここまでしてくれているのです。ここまで来て期待を裏切ることは出来ませんよ。」
ムンナの心の中にはアルへの「恩返し」という気持ちしかない。彼のために出来ることは何でもするつもりだ。
クランはそんなムンナの目を見て小さく頷くと、街の外に止めてある馬車の方へ歩を進める。その後ろをムンナはついていく。
「……アル様、大丈夫だとは思いますが、どうかご無事で」
クランは遠くなっていく屋敷を見ながらそう呟いた。
「これが非常食の味かぁ……」
屋敷の地下牢ではそんな言葉が発せられていた。
非常食は、カチカチのパンを缶に詰めた物や動物の干し肉などが置かれており、日持ちはするだろうが、味や栄養素には特に気を付けていないものが用意されていた。
正直に言ってあまりおいしくない。
「さて、ここから3日間何をしようか」
地下牢では、長い茶色の髪色をした平凡な顔たちの女性が1人、干し肉をかじりながらそう呟いた。
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