123.交渉
目的のポイントに辿り着いた香織達は、すぐに行動を開始する。
「咲達は、周囲の確認をお願い。私は、ここら辺から壁を作っていくから。周囲の地形が変わるから、皆も気を付けてね」
「ええ、分かったわ。香織も気を付けて」
「うん」
香織と咲達は、別々に行動する。香織は、壁建設予定地の上に立った。そして、足元から魔法陣を広げていく。その範囲は、京都の時と同じくらいだ。神の領域で魔力量も跳ね上がっているとはいえ、この範囲を支配するのは、少し疲れる。周囲の地形から、土を借りて壁を作り出していく。
「変えるべき地形は正面。なるべく、ベヒモスが歩きにくいように出来れば、万々歳。穴を深めにしたら、そうなってくれるかな」
香織は、ベヒモスが進行してくる方向の土を積極的に使って、地面に深い溝を作り出していく。厚さ四メートル高さを五十メートルの壁を五十メートルほど作ったところで、一旦休憩をとる。
「ふぅ。百メートルの壁を作っても、十キロの高さがあるなら意味がないと思ったけど、穴も同時に作れば、その分稼げるのか。じゃあ、穴の深さも意識して壁を作ろう」
罠に関しては、この穴に何かを仕掛ける事になる。香織は、そこら辺も考えつつ壁造りを再開していった。香織の魔力を全て使っても、厚さ四メートル高さ百メートルの壁を百メートル作るのが限界だった。香織は、魔力回復薬を多用して、次々に壁を建てていく。結果、一日で十キロ進むことが出来た。その分、穴の深さと広さも広がっていく。穴の深さは、大体五十メートルほど。ベヒモスにとっては、大したことのない高さでも、いつも歩いている場所とは、全く違う地形になる。違和感を感じて、進行方向を変えてくれれば万々歳なのだが、実際にはどうなってくれるか分からない。
「壁……高さを上げるなら、相手を下げても良いはず……ちょっとやってみようかな」
香織は、何か良い方法を思いついたようだ。だが、まずは、壁の建設を急ぐことにする。壁を作る要領も分かってきたので、段々と建設の速度が上がっていく。三日が経った頃、壁の全長は五十キロ以上まで進んだ。
「壁の建設は、これでオッケー」
「思っていたよりも早かったわね。正直、ギリギリになるかと思ってたわ」
香織が建設を行っている間、咲達は、付近の様子を確認していたが、これといった異常はなかった。建設に関しては、完璧に成功したと言って良いだろう。
「じゃあ、ニューヨークに戻るのよね?」
予定では、壁を建設したら、ニューヨークに戻る事になっている。しかし、香織は、咲の問いかけに首を振った。
「ううん。ちょっとやることがある。咲は、お母さんに報告しに行ってくれる? 一応、報告書として簡単にまとめておいたから、これも持っていって。焔達も咲に付いていって。向こうの人手が足りているか分からないから」
「香織を置いて行けって事?」
「うん。現状、ここの防衛線を作るのは、私にしか出来ないから。周囲に異常がなかったなら、私だけでも大丈夫なはずだから」
「……分かったわ。今は、我が儘を言っている時ではないものね。焔、星空、白雪、一度ニューヨークに戻るわよ。お義母さんに指示を仰ぐわ」
焔達は、心配そうに香織を見た後、咲に付いていってニューヨークに向かった。
「さて、後は……」
香織は、自分が作った穴を見て、その中に飛び込んでいった。少しでも、ベヒモスの進行を止めるために。
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香織と別れた咲達は、空を駆けて、ニューヨークに戻った。そして、その脚で、すぐに真夜の元に向かった。
「お義母さん、ただいま戻りました」
「咲ちゃん、おかえり。香織は?」
「まだやることがあると、壁に残っています。これが、香織の報告書です。壁自体の建設は終わっています。前方にも深めの穴を作って、なるべく壁を高く見せているようです」
「うん。なるほどね。これなら、少しは稼げるかも。ただ、香織が心配ね」
「何か他の事も書いてありましたか?」
真夜が、報告書を読みながら、苦い顔をしていたので、咲は首を傾げていた。
「ベヒモスと交渉してみるって」
「……ベヒモスが言葉を発した事は?」
「ないわね。そもそも言葉を発するモンスターは、解放軍でも確認出来ていないわ」
「やっぱり、酒呑童子達が特別だったと考えるべきですね」
「そう考えるのが、普通ね。でも、仮にベヒモスが喋れるとしたら、話し合いで解決出来る可能性が僅かにあるけど」
「そうですね。まだ、ベヒモスが来るまで、時間があります。私達がする事はありますか?」
咲の問いに、真夜は少し考え込む。
「今、冒険者の人達にも協力をお願いしたの。おかげで、住人の避難は順調に進んでいるわ。だから、咲ちゃん達には、食糧の量産を手伝ってちょうだい。ここのエリアが、食糧区だから、ここの栽培エリアで、作物を取って、こっちにある加工室まで運んで」
「分かりました。焔、星空、白雪行くわよ」
「はい」
「分かった」
『うん』
咲達は、食糧区に向かっていった。現状、戦闘になるかどうかは分からない。だが、仮に戦闘になったとしたら、悠長に食事をしている暇など無い。そのため、解放軍は、香織が前に作っていたようなレーションを増産しているのだ。咲達は、その手伝いのために動き出す。
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そして、運命の日がやって来た。香織は、壁の上でベヒモスが近づいてくるのを見ていた。
「でか……」
まだ少し距離があるはずなのに、その大きさは、異常だった。高さが十キロという異常な高さは、香織も恐怖を感じざるを得なかった。壁の上に立っているというのに、一番上が見えない。ベヒモスの周囲に雲が発生しているのだ。恐らくは、山と同じ原理で発生しているのだろう。さらに、一歩歩く度に、地面が揺れ、風圧で周囲の地面が捲れ上がる。あんなのが、ニューヨークに来たら、全てが更地になってしまうだろう。
「交渉……出来るのかな?」
香織は、今までにない圧倒的な存在に、交渉の余地があるのかと不安になる。
「でも、やるしかない。戦わないで済むなら、それにこしたことはないと思うし」
香織は、アイテムボックスから拡声器を取り出す。真夜の家で作ったこれは、魔力を込めれば込めるほどに、声が大きくなるという代物だ。
『ベヒモス! この声が聞こえてたら、そこで止まって!!』
香織の声は、かなり遠くまで響き渡った。それは、咲達が待つニューヨークにも微かに届いている。なので、ベヒモスにも十分に届いているはずだ。香織が、叫んでから、二分後。ベヒモスの動きが止まった。ベヒモスの身体で発生した雨雲が、香織のところまでやってきて雨を降らせた。
『矮小なる者よ。何故、我の歩みを止めさせる?』
ベヒモスが低い声でそう言った。ベヒモスが口を開く度に、暴風が、壁に叩きつけられる。
『この先は、私達の住んでいる場所があるの! だから、進路を変えて欲しい!!』
香織の懇願にベヒモスは、すぐに返事をしない。香織は、辛抱強く待つ。雨に流れて分かりづらいが、香織の額から脂汗が出ていた。
『何故、我が貴様等矮小なる者を気にしなければならない。気に入らないのなら、今まで通り、攻撃すれば良かろう。突然、交渉に踏み切ったのは、何故?』
『話し合いで済むなら、それにこしたことはないから! 無駄な戦いを避けるためだよ!』
『なるほど。考えたな。だが、我が歩みを変えることはない。気に入らなければ、抗うがいい。矮小なる者、いや、我と同じ権利を所有する者よ。貴様が相手なら、我も本気を出そう』
香織の考えは甘かった。完全にベヒモスというものを見誤っていた。ベヒモスは、温厚なのでは無く、単純に、人への興味がないのだ。だが、ベヒモスと同じ、統治権を持っている香織に対しては、少し興味があるようだ。
「なら、やるしかないじゃん……」
香織は、拡声器を仕舞う。
世界の存亡を掛けた戦いが始まろうとしていた。




