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「手がまだヒリヒリしますよ? 坊ちゃま。全く止めて下さいよぉ、坊ちゃま」
赤くなった右手の甲を俺に向かって見せたが、
「坊ちゃま安売りすな。あれはお前が悪い」
冷たく押し返した。
馬車での一悶着で既に二番街跨ぎを終えており、街中へ入っている。子供の溜まり場ミンミ雑貨屋がすぐそこって、もう着くじゃないか。
到着する前にここまで疲れるとは思わなかった。
左手に曲がると馬車が二車線走れる広さの道路に入る。さっきまでの人の往来はなく快適な走行に変わる。
近々大きな建物が出来るらしいと建築のカンカンと打ち付けている音が聞こえる。
「坊ちゃま、立つのは危のうございます」
「新しく建物が建つって噂聞いたことない?」
ケミは少し悩んでから
「……チューベローズさんの別宅ですかね?」
「あー……」
チューベさんね、色欲のチューベさん。ありうる桃色な嫌なイメージが声が尻下がりにさせる。
「あ! そういえば、自分の母校の新しい学生寮の建築もやってたはずです」
「へー」
学生寮、無縁です。
徒歩十五分と通える距離にあるから、学生寮はむしろ遠くなる可能性まである。
相部屋とかワイワイ仲間内で集まるとか青春系に多少の興味はあるが、年単位は微妙なところがある。そりゃあ、目標があって将来のため入学しましたーって大志があれば意欲がどばーってなり頑張れますけど、決まった将来を謳歌させられる決定事項を道を踏み外さない程度に、ささやかな幸せを感じらるような生きる糧を見つける。
そんな人生を過して一生を終えようかと思う宣言を心に刻んでいると馬車が停車する。
先に降りたアケミの手を借りて馬車から降りる。
私は帰ってきたぞ! って五日振りの帰宅でもそんな感じに思う。久しぶりの我が家は、もう門前で安心する。
番頭のハロルドが出迎えてくれた。
「坊ちゃん。お待ちしておりました」
「やあ、ハロルド。好調そうで」
壮齢のハロルドは「坊ちゃんのおかげで」とニヒルに笑う。
ハロルドの代行は両親の都合がつかないという場合。大抵どちらかは出迎えがあるはずなのだがそれどころじゃなく忙しいらしい。流石に夕食は一緒に取れるだろう。
「坊ちゃん見ない内に背伸びたんじゃないですか?」
「いやいや、数日前会ったばっかりじゃないですか」
「男子三日会わざれば、ですぜ? 坊ちゃんくらいの年齢なら尚更、明後日にはもう俺の身長をを追い越すかもしれませんぜ?」
「バカなことを」と笑う。
「書斎で旦那様がお待ちです。あっしはここで失礼しやす。後は親子水入らずでお過ごし下さい」
「ハロルド。ありがとう!」
たった数日で変化があるはずもないが、なんかキョロキョロと辺りを見回しながら進むとガレージが空ではて? と足を止める。荷詰めにしろ、荷下ろしにしろ誰かしら人がいるのだが、影さえ見当たらない。いつもは荷車に乗せきれないのでは? 山積みになっているはずの木箱さえ、折り畳まれ重なっている。
……ああ! 昨日が商売に行った日だったのかと納得し、止めた足を進める。
アングル家は先祖代々の貴族のお抱え商で財を成した根っからの商売人の家系である。貴族街の周りの高級住宅地の一軒がここである。交通の便は抜群であるが、それに似合う以上に地価は高い。貴族お抱え商の面子というのもあるが、見栄あろう。でなければガレージプラス屋敷なんて広く土地を買わない。ここがレンタル本拠で居住屋敷が辺鄙なんてあるあるだ。
不自由なく生活している身の上で文句はないのだが、同居する小市民が無駄な広さとは思ってしまう。
そんな下手な貴族よりいい暮らしをしている自分は、小金持ちのぼんぼんなのである。下級貴族より金を有しているのではない。下級貴族に借金があるので相対的にそうなってしまっている。知るつもりはなくとも、ここの息子である以上情報は聞こえてしまう。
生活する上でのお金には困っていない。困っていませんが、見てくださいこの噴水。女神像が立っています。下手に金を有していると変な物を買わされる。噴水は百歩譲っても、女神必要? 付き合い上の国教家ですけど、折るという選択肢はちょっと……
バチリッ! 足先の地面が焼け焦げる。
「あら? 帰ってきたの? 穀潰しのベガお兄さま」
声がする方向、上か。バルコニーから身を乗り出す少女は、微妙に距離がある。わざわざこちらに聞き取れる声量を張って、わざわざ立ちっぱなしで待っていたのか。大層なお迎えで。
――昨日は大雨で日の出前に上がったはずだ、濡れてない? 手すり。
二階のバルコニーから飛び下り、着地。
放電により落下衝撃を和らげたのか、ピシピシと帯電してる気がする。
中二病心をくすぐるような登場に妹の兄としては将来が心配ですわー。
中二はこの世界で確立した単語ではないので概念はないですけど、過剰というのは目に余る。
「カペラ、お転婆が過ぎるよ。もっとまともな挨拶仕方は無いのかよ。可愛げにおかえりなさいだけで、出迎えてもいいんだよ?」
隔世遺伝のすみれ色の髪の妹、
「それじゃあ言ってあげる。おかえりなさい。穀潰し! あんたにおべっか使うなんてヘドが出るわ!」
異議あり! みたいにびしーって指先をこっちに向ける。人を指差さすなと今言っても聞かないだろう。
俺の妹が荒れている。
いつも以上に荒れていて、どうしたものか……
「カペラさまぁー」
弱気な青白いボサボサしたクセ髪の少女は、情けない声を出して屋敷の玄関扉から出てきた。直接の面識はないけど、妹の家庭教師? ワガママ姫に振り回されて、お手を煩わせておられるに違いない。きっとフラストレーションのほこ先がこの方に。クマまで出来て相当な苦労を……
「まだいたの。クビといったはずよ? 貴女から学ぶことは何一つないわ! クビよ! クビー‼」
これは行き過ぎ。
「お説教‼」
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「ごっ、ごべんなっ、ごめんなざぁああああいっ!! うわっ、うわあああああああぁぁぁぁああああんっ!!」
妹を反省をさせるのに骨が折れました。額の汗がながれて拭うくらい。何故だか心地よい満足感と高揚感があります。ふー。
「あのぅ、ベガさま? 私ケミーにございます。妹君の大泣きに私ケミーはドン引きにございます」
いやいや、ケミーさん。お説教ですよ? 多少口が走りましたけど、そこまでは……反省はあれど、アレではないはずです。ドン引きはいい過ぎ。きょ、きょーいくてきしどーです。
そんなハズは……横目でちらりと確認。
疼いてますね。嗚咽が出るくらいですか。
そうですか。
「兄妹ゲンカってことにならない?」
「一方的に捲し立てて何を言っているんですか。喧嘩両成敗の引き分けに持ち込もうなんておこがましいにも程がありますよ。この妹を見てどうしてそんな言葉がでるんですか? クズの発想ですよ。クズ。だから、妹に好かれないんですよ」
まったくもっておっしゃるとおりです。