第90話 絶世なる褐色美女と褐色美少女
シャルーア達が滞在している下級宿1階のレストラン。
「これはいい砂漠サメですね、料理長に捌いていただきましょう」
シャルーアに紹介され、ナーダは砂漠サメをこのレストランで働く給仕、チャックに預けた。
「にしても驚いたぞ娘。まさか傭兵とはな」
シャルーアが大量の食材を運んでいたのは、彼女にも出来そうな仕事としてリュッグがギルドから請け負い回したからだ。
しかしナーダの理解では、傭兵とは戦いに身を投じる者達―――自身も武闘の才を持つがゆえに一目でわかる、この少女はド素人だと。
「正確には、傭兵見習い……いえ、お手伝いと表現した方が正確です、出来ることはまだまだとても少ないので」
相対するシャルーアは、普段以上に饒舌……いや、丁寧な言い回しと所作を取っていた。
ジャスミンは比較的普通に椅子へと腰かけ、ナーダはやや乱暴気味に座っているにも関わらず、まるでお偉いさんに対峙するかのよう。
それはシャルーアの育ちの良さに起因していた。
「(この娘―――)」
見抜いている……いや、無意識なのだろう。二人が相応の身分立場の者であると、理解している。
ナーダとジャスミンは横目で軽く視線を合わせ、小さく頷きあった。
「とりあえず何かの縁だ。私はア=ナーディアという、ワダンの民だ。ナーダと気楽に呼んでくれてよい」
「ジャスミンと申します。以後お見知りおきを」
二人は小さな首肯混じりに、簡単に自己紹介を済ませる。
するとシャルーアは自分も返さなければと、同じく座ったままながらペコリンと上半身を折り、相手より少し深い礼を踏まえて名乗った。
「シャルーア=シャムス=アムトゥラミュクムと申します。どうぞ、シャルーアとお呼びください」
それは、リュッグにすら名乗ったことのないフルネーム。
名家のお嬢様として可愛がられるだけでなく、相応に上流階級の教養を教えられた彼女は、高貴な人間を理解する。
それは、単純な社会的階級や爵位という意味ではない。あの妖異アズドゥッハとの戦いの後くらいから、不思議と人そのものを感じられるようになっていた。
それは仄かな感覚ではあるのだが、その人の善悪や憂い、哀しみ、苦悩、喜びなどの感情的なもの、そして高潔さや意志の強さ、向いている方向性などが、何となくというとても曖昧なレベルで、シャルーアは感じるようになっていた。
そして目の前のナーダという女性からはとても高潔で品格あるものを感じ、気づけば上流階級の礼儀作法に乗っ取るような挨拶を、自然としてしまっていた。
軽率に名乗ってはならないと亡き母に言われていた表のフルネームを口にしてまで。
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「今戻った、シャルーア。そっちの仕事は―――」
リュッグがレストランに入ってくるのを迎えたのは、シャルーア一人ではなかった。
「ほう、貴殿がこの娘のご主人様か?」
やや棘のある言い回し。シャルーアとは少し色味の違う褐色肌、肉体美に非常に優れた美女だが、どこか油断ならない肉食的なオーラを感じる。
蛮族の女王―――いや文明の香りはするが、あまり着飾らないような印象を受ける絶世の美女が、シャルーアと対面する形で一つのテーブルを囲んで座っていた。
「……失礼、貴女は?」
リュッグは少しだけ警戒の色をにじませる。いかに最近は多少社会慣れしてきたとはいえ、シャルーアは基本お嬢様な少女。言葉たくみに騙そうとする類の人間が寄ってこないとは限らない。
そんなリュッグの心底を、美女は見透かす。純然たる保護者の目―――弱気を庇護する、意志ある者の輝きを中年傭兵の両目に見ていた。
「ああ、別に怪しいものではない、ナーダと言う。ワダンからの旅行者だ。この町に着く前に砂漠サメを仕留めたのだが、せっかくの肉を持てあまし、どうしたものか悩んでいたところ、娘にここを紹介してもらってな」
そう言うとナーダは、フッと笑うと同時にその雰囲気を緩ませた。
「リュッグ様、お仕事お疲れ様です」
椅子から立ってパタパタと駆けてくるシャルーアは、リュッグの持ってきた荷物の一部を持つ。
3kgあるかないかの袋だが、シャルーアにはそれでもまだ両腕で抱えあげないと安定して運べない。
「ああ……シャルーア、それを部屋に運んでおいてくれるか?」
「かしこまりました」
リュッグは少しでも鍛えるため、意識的にシャルーアに荷物を運ばせるようにしている。今日やらせた仕事も、収入より体力作りが目的だった。
「安心した、どうやら悪いご主人様ではないようだな」
シャルーアの姿が階段を上がって見えなくなったのを待ってから、ナーダは言葉を投げかける。
「……もしそうならば、斬り捨てるつもりだったか?」
「さて、そこはどうだかな……あの娘が自分の意志で己を “ 所有物 ” とのたまっているのは理解していた。だが、本人はそれでよいとしていても、その性格に付け込んで " 所有者 " が悪事を働かん者だとは限るまい?」
ナーダはニヤリとする。だがその眼光は笑っていない。
おそらくシャルーアとの会話で、リュッグとシャルーアの関係性を理解したのだろうが、その実態次第では本当にリュッグを殺すことも視野に入れていたのだろう。
そして、それ以上にこの美女は目で語る。
「……ワダンのお偉いさんか。お忍びで調査、というところか?」
「!」
「抑えよ、ジャス」
一瞬でリュッグを始末する態勢に移行した従者を、言葉一つで止める。
ナーダの態度に変化はない……ジャスミンは、ゆっくりと椅子に座り直した。
「よく見破った、ファルマズィの兵士か?」
「いや、本当に単なるフリーの傭兵だよ。……ただ、それなりに長いんでね、人を観察する術と人生経験の合わせ技、というところかな」
嘘はない。完全に真実だ。
そうそうない事とはいえリュッグ自身、上流階級の人間に接した機会は幾度もある。彼らは真なる意を迂遠な言い回しと目で語るのだ。
ナーダはお忍びとしては初心者。そういった上流階級の者が修得している会話方法が、一般的でないことを知らなかった。
「ま、お偉いさんの考えることに興味はない。こちとら単なる傭兵……それもひと仕事を終えて疲れて帰ってきた、くたびれた中年オヤジだ」
そういってリュッグは、おどけながら椅子にこしかけた。
するとナーダも、張った気を緩める。
「そうか、ならば少し教えてもらえたりしないものか?」
「? 何をだ?」
問い返したリュッグに、ナーダは緩んだ雰囲気のまま口元だけを笑ませ、そして問いかけた。
「―――ファルマズィの “ 御守り ” について、知っている事を話してもらおう」




