第69話 彼女達の手は握られず
夕方よりも、ほんの少しまだ早い時間。
「本日は、本当にありがとうございますシャルーア様。とても楽しい時間を過ごさせていただきました」
真逆ともいえる美少女二人は思いのほか意気投合し、一緒にジューバの町を散策した。
日光を避けるための黒衣の中で、その定まらない視線は懸命にシャルーアの姿を見んとしている。
生れてから嫁ぐまでの間、ヴァヴロナ国の実家の奥にずっと大事にしまわれていた彼女にとって、それは初めての " お友だち " と呼べる存在を感じた瞬間だった。
「いいえ、こちらこそ連れ回すことになってしまい、申し訳ございませんでした」
シャルーアも名家の御令嬢出身である。貴族令嬢だった彼女とは交わす言葉遣いから僅かな所作に至るまで……自分の培ってきた常識が少なからず通じる同性は、とても接しやすく、交流しやすかった。
肌の色も置かれている立場も真逆な二人の間には、すでに相性の良い友情が構築されつつある。
しかし――――――
「あ、ようやく見つけましたルシュティース様、―――っ!」
「! ………」
駆けつけてきた者は口を閉ざした。
鎧に身を包んでいるが国の軍人ではない。個人に雇用されている要人警護をしている男だ。
そしてシャルーアも口を閉ざした。その男の顔を良く知っている―――何せかつては自分に仕えていた者。
そしてルシュティースと呼ばれた彼女は、“ 夫の仕事の都合でこの町に来ている ” と言っていた。
「(………そうなんですね)」
理解する。かつて自分が依存するように愛した男性は、もう別の女性を妻として迎えているのだと。
二人が突然黙ったことに彼女―――ルシュティースは黒衣の中で首をかしげていた。
「……、お迎えの方のようです。ここでお別れですね」
シャルーアは、バツが悪そうにしている男にクスリと微笑むと彼女から1歩離れる。
気配が遠ざかったのを感じたのか、ルシュティースはシャルーアを探すように軽くキョロキョロと視線を彷徨わせた。
「え、ええと、あの……またお会いできるでしょうか??」
お別れの前に次に会う約束を―――それはルシュティースがシャルーアに強く友情を感じている証だ。
しかし、ここでハイとは言えない。心情的にも現実的にも。
「……いろいろな場所を巡っておりますので、またお会いできるかどうかは、わかりません、残念ですが」
振り切れないこの感情がある限り、シャルーアはルシュティースを見るたびにあの人を思い出してしまう。
そして傭兵であるリュッグと各地を転々としながらの生活は、再び会うことを約束できるものではない。
「そう……ですか、大変に残念なことですが、……あの、もし、もしもまたこの近くにお立ちよりの際はぜひっ!」
ルシュティースにとっても、心許せる友など生まれてはじめてのことだ。シャルーアとの別れ、再び会えないのはとても悲しい。
すがるような声と弱い視力で探し求める姿に、男は涙が出そうになった。
「……はい、もしお会いすることができましたら、その時はまた。……では失礼致します」
男に、後はよろしくお願いしますという意を込めて礼をすると、シャルーアはその場から立ち去っていった。
――――――高級宿への帰り道。
警備の男はある事をルシュティースに警告していた。
「奥方様……ご主人様には先ほどの御方の話はなされないでください」
「?? シャルーア様のことを、ですか?」
「はい……ご主人様は今、大変なお仕事に就かれていると聞いております。もし奥方様が先ほどのかたの事をお話になれば、あるいは良いように取り計らってくれるやもしれません」
それは嘘だ。もしあの野郎がシャルーアの行方を知ったなら、何か行動したとしても、せいぜい自身が弄ぶために妻に黙って接触する程度だろう、遊ぶために。
決して、ルシュティースにシャルーアを引き合わせようとかする事はないと断言できる。
ただでさえ最近、外に女を何人も作っては遊んでいる実績がある。彼ら警備を担当し、ルシュティースを護衛している者達は、懸命にそのことを彼女の耳に入らぬように気を遣っているほどだ。
「ですが―――」
「分かっておりますよ、あの人のお仕事のお邪魔になってはいけませんものね」
病弱な彼女は、まだ片手で数えるほどしか夫と夜を過ごしていない。その数少ない閨にしても、夫婦の義理的なものでとても営みと呼べるほどのものではなかった。
それを、ルシュティース自身は夫に愛されているからこそ、病弱な自分の身を案じて大事にされているからだと思っている。
なので夫を支え、夫の足を引っ張るようなことは妻として慎むと、男の警告をあっさりと笑顔で受け入れた。
ルシュティースの歩みを支える彼は、自分の心臓が引き裂かれそうな気がした。張り裂けそうな気持ちというものは、こういう事を言うのだろうか、と。
「(うっう……申し訳ありません、奥様。申し訳ありません、シャルーアお嬢様っ)」
まさかルシュティースとシャルーアが遭遇し、そして友情を分かち合えるほど相性が良いだなんて。
愛に弄ばれ、芽生えそうだった友情は結ばれず……二人の女性の運命を、双方を知るからこそ、男は嘆く。
そして沸き立つは強い憤懣。他ならぬ雇い主たる主人への怒り。
「(神よ、心の底からお願いします。いつの日かあの男に神罰を……そして、二人の女性が、共に幸せを得られますよう、何卒……)」
夜が近づく夕暮れ時―――仕える男の、慟哭とも取れる心からの願いは、はたして天に届くのか……




