第66話 断ち切れるもの
ドォッ!
「くあっ! ……く、くそっ、正気に戻ってくれ」
吹っ飛ばされた兵士の一人が悔しそうに地面を這う。どんなに抑え込もうとしても、とてつもない力で跳ね飛ばされてしまう。
辺りには兵士達にハンム、そしてリュッグも転がっていた。
「我々を傷つけないということは、まだ完全に我を失ってはいないはず、ここは何とか取り押さえてしまわねば……」
小隊の長としての責任感からハンムが何とか立ち上がるも、体力的にかなり厳しい。何度も吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた分、鎧の下は打撲痕も広がっている。
小一時間のせめぎ合いにも関わらず、変貌した兵士を取り押さえられないままに、全員が疲弊しつつあった。
「(おいおいマジかよ? 軍の兵士連中でも手に負えねぇとか)」
いかに武器を使わずにいるとはいえ、多くの人種の中でもっとも戦闘ごとに長けているはずの軍人。
それが集団でかかっても取り押さえる事ができない現実に、ハッジンは戦慄と恐怖で足がすくんで動けずにいる。
その場にいる者で無傷で立っているのは、もうハッジンとシャルーアの二人だけだった。
『フー、フー……』
幸いというべきか、変貌した兵士は肩で息をし続けるばかりでその場から動きだそうとする気配はない。兵士の意識がまだ狂うことなく耐えているのだろう。
しかし取り押さえんとして飛び掛かったり、触れてくる者には反射的に手足を振るって叩き飛ばす。
「(……どうする? ハッジン殿にシャルーアを連れて逃げるよう言いたいが、下手に移動しようとすれば、ヤツが反応して追いかけるかもしれない)」
リュッグも何とか立ち上がろうとしながら対策を考える。
しかし厳しい。ハッジンとシャルーアを逃がすにしても、魔物化した兵士を取り押さえてからでなければ危険だ。
「……」
二人の様子を伺うと、慌てふためくハッジンとは違って後ろにいるシャルーアは、押し黙ったまま何か不思議なものを見ているような表情をしていた。
「(……あの、黒い煙は……もしかしてきれるのでしょうか?)」
自分でも何故そう思ったのかは分からない。ただ何故だか変貌した兵士が全身に帯びている黒い煙。いまだ這い出てきた家の窓と繋がって見える部分が細く薄いように思えて、切れる気がしたのだ。
そしてシャルーアは何気なく視界にとらえた。ハッジンの腰にやや長めの短剣―――予備のシミター―――がある事を。
すると勝手に身体が動きだす。ほんのりとした自分の体温を感じながら、フラリと踊りだそうとするかのような軽やかな動きで、シャルーアはハッジンの横を通り過ぎつつ前に出た。
シャキンッ
「へ?」
まさかの人物が、自分のシミターを抜き取って前に出たのを、ハッジンは即座に理解できない。
それくらい刹那の間―――加えてこの時のシャルーアの動きは本当に無駄がなかった。
ともすればそのまま地面に倒れそうな、あるいは足を踏み出さずとも風に運ばれて行きそうな……なんとも形容しがたい軽い、とても軽い動きで空間を進んでいく。
速いわけではない、むしろ遅い。誰の目にもわかるスピードながら、誰もが理解遅れて、ただ少女の姿が変貌した兵士に向かって動いていくのを目で追うだけ。
そして男達全員が、それがシャルーアであること、兵士に向かっていく行動のほどをようやく理解及んだ時には既に、その手に持ったシミターが、全身で振るいあげられ、そして―――
ボ……シュバッァ
兵士の後ろの、何もない空間に振り下ろされていた。
・
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『ワタシ、ハ……イッタイ、ドウナッテシマッタ、ノカ……』
シャルーアが謎の行動をした後、まさしく何かの糸が切れたかのように、兵士が正気に戻る。
しかしその姿は変わり果てたままだった。
「一体、何がどうなったんだ?? さっきは何したんだ??」
ハッジンが不思議そうに聞くも、シャルーアはまだどこかぽやーっとしていた。
「……ぁっ、申し訳ありませんハッジン様。勝手に武器をお借りしてしまいました」
思い出したように、しかも先ほどとは違って重そうにシミターをハッジンのところに持ってきて返す。
そこにリュッグも合流してきた。
「シャルーア……とりあえず、怪我はないか?」
「はい、私はございません。リュッグさま、すぐにお手当の準備をいたします」
さっきは何をしたのかとは聞かない。
リュッグはあくまで、まずこの場を落ち着けることを優先した。
「ハッジン殿、軽傷とはいえ怪我人も多い。彼のことはハンム殿達に任せ、我々は手当ての準備と村人の安全を確保する事に努めよう」
「は、はぁ……ま、まぁ、村の連中も不安がってるわなたぶん」
オババの手引きで村人は、村外にリュッグ達が仮設したベースキャンプに避難している。
当然、魔物化した新たな被害者の出現に気を揉んでいるだろう。
「そういう事だ。まずは我々の応急手当、そして村人の安否確認―――こっちは自分で何とかなるからシャルーアは、ハンム殿らの怪我を頼む」
「はい、かしこまりましたリュッグさま」
シャルーアは用意した応急処置を分けると、多い方を持ってハンム達の方へ走っていった。
「あ、じゃあオレがやりますよ。おかげさまでこっちゃ無傷だったんで」
「……。そうか、じゃあ頼むとするよ」
リュッグは、ハッジンの問いに対してシャルーアに答えさせなかった。もちろん意図して割り込んだ。
「(シャルーアには明らかに我々とは違うものが見えてた。それを知る人間はまだなるべく少ない方がいいだろう……特に)」
腕の一部に包帯を巻いてもらっているハッジンを見ながらリュッグは考える。
軍人で、その口に信頼性が期待できるハンムらとは違って、若年な傭兵のハッジンは口が軽いかもしれない。
もし少女に特別な何かがあったとして、それを不特定多数に言いふらされた時、シャルーアにとってプラスにならない可能性がある。
「(……詳細を聞くのは、彼がいない時にするか)」
年を重ねたベテランだからこその判断であり、また教え導く者としての責任感からの判断―――リュッグは、このハッジンという若い傭兵に信を置いていなかった。




