第58話 異常事態
――――――ムカウーファの町、とある民家の中。
「マズイですね、相手の増援っぽいです。恰好からして軍の兵士だと思います」
音が聞こえないというのがもどかしいが、まかりなりにも彼も傭兵。見える状況から、新たに現れた兵士風の者とリュッグ達の関係性を解して、声色に危機感をにじませた。
「ふむ、実験はここまでか。さすがにまだ訓練を積んでいる者複数を相手どるはリスクが高い……引き揚げだ。戦闘を中断、魔物を町の外まで移動させよ」
ローブの男は致し方ないと残念そうだが、操作する彼は内心ホッとしていた。
魔物の遠隔操作とやらが、想像以上に難しいのだ。
何やら魔術的な文字が刻まれた絨毯で覆った椅子に座り、やはり魔術的な文字が刻まれているマントを上から被せられる。
その上で両手足はやたらと重い、不可思議な輝きを持った金属製グローブとブーツで固められる。
息苦しくて暗い中、ぼんやりと見えてくる鮮明とは言い難い魔物の視界。やたらと重い手足は動かす必要はないのだが、力のこめ方によって操作するのですごく繊細で難解だった。
たとえば右小指あたりにだけ力を入れて他は力を抜くようにすると、魔物は右肘を前に出す……といった具合。
なので一見じっとしているようでいても、彼の四肢各所の筋肉は今にもつりそうになるほど疲労していた。
「……ん? あれ??」
「どうした、状況に何か変化があったか?」
しかし彼の慌て方はトラブルの様相だ。ローブの男は背もたれに手を置いてマントの中を覗き込んだ。
「いえ、それが……魔物が動かないんです。くっ、このっ、動け…動けっての!」
「何?」
――――――ムカウーファの町中、とある通り。
ラハスの動きがピタリと停止。その直後、小刻みに震えだしたそれを、リュッグと駆け付けた兵士達は油断なく身構えて様子を伺っていた。
「な、なんだコイツ? 今のうちに攻撃を」
「いや待て、下手に手を出すな。様子がおかしい……それよりシャルーアさんの護りをしっかりと固めるんだ」
「了解」「了解だ」
「リュッグさん1歩下がって。俺達が前衛を務めますっ」
駆け付けた兵士は5人。おそらく5人一組でリュッグ達を探してくれていたのだろう。
本来であればラハスほどの魔物相手には戦力不足だと言える。が、野生のラハスに比べ、どこかおかしなこの個体相手ならこれでも何とかなるだろうとリュッグは思っていた。
だが、同時にますます奇妙で気持ちの悪い不安感も感じていた。
「(なんだ? ヨゥイが人間の増援に怖れを成すはずはない。多少頭数が増えたところで奴らにはなんてことはないはず。敵を前にして動きを止めて震える……何か生態的なものか?)」
傭兵稼業の長いリュッグでも、ラハスほどの魔物にお目にかかる機会はない。
ゆえに少々の知識と情報に頼った推測と判断しか出来ないのがもどかしく、不測の事態は十分にあり得ると、より気を引き締め直す。
「この個体はかなり妙な奴です。何かとんでもない攻撃をしてくる可能性もありますから、全員けっして油断しないでください!」
リュッグが檄を飛ばすと、兵士達はしっかりと頷く。明らかに何か異常だと彼らも感じているのだろう。
「(シャルーアは……よし、あれなら最悪、ヤバい一撃が飛んできたとしても簡単にはやられないな)」
兵士達はさすがだった。彼らは、ラハスに対してもっとも鎧の装甲の厚い部分を向けるように構え、防壁のようにシャルーアを囲っている。
万が一の時は文字通りその身を壁として彼女を守るだろう。オキューヌの教育がかなりしっかりと行き届いている事が彼らの構えや配置取りからもうかがえ、リュッグは一抹の安心感を覚えた。
『ウウウ……ウヴヴヴヴヴヴヴッ!!』
唸り声をあげながら震えているラハスが両腕を動かしかけた。しかしググッと力を込めて僅かに動いた所作だけでまた止まる。
「(まるで苦しんでいるような……上手く身動きが取れず、もがいているような印象だ。このヨゥイは一体?)」
彼らは知る由もないだろう。ラハスはまさに、抗っている最中なのだ。
自身を操る支配から逃れようと、ただ必死に抗っている。
それはラハスを操っているローブの男達にも予期せぬこと。事態は良からぬ方向へと向かおうとしていた……
トクゥン……ッ
「? ……? …………??」
鼓動。シャルーアは思わず左右を見回した。そして兵士達やリュッグを見る。しかし誰も、その音には気づいていないようだった。
「(聞き間違い……でしょうか? いえ、今確かにハッキリと聞こえて―――)」
何だかジワジワと身体が熱くなっている気がする。
けれど嫌な感じはなく、風邪など病気の発熱のような感覚とも違う。
シャルーアの身体に己では確認できないラインが浮き上がって走り、まるで何かを訴えかけようとするかのように、薄っすらとした輝きを持って明滅させはじめた。
『ハァー、ハァー……ハァアァァァァァァァアッァーーーーーーー!!!!』
突如、ラハスが吠える。
同時にメキメキと嫌な音を立て始めた。
両目がグリンと蠢いて、何処を向いているのか分からなくなり、眼球ごと半分飛び出す。
大きく開いたままの口の中で、ガキガキと硬質なモノが無理矢理すり動くような音と共に、全ての牙が分厚く伸びてゆく。
全身の筋肉がパンパンに張って、なおブルブル震えながらゆっくりと膨張してゆく。
歯と同様に骨も変化しているのだろう。ガリリと擦るような音と共に四肢や胴が伸びて、体躯が大きくなっていく。
『バァァァァァァァァァーーー!!!』
声が変質。より低く濁った唸り声にかわる。
4枚の翼がそれぞれ背伸びをするように伸びて大きくなっていくも、新たに伸び広がった部分の形状が明らかに正常ではない。おそらくもう物理的な翼の飛行原理で空を飛ぶことは叶わないであろうほどに、異形かつ巨大化した。
サソリのような尻尾が肥大化し、バキンバキンと音をたてて内側から表面の外殻を破壊する。露出したのは皮を剥いだ筋繊維の塊のような、元の尻尾とは似ても似つかないナニかだった。
両手の自慢の爪はどんどん伸びていき、やがて指からバキンと折れて地面に落ちる。それどころか指先が腐ったようにボロボロと崩れていき、やがて指というものがその手から失われた。
しかし残った両手はボンッと肥大化して、まるでボクサーグローブのように丸みある形状へと変化。
そして狂乱の権化と化した異形の顔面の、その額部分。バキバキと音を立てながら伸びていくそれは―――長大な角。
「……バカな、ラハスがこんな変化を起こすヨゥイだなんて初耳だぞ」
リュッグすら呆気に取られずにいられない。
ソレはもはや、元が何であったのか分からないほど豹変した、混沌な見た目の化け物であった。




