第42話 膨らむ幻想に現実は針を刺す
その日、町は騒然とした雰囲気に包まれていた。
もちろん人々の口に上がるのは大食堂 “ アンティジャンナジ” への治安部隊突入と、経営者らの逮捕劇に関する話ばかり。
概ね、怪しげな店の摘発に対する歓迎の声が上がっているものの、店を利用したことのある客と思しき者は、落胆の色をうかがわせていた。
――――――アンティジャンナジの入り口前。
兵士達が物々しく行き来する中、シャルーア達も建物の外へと出てきていた。
「ご苦労だったねお嬢ちゃん。まっさかホントにヤってのけて―――おっと、誰かさんが怖ーい顔で睨んでるから、これ以上は良しとこうか」
綺麗なタオルで全身を覆っているシャルーアは不思議そうに小首を捻った。
「貴様! まさか妖精のき―――もとい、彼女にその尊き乙女の証をも犠牲にさせておきながら、その誠実さの感じぬ言い草と態度はなんだ!!」
マーラゴゥの怒りはまさに怒髪天。もう一押しで完璧にキレる限界まで荒ぶっている。
「………? あ、もしかしてアンタ、お嬢ちゃんは身綺麗だとか思ってたの? アッハッハ、こりゃ傑作だねっ」
どうしてそこまで怒っているのか、ようやく腑に落ちたとオキューヌは大笑いしだす。
唯一意味が理解できていないシャルーアは、相互に二人の顔を見ながら頭上に?をたくさん浮かべていた。
「ねえ、お嬢ちゃん。このガタイのいい真面目クンに教えてあげなよ、お嬢ちゃんのコッチの経験のほどをさ」
両手での簡単なジェスチャー。しかしそれが何を意味しているのかはシャルーアにも即座に理解できた。
そしてマーラゴゥが何をそんなに憤っているのかもようやく察する。つまりは初めてを―――仕事のために犠牲にさせられたのだとして怒ってくれているのだと、シャルーアは思った。
「ゴウ様、私は平気ですよ? これまで数百は数えられる程度、殿方との経験を嗜んでおります。今回が初めてではございませんので、ご心配には及びませんから」
その言葉に、オキューヌがヒュウと口笛を吹いた。
が、一方のマーラゴゥはと言うとビシリと石化し、そしてガラガラと音を立てて彼の中の何かが崩れてしまうほど、大ショックを受けていた。
「へーぇ? 経験あるとは思ってたけれど……想像以上だね」
今度は一転し、やや同情的な表情を浮かべるオキューヌ。
性に乱れた女性の存在というのは、実のところさほど珍しいわけではない。
最底辺に落ちたとき、過酷な重労働が待っている男性と違って、その容姿を武器にすることのできる女性は明日の生存のため、そうした道に走ることがあるからだ。
この大食堂で働いていた女性従業員たちにしてもそう。高額な給金によって明日の豊かな生活が得られるのであれば、多少のセクハラなど笑顔で受け入れられる。
しかしシャルーアから感じられるのは、そんな類の者達とは明らかに違う毛色だった。
「(所作や振舞い、姿勢の良さに言葉遣い……どこかのお姫さん崩れだね、こりゃ)」
いいとこの世間知らずなお嬢様。
家が没落したか何かで急に真っ黒な世界に放り出されて男達の毒牙にかかった、あるいはかからざるを得なかった者―――それは、先に上げた金欲のためにプライドと貞淑さを捨てる者達とは違って、ただひたすらに不幸にその身を穢された女性であるという事。
己の意志で、あえてそういう世界に入った者には、いかなる理由があろうとも同情もしない。
が、入る気のなかった者が強制的に落とされたのであれば話は別。
顔には出さないが、オキューヌは同性として彼女を貶めたモノを強く嫌悪した。
「……ホラ、いつまで固まってんの。相手に純情無垢な幻想を抱くのは結構だがね、その相手の女は現実を懸命に生きてるんだ。男としてカッコイイとこ見せたいんならそーゆーのも真正面から受け止めな、デカガキ。ってか、その図体でじっとされてちゃ邪魔だっつーの」
そういってマーラゴゥのケツを蹴り飛ばす。オキューヌのキックを受けてようやく彼はその巨体を再稼働させはじめた。
「ま、無理言ってお願いしたのはこっちだからね。手当は弾むさ、もちろん諸々の処置費用もたんまり出してあげるから、とにかく治療院に行きな―――ほら、ちんたらしてないでデカい図体してんだから運んでやるくらいしてやりなよ」
「貴様、先ほどから人を蹴るなどと……何様のつもりだっ」
違うイラ立ちを起こす彼に、オキューヌは至極意地悪そうな笑みを返す。
そしてシャルーアや周囲の人間には聞こえないよう、コッソリとささやきを突きつけた。
「(いーのかい? アンタの正体がこの国の人間じゃあないって、お嬢ちゃんにバラしても?)」
「(!!!? ……き、貴様……)」
バレている。
ニタニタと嫌な笑みを浮かべる女に腹は立つが、考えてみれば彼女はこの辺りの守護の要でありトップを張る人物だ。
昨今の情勢を考えれば、諸外国からの入国者には目を光らせさせているだろうし、当然その中から、臭う人物には目ぼしをつけてチェックしているだろう。
「……言われずとも! シャルーア殿。急ぎ、治療院へお運びする!」
「? 何やらよくわかりませんが、ありがとうございますゴウ様」
オキューヌという人物から逃げるようにマーラゴゥはシャルーアを抱えあげて走り出した。
「(……さすがにこちらの詳細な身分までは割れてはなかろうが、まさか潜入を……しかも特定されようとは。ファルマズィへの侵攻はやはり時期尚早か)」
ぶっちゃけ妖精の君への想いという不純な動機で潜入したマーラゴゥだったが、敵国侮り難しと真面目に再評価する事になり、彼自身驚いていた。
まさかの収穫――――――だが、妖精の君が純潔でなかったことへのショックがまだ尾を引いている。
とにかくシャルーアを治療院へと早く運ぶことに専念することでその衝撃と、オキューヌという油断ならない相手を振り切らんとするかのように、彼の走るスピードはどんどん加速していった。




