第32話 焦がれる敵国の将
――――――国境付近。
「………」
西隣国ファルマズィ=ヴァ=ハールの方を、母国ジウ=メッジーサの栄えある一軍を率いるサーレウ=ジ=マーラゴウ将軍は、ただ腕を組んで黙したまま見続けていた。
「将軍」
「伝令か……何事か?」
その堂々たる立ち姿は軍人然としている、といっても並みのガタイではない。荒涼として周囲に何もなく、地平線がどこまでも続く殺風景な場にあって、巨大な岩山すら見劣りするほどの存在感を放っている淡黄色に近い、薄褐色肌の大男。
特注の白い軍服は戦地に赴くには似つかわしくない、典礼用のようなしつらえ。しかし聞き返された伝令が思わず息を飲むほどの迫力で、このまま武器も防具もなかろうと、万の軍勢を相手に戦えそうな雄々しさすら感じられる。
間違いなく剛の者。
しかし深く低いその落ち着いた声色はむしろ知性的。若くして一個師団を任されるだけの勇知を有している逸材なのだと、さして面識のない伝令兵は得心した。
「 “ くれぐれも進軍はならぬ。軍を遊ばせるは不本意であろうが、慎重に慎重を重ねよ ” とのことにございます」
「フッ。我が若いがゆえか暴発する事を恐れているようだな、年寄りどもは? 案ずるな、言われずとも動くつもりは毛頭ない。向こうの情勢の見極めも生半可なままに勇み攻め入らんとするバカはおらん。こちらの心配は無用だと伝えよ」
「ハッ! では失礼致します」
伝令が礼を失せぬよう気を配りながらマーラゴウ将軍から遠ざかる。十分に遠のいた事を確認した彼は、再びファルマズィの方を注視しはじめた。
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「またマーラゴウ将軍は相手さんを睨んでいるのか?」
「ああ、毎日毎日飽きもせずああやって何時間も微動だにしないで見ていて、何が面白いのかね?」
隊長とは打って変わって、兵士達は気楽な雰囲気だ。
1個師団がこの地に赴いてからはや1ヵ月になろうとしている。当初こそいよいよ戦争が始まるという緊張感に支配されていた軍団は、待機し続けたこともあってすっかりリラックスしていた。
「あーやって敵国に思いを馳せてるんだろ。おっぱじまったらどう戦うか? どんな作戦を立てるか? 相手はどう戦うのか? ってなもんでさ」
「若いのに偉いもんだねー。……いや、若いからこそかもな」
「下手なお偉いさんが威張り散らすだけとか真っ平ごめんだしよ。おっぱじまるかどうかはさておき、もしやるとなったらやっぱ真剣な指揮官でなくちゃこっちだってやってらんねぇもんな」
自分達を束ねるトップへの評価は元より好評。それでもどこかで将官としては若すぎることに一抹の不安が兵士達にはあった。
だが、マーラゴウ将軍の腕を組んでの堂々たる立ち姿で、もはや日課と言える長時間にわたる “ ファルマズィ睨み ” が彼の戦いへの真剣さを、万を数える兵士達全員に感じさせていた。
指揮官として一切の役不足なし。本人の知らぬ間に兵の信頼を完全に勝ち取っていたわけだが………しかし、彼らは知る由もない。
サーレウ=ジ=マーラゴウたる男が睨み続ける真の理由を!
「(……あぁ、砂漠に舞った可憐なる妖精の君、今はいずこにて何をしておられるのだろうか……)」
――――――まさかの恋煩い。
考えている事が顔に出にくい事もあって、兵はおろか側近の誰もがその真意に気付いている者は一人もいない。
しかしマーラゴウ将軍は毎日、ただ一人の女性の姿を想って衝撃的なる出会いを果たした地を見つめ続けている―――というのが彼の部下たる兵士達の間で話題の “ ファルマズィ睨み ” の真実であった。
「(あの時、空を華麗に待っていた君―――)」
ギガスミリピードに吊り下げられて宙ぶらりんになっていただけ。
「(美しき輝きを伴う羽の軌跡―――)」
たまたま鞘から刀を引き抜いた勢いで、そのまま回転しただけの陽光に輝いた斬撃。
「(おぞましい魔物の解体にも臆せず、外殻を手渡してくれたあの笑顔―――)」
リュッグに言われ、解体を手伝ってくれたお礼にとおすそ分けを無感情な表情で渡されただけ。しかも彼にだけでなく隊商の主だった人々全員に。
「(ああ、我はそんな君の住まう国へと上からの命令が下り次第、攻めの采配を振るわねばならぬ身。なんとなんという我が身の運命なのかっ)」
かつて、ファルマズィ=ヴァ=ハールに自ら偵察せんと、隊商に紛れて潜入。
砂漠の道中、ギガスミリピードと戦っている最中のリュッグとシャルーアに遭遇した彼は、遠目ながらに一瞬でシャルーアに惚れてしまった。
『(な、なんと可憐な少女なのかっ?!)』
以来、彼の中のシャルーア像は日に日にイメージが洗練され、改良というなの都合のいい改竄がなされ続けている。
「(……いや、これは試練! 神が我に与えたもうたに違いない!)」
毎日同じ思い出と葛藤の繰り返し。
なんてことはない、マーラゴウ将軍が長時間考え続けているのはそれだけ。
人知れず考え、想うだけで時間が早々と過ぎ去っていき、退屈を感じないほどにシャルーアへの想いは強く、彼の中でより深いものとなっていくのだった。




