第01話 全てを失った姫
「さようなら、シャルーア。キミとはもう二度と会う事もないだろう」
そう言ってシャルーアは棄てられた。男の狙いは彼女を除く、彼女の全てだった。
「………」
豪華絢爛な館の出入り口、ほんの3段程度しかない階段の上と下。
階の上は、見下す男の後ろより館の中から温かな光が差している。一方で突き飛ばされた階下は夜の暗闇の中、石畳の冷たさがシャルーアの褐色の肌を容赦なく冷やしていた。
男はそれ以上何も言わず、踵を返して館の中へと戻っていく。そして男の姿が消えると同時に、鎧を纏った兵士二人が両開きの扉を閉ざし、その前に立ち塞がった。
「……悪いが、早々に館の敷地より立ち去られよ」
主のあまりにも酷い事の次第を知っているのだろう。兵士達のフルフェイスヘルムの隙間から漏れ聞こえてくる声は苦渋が滲んでいる。槍を持つ手にも必要以上に力が込められて、小刻みに震えていた。
「ありがとう、御勤めご苦労様です…」
シャルーアは立ち上がる。兵士達にかける言葉にはこれからの彼らが苦労する事になるであろう同情心がこもっていた。
そして乳白色の、肌を大幅に露出した薄手のドレスのまま、行くアテもなく館の敷地より彼女は去っていく……
その館は彼女が生まれ育った家だった。全ては彼女が亡き両親より受け継いだものだった。
だが家族を亡くして辛い状況にあった彼女に、婚約を持ち掛けてきた誠実な貴族男性に絆された末路が今である。
「………」
途方もない哀しみ。涙を堪えながら館を見上げる。どうしてこうなったのか……あまりの理不尽にシャルーアは、ただ絶望するばかり。
「(どうして……私は、私は…とても、嬉しかったのに…)」
男は貧乏貴族であった。しかし将来を誓い合った別の女性と添い遂げるための金と地位が必要だった。
そんな折、家族を亡くしてたった一人残った若い娘が全てを継いだ御家があると知り、男はつけ込んだ―――――その娘、シャルーアの心に。
シャルーアは褐色肌と美しい黒髪の美姫だった。齢16にして一人前の女性以上の色香ある身体と、若輩ゆえの可憐さを兼ね備えていた。
しかもその地位と財力は、王家に嫁入りする事も可能なほどのもの。もし両親が健在であったなら、あるいは国の王子の嫁に出されていたかもしれない。
男はそんな彼女をかどわかし、まんまと取り入り、愛を囁き、乙女の証をも奪い、夜な夜な朝まで楽しんでは、シャルーアが昼まで起きれなくした。そして彼女が眠っている間に、着々と財産と地位を乗っ取る手はずを整えていたのだ。
まだ16の、しかも世のならいも知らぬ娘。失意の中で頼もしい男が現れたならばそれに寄りかかってしまうのも仕方ない事だろう。
男は、全てを奪った。最初からそのつもりだった――――素足のまま夜の町をさ迷うだけしか出来ないシャルーアは、ついぞ堪えていた涙を流し、儚くも美しい憂い顔で夜の闇の中、いずこかへと消えていった。