第168話 舌は苦味と感じているというのに
―――砂漠遭難25日目、朝8:00頃。
「ジャッカルさん、お食事が出来ました」
「ん……あぁ……―――ふぁ~あ」
ジャッカルがシャルーアに感心することの一つが、その体力面だ。
オアシスから出て遠方を探るべく馬車を走らせること5日。その間もジャッカルは、夜だけはキッチリ励むことを忘れない。
にもかかわらずシャルーアはしっかり朝早くに起床して、こうして食事の準備を毎日欠かさずにしてくれている。
「(確かに男の方が疲れるっちゃ疲れるのかもだが……)」
彼女の方が情熱的なことだって少なくはない。夜の結果の疲労度で言えば、ほぼほぼどっこいどっこいのはず。
ところがまかりなりにも荒事込みの私兵仕事をして、鍛えていた男のジャッカルよりも、まるで世間知らずなお嬢様の、小柄で柔肌な女の子なシャルーアの方が翌朝、元気がある。一体どこにそんな体力があるのかと思わずにいられない。
「……いただき、ます……あーむ……んんん、今日も美味いなー」
そして食事が美味しい。
遭難してから初めの方はとりあえず食えるといったレベルだったのが、めきめきと上達し、ほぼ1ヵ月近くになろうとしてる今だと、もう彼女が作る食事は美味しいことが骨の髄まで染みて全身で理解しているほど。
なので一口食べるだけでジャッカルの眠気にまみれた心身が一気に覚醒するのが、ここ数日の朝となっていた。
―――砂漠遭難25日目、昼13:00頃。
二人は、無理をしないために、1日あたり約10~20kmを進むことを目標に馬車を進めていた。
もっともこれといった目印はないので、手綱を取っているシャルーアの体感によるところでしかない。なので……
「! ジャッカルさん、そろそろ10kmくらい走ったかと思います」
……移動距離はシャルーアによる申告制だ。
彼女は真面目なので誤魔化しだとか適当だとかはなく、本当に自分の経験則や体感を頼りに、1日およそ10kmの目標分は移動できていると見ていいだろう。
「お、そっか。……さっき昼飯食べたばかりだから、まだ昼の1時くらいか? 思ったより今日は早く進んだな」
「はい、流砂もなくて走らせやすかったのが幸い致しました。どうしましょう?」
時間がまだ早いのであればこのまま進むのもありだ。しかし、砂漠での行動は慎重すぎるくらいで丁度いい。
「今日はここでストップ、野営の準備しよう。調子よくいけても、やっぱり目標通りの距離を進んでいった方がいい」
「はい、わかりました」
馬車が止まる。ジャッカルが長めの木の杭を取り出して御者台から降りると、良さげな地面を探して挿し込み固定。そこに馬を繋ぐ。
シャルーアは荷台に入って野営のための道具を下ろしつつ展開。そして荷物を下ろし終えて一定の空間が出来たところへと、空の大きな布袋に砂漠の砂を適度に詰めたものを布団がわりに敷いた。
すっかり手慣れた作業は30分とかからない。今からジャッカルが自分を求めて来ることも彼女はわかりきった上で、野営の準備の内に場を作ることも含めて行動することも当然の事となっていた。
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その日の夕食時。
「今日でおおよそ100km西に進んだはずだから、そろそろどこかに見えてきてもいいな。明日あたり、街道に出られるかもしれない」
「では、このまま西に向かえばいいのですね?」
「だな。街道に出れさえすれば、町や村も近いはずだ。気を付けないといけないのは、魔物と賊―――……?」
「? どうかしましたか、ジャッカルさん??」
不意に言葉をきって耳を澄ませるジャッカル。同じように耳を澄ましてみるが、シャルーアには何も聞こえない。
「(今、妙な音が聞こえた気がしたんだが、いや音だったのか?? それとも単に俺の気が立っていただけか―――)―――いや、何か聞こえた気がしたんだけどな、気のせいだった。ちょうど言いかけたことだが、さすがに街道も近くなってくりゃ、魔物や賊に気を付けなきゃいけない。って思ってたからか、ちょっと過敏になったのかもな」
「そうですか。でも確かにこれからは気を付けなければいけないですね」
特にジャッカルにとってはここからが正念場の連続と言えた。
今後、魔物や賊に遭遇した場合、シャルーアは荷物に武器を持ってはいたものの、明らかに戦力にはならない。
馬は単なる荷馬車で、防護する装備もなければ騎馬の訓練を受けているような馬でもないから戦闘にプラスにはならないし、今後の旅で引き続き荷馬車を引いていってもらうためにも、守らなければならない。
もし何かに襲撃を受けたなら、シャルーアと馬車をジャッカル一人で守りながらこの先を進んでいかなければならないのだ。
「(もっと言えば、無事に安全なところにたどり着けたら、さすがにシャルーアちゃんの仲間に連絡しないわけにゃいかないからな……。俺を認めてくれるかどうか)」
普通に男女の関係で言うなら、今やジャッカルとシャルーアは十分に深い関係にある。既成事実がなかろうと結婚したっておかしくないレベルと言えるくらいには。
しかしシャルーアは別にジャッカルに恋慕してるわけではないし、彼女の素直で従順な性格を考えた時、仲間がジャッカルとの関係にNOを唱えたらそれに彼女もあっさりと従うパターンも十分考えられる。
その場合、シャルーアの中でのジャッカルの序列が、彼女の仲間達も含めてどのあたりに位置しているか次第だろう。
「(シャルーアちゃんの仲間より俺の存在感が勝っていれば―――)」
ジャッカルは自分の分の夕食を持ったまま突然立ち上がり、シャルーアの隣に席を移した。
「?? ジャッカルさ―――」
唇を奪う。
これまでは、湧き上がる男の情動を原動力として励んできたジャッカルだが、ここにきて意外にも初めて、シャルーアとキスをした。
夕食の席。互いの分を口に含んでは相手に移し食べさせるような口付けの連続。それはジャッカルが、シャルーアから自分に対しての恋慕の情を引き出そうという打算の行為に他ならない。
「シャルーアちゃん、愛してる。これからシャルーアちゃんは、ずっと俺が守ってあげるよ」
「………………」
まっすぐに瞳を見据えて紡ぐ言葉。
焚火の明かりが二人の瞳に揺らめく。シャルーアの表情に変化はない、いつもどおりだ。
しかし何を思うのか、ジャッカルへと返す言葉はなく……
この日から、ジャッカルは劣情にかまけるだけでなく、意識してシャルーアを愛しながら抱くようになった。
熱烈なキスをかわし、頻繁にらしくもない愛の言葉をささやき、その心身を丁寧かつ執拗に愛でることに、貴重な気力と体力を費やす。
気が付けばジャッカルは、シャルーアという女の子に単純な情欲ではなく、魂の底から己というものの心を、すっかり奪われていた。
……だがこの時、ジャッカルがすべきことはシャルーアを愛することではなかった。それをするには、町か村を見つけてからでも遅くなかったのだ。
自分の口で、これから危険になってくると言っていたにも関わらず、やはりこの1ヵ月近い甘々な生活は、無意識のうちに彼を平和ボケさせてしまっていたのだろう。
すぐにも対処の行動を取らなければならない出来事が、すでに二人に迫りつつあることを、彼は気付くことができなかった。




