第137話 敵は魔物と環境
砂漠の夜は冷える。
生きていくには適さないように思えても生物はいる。彼らは様々な方法でこの過酷な環境を生き抜いている。
「………」
中でも知能の高い一部の魔物は、思ったよりも楽に生活していると言えた。例えば今立っている岩は、昼間の熱を長時間保持し続けるので夜を越すには良い場所。
『グフ、グブブッ、グッフッ』
ムーは観察する。自分をさらって脇に抱えている妖異の姿を。
くぐもったような鳴き声を発し、体躯や見た目は分類するならゴリラのよう。
ただゴリラよりも体毛が長くて白い。地肌は黒濃い青肌で、動物のゴリラや猿とは根本的に存在感が違う。
表情に感情は見られない上にほとんど変化しない。顔立ちはゴリラ以上に人に近い。
亜人猩猩―――――デミグリレイ。
動物のゴリラすら殴り殺す、パワーある重量級の妖異だ。
「………」
この状況で自分に出来ることはない。なのでムーは大人しく手足をブランと脱力させたまま沈黙している。
何より手元に武器はない。銃を用いるスタイルの傭兵だけに、武器なし近接ではただの女の子でしかなかった。
「(……現状、ナーも、撃てない……)」
精密な狙撃が可能とはいえ、自分が捕らわれてる状態でこの妖異を狙撃するのは妹でも不可能と判断。
どんなに腕が良くても長距離射撃ではイレギュラーショットはよく起こることを、同じ凄腕スナイパーとしてムーは理解している。
もし妹が撃つとしたらデミグリレイが自分を手放した時だろう。
なのでこの姉は救出される時を大人しく待つと決め込んで、のんきにあくび一つかいた。
「まさかムーだけをさらっていくとはな、相当頭のいい個体のようだ」
リュッグは冷静に状況を判断していた。
「どうしてムーさんだけをさらっていったのでしょう??」
「頭のいいヨゥイは人間を決して侮らない。欲をかいて必要以上のことをすれば、ただじゃあ済まないと理解しているんだ。一緒に寝てたはずのナーを起こすことなく静かに行動し、ムー1人だけを持って行ったことから見ても頭だけじゃないな。おそらく人をさらう事に手慣れている」
野宿中に妖異に襲われることは珍しくない。実際、リュッグ達もそれを警戒して交代で寝ずの番を置いていた。
普通なら何かが近づいてきた時点で全員起こされ、即座に対応する。
ところがムーをさらっていったデミグリレイは当時、寝ずの番をしていたゴウを出し抜いた。
巨体でありながら音と気配を殺して近づき、ゴウからもっとも遠くにあったムーとナーのテントに死角から侵入。そこで入り口近いところに寝ていたムーだけを脇に抱えて即座に全力逃走。
さすがに逃走時はゴウも気付いたものの、それすら織り込み済みで、ゴウやナーが動き出した時には、全力疾走状態でリュッグ達の野営地から遠ざかっていた。
「すまん、気を抜いていたわけではないのだが……」
「ゴウさんのせいじゃないですよ。相手が一枚上手だっただけなんで」
「そーそー。それにお姉ちゃんなら大丈夫だよー、こんぐらいへーきへーき」
アサマラ共和国の兵産院以上の地獄など二人はこの世にはないと思っている。
あの地獄に比べたら、ヨゥイに連れ去られるなどあくびが出る事態―――ナーはヨゥイにさらわれた姉をまったく心配しておらず、半端に起こされたせいで眠いと言わんばかりに大あくびをかいた。
「だが、このままというわけにはいかんだろう。奴の居場所も分かっているとはいえ、朝になれば行方をくらませるなら、急がねば危険だろう」
デミグリレイは、ナーの銃のスコープで確認できる位置にいた。
巨大なテーブル状の岩の上でこちらを警戒している。理由は、それ以上先に夜を越せる場所がないので遠ざかれないからだ。
「まぁ落ち着いてゴウさん。夜はこちらも冷えている、気付かれないように距離を詰めるのは容易じゃない」
昼のうちに温まり、熱を保持している特性を持った岩の上でなければ、いかにデミグリレイがタフな身体を持っているヨゥイでも簡単にこごえてしまう。
それが、気温が氷点下まで落ち込むこともある砂漠の夜の恐怖である。
ヨゥイとはいえ生きているデミグリレイにとっても、急激な冷えは生命を脅かす。なので夜を越す熱源として、熱を保持しやすい岩を理解し、そこに陣取るのだ。
リュッグ達が野宿でテントを設営した場所も、熱を蓄えやすい大きな岩の上の、くぼんで土砂がたまっている場所だった。
「リュッグ様、こういう時はどのようにするのが良いのでしょう?」
シャルーアも、さすがにヨゥイに旅の仲間がさらわれては心配そうだ。
するとリュッグとナーは、のんきに背伸びしたり水を飲んだりしながら、本当にのんびりと、寝ぼけ眼をゆっくり覚醒させる行動を取る。
「シャルーア、まず落ち着くことだ。俺達も別に、意味もなく呑気にしているわけじゃない。デミグリレイはおそらく、一晩中こちらを警戒し続ける……俺達が慌ただしく動き出せば追撃してくると見て、夜でも構わずあの岩上から逃げ出しかねない」
それは一番ヤバいパターンだ。デミグリレイ自身は体毛でまだ、多少は体温低下に耐えられる。
しかし抱えられているムーはそうはいかない。温かい岩の上から移動した瞬間から、砂漠の寒さが無防備なその身へと襲い掛かる。
「よーするにー、お姉ちゃんを取り返すにはあのヨゥイが岩の上に居続けてくれなきゃダメってわけ。そのためにも、こっちはリラックスしてみせて、追ってこないって油断させなきゃいけないんだよー。ウゴウゴも分かったー?」
ナーの説明にゴウとシャルーアは納得し、そして同時に驚いた。
ナーとて苦楽を共にした双子の姉、心配しないはずがない。だがその姉を助ける上で今、必要なのはリラックスすることだと、完璧に理解しているのだ。
リュッグとナーは傭兵だ。二人とも、すでにこの状況下でやるべき事が見えていて、そして実行していた。




