五話 貴族が来ました!
「……」
窓から差す日の光が瞼を照らし、目を覚ます。
ゆっくりと瞼を開け、ゆっくりと起き上がり、ゆっくりと歩き出す。
目が覚めたらすぐにシャワーを浴び、眠気を覚まして髪を整える。何年も続けてきた私の習慣だ。
それらを終えて朝食を済ませ、執事から1日の予定を聞く。これもルーチンワークの一部だ。
「おはようございます、お嬢様。」
「…おはよう。」
返す声が小さいのはわずかに残る眠気のせいではない。
数ヶ月前から就任した、この執事のことが気に入らないからだ。
前の執事は私が生まれてからずっと一緒で、ずっと私の味方でいてくれて…
今の執事なんかよりももっと気が利いて、もっと優しかった。
でも、彼はもう戻ってこない。だって彼は──
「──でございます。」
あ、聞いてなかった。
でも、別に良い…どうせ午前も午後も勉強。領地の運営、護身術、貴族の心構え…後は少しの休憩と食事だけ。毎日そうだ。
「分かったわ。」
「では、昼食はいかがしますか?」
昼食…?
いつも通り家のコックが作るものではないの?
「……」
執事は無言のまま私の様子を伺う。
…こういうところだ。
表情から察してくれない、心が伝わらない。だから。
…だから、比べてしまうのだ。
「いかがしますか、と言うと?」
「先程も説明させていただきましたが、本日は屋敷のコックが研修で出払っております。
ご夕食は間に合いますが昼食だけはどうしてもとのことでしたので、外食で済ませることとなっております。」
「……」
そう言うこと。
家のコックは向上心が高いからか、父様の許可を得て時々研修に出掛ける。
その時は家にコックが残らないため、私は外食に出掛けなければならない。
…と言うのも、お母様曰くお父様は外食好きで、その理由づくりにしている可能性が高いらしい。それを裏付けるようにたまには良いだろうとお父様は言うが…正直だるい。
私も貴族の娘。外聞は過剰な程気にしなければならないので、外に出れば気が休まる暇が全く無い。
おまけに普通の服で良いというのに、貴族がみすぼらしい格好をするなと言われて無駄に豪華な服装を着せられる。抑えめにされていても、そのせいで注目が集まり、場違いな気をさせられて余計に疲れる。
出来る事ならずっと家に居たい。別のコックをその日限定で雇うとか、そういうふうにすればいいのに…
でも、文句を言っても仕方ない。今日もいつものレストランで食事を……
「……」
でも。
この日は、何かが少し違った。
「…今日は、貴方のセンスを試しましょう。
貴方が知る、隠れた名店とも呼べる店に連れて行きなさい。
高級レストランや有名な店でお茶を濁すのは許しませんから。」
私の気まぐれだったのかもしれない。
気に食わない執事を困らせたかったのかもしれない。
なんとなく、名のあるレストランを避けたかったのかもしれない。
後になって考えても、理由は分からなかった。
けれど。
「……はい、かしこまりました。」
この時は、さっぱり気付かなかった。
この選択が、私の人生を大きく変えることを。
レーサさんは、出かけた次の日も、この街を出る直前にも店に来てくれた。
街を出る時、見送ったけど全く寂しくなかった。
一時的な別れより、確実に訪れる再会がそう思わせたのだろう。
だからきっと、悪い事じゃないのだ。
「いらっしゃいませー!」
あれから、定期的に休業日を取ることにした。
父さんと母さんが居た頃もあったけど…二人のことを考えたくなかった僕は多忙にしようと休業日を無くしていたのだ。
今日はその休業日の翌日。休みを取り始めてからというもの、私生活にも仕事にも、全体的にメリハリがついた気がする。良い変化だ。
それと、だんだんやつれていた顔が元に戻ってきたような気もする。あの時は認めてなかったけど、やっぱり無理してたんだ、僕。
「…ここが、貴方のおすすめ?」
「はい。立地条件もあり隠れ家的な人気を誇っているとのことです。
以前興味本位で入ったことがありましたが、味は保証できます。」
…貴族のお客さんだ。
全く来ないと言うわけでもないけど、なかなか珍しい。
大抵の貴族はステータスを気にしてか、庶民向けの店なんて行きたくないからか高級なレストランに行く。
もちろん、この店も高級レストランなんかじゃなくて普通の、庶民向けの店だ。
あの貴族が気まぐれでも起こしたのか、それとも空腹が我慢出来なくなったか…
いずれにしてもお客さんはお客さん。しっかりとおもてなしするだけだ。
どんなお客さんでも、来てくださるお客さんへのおもてなしの心は忘れない。大切な両親からの教えだ。
「……」
「……」
あれ、なんで動かないの?
席ならいくらか空いてるのに…
「…案内は?」
「お嬢様、こういった店では店員は案内しません。客が自分で席を選ぶのです。」
「そうなの?」
「ええ、では、店員の代わりに私が…こちらの席へどうぞ。」
……ああ、案内を待ってたんだ。
ここみたいな庶民の店ならともかく、高級レストランでは店員が席に案内する、という話は聞いたことがある。
そうなると人手が足りなくなるから、この店には導入できないけどね…僕一人だし。
「注文、よろしいでしょうか。」
「はい! 少々お待ちください!」
なんて考えながら料理を運んでいると、執事と思わしき人から声を掛けられた。
急いで料理を運んで、注文を取る。
「……以上でよろしいでしょうか?」
「はい。
…一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
…さっき案内が無かったことかな。それとも、他に何かやっちゃったかな。
内心震えながら続きを待つ。貴族の機嫌を損ねれば最悪店の一つや二つ…
権力って怖い…
「このお店…確か、親子三人でされておられませんでしたか?」
…この執事さん、前に来てくれてたんだ。両親が生きていた頃に。
「はい、以前まではそうでした。
しばらく前に、両親が亡くなってしまって…それからは、僕一人で店をやっています。」
「そうでしたか…ご愁傷さまです。それと、そのようなことを尋ねてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いえ、良いんです。
実際、それで店を間違えたのでは? と思われるお客様も何人かいらっしゃるので…」
「そうでしたか。」
この執事さんのように、両親が居た頃に来たお客様が同じ質問をしてくることはよくあった。理由は今話した通りだ。
おかげで、と言う訳でもないけど少し両親の話をした程度で動揺することは無くなった。まあ、完全になんともないわけじゃないけど。
「…一人でお辛いかもしれませんが、頑張ってください。」
「はい、ありがとうございます。」
一つ礼を言って厨房へ下がる。
隣の席に座るお客さんの表情が曇っていたのが一瞬だけ見えた。
「いらっしゃいませー!」
ある日。数日前に来ていた貴族のお客さんと、その時一緒に居た執事さんが来たことに驚いた。
貴族のリピーターは居ないわけじゃないけど、ここまで短い間隔で訪れることはそうない。多くても月一とかその辺りだ。
余程気に入ってくれたのか、それとも深い理由があるのか。
僕には想像もつかないことだけど、前と同じようにおもてなしをする。それだけは変えない。
「あの、少しいい?」
「はい、なんでしょうか。」
…彼女達はまだ席に着いていない。
つまり、要件は注文以外の何か。その表情からも恐らく重要なことだろう。
「貴女…ウチのメイドにならない?」
「……………」
心構えも虚しく、呆気にとられる。
でも、彼女の表情は真剣そのもので―――
「…………はい?」
貴族とか、お客さんとか関係なしに、素で困惑して訊き返してしまった。