第1話「疾風」
ユキトは歩きながら自分の今の状態を確認することにした。
「えーっとー……左ポケットにスマホとイヤホン……右ポケットは空と……まぁ都合良く使える物持ってるわけねぇよな……もちろんスマホは圏外か」
(てかさなんでこんな服汚れてんの?)
「確かに……」
ユキトが着ている学ランには汚れが目立つ。体のいたるところに土がついている。
「後ろ見てみろよ」
「え?」
ユキトはレーギルに言われたとおりに後ろを振り返る。するとそこは傾斜は緩いが、坂道になっていた。
「これは俺の予想だが、この世界に来た時の勢いで坂を転がり落ちたんだと思う。そんな記憶はないけどな」
「俺もそんな記憶ない……坂道になってたのか、気づかなかったわ」
(え……じゃあさ転がった道を辿れば帰り方とかわかるんじゃない?)
「確かに! さすがナギ!」
「そんな甘くねぇだろ」
「だとしてもどっちに進めばいいか右も左もわからないし、適当に歩くよりは何か根拠を持って歩いた方がいんだよ」
ユキトは先ほどまで歩いていた道を逆走する。そして目が覚めた場所まで戻ると、ユキトはあることに気づく。目が覚めた場所から上の坂の斜面を見ると誰かが転がったような跡がついているのだ。
「なんで気づかなかったんだろ」
(まぁこんな非日常なことが起きた時、冷静に地面を調べたりしないでしょ)
「だよな」
自分が転がったであろう軌跡を辿るように歩く。その時ユキトは自分があまり疲れていないことに気づく。いつもならもう座りたくなるほど歩いているはずだが、足に疲れがない。確信ではないがいつもと違うという実感があった。するとある謎が生まれた。
「俺なんか特殊能力みたいのってもらったのかな?」
「しらねぇよなんか女神的な神的な存在に会ったのか?」
「いや会ってない」
「じゃあそのまんまだろ。ただの三坂幸人だ」
「バカかよ」
この世界のことは何一つわからない。情報の欠如。だからある程度、この世界で生きていけるほどの特別な力をくれないと犬死に一直線だ。なんにも与えずこの世界にユキトを転移させたやつがいるとするならば、そいつは悪魔か何かだろう。
(てかさずっと下半身に違和感感じるんだけど)
「な、だって漏らしてるもん」
「え……そんなバカな! レーギルお前操ったろ!」
「そんな汚ねえことしねぇよ」
「嘘だ! 高校生にもなって漏らすなんて……」
ユキトは記憶を辿った。本当に漏らしたのか確かめるために。だがそんな記憶はない。そこでまた謎が生まれた。
「なぁレーギル俺ってさどうやって転移したの?」
「家のトイレに流されて」
「うああぁああああああぁあぁぁぁぁぁあ」
「厳密には便器の中にあった黒い渦に触ったからだけどな」
「あー! 思い出したぞ! お前が俺を操って触ったんだった……全部お前のせいじゃねぇか!」
「記憶あるのか」
「あるよ! 悪いのかよ!」
「いや別に」
「転移中の記憶はないけど多分その時漏らしたってことかー……これは墓場まで持ってく案件だな」
一瞬の静寂。
――バッシャーーーーン
ユキトは近くの川に無言で飛び込む。
「さっ…ぶ……」
川の水はとても冷たく、ユキトの体は小刻みに震える。すぐ川から飛び出した。
「お前やっぱバカだよな。冷たいに決まってんだろ」
「しゃ、しゃあないだろぉ……シ、シミつきパンツにシミつきズボンじゃ恥ずずずかしすぎるしぃ」
「ちゃんと喋れ」
「ささ…さぶ…い……し…しぬぅ」
ユキトは川に入ったことを凄く後悔した。そんな時だった。ユキトはその場に固まった。寒いだとかそんなのはどうでもよくなった。寒くて死にそうになる……そんな経験は元の世界でもしたことがあった。でもこんな経験はない。
――グルゥゥゥウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
目の前に人間と同程度の大きさを持つ黒い狼がいた。目は鋭く歯はギザギザしている。ユキトは今まで信じてきた世界の規格が、根底から崩壊していくような、そんな感覚を覚えた。
――グルァァァァァァァアァァァァァ
「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあーー」
ユキトは駆けた。何も考えず、木々を掻き分け、川を走り抜け、風をきる。後ろを振り返ることなく。体力がなくなるまで走り続けた。
「はぁ――はぁ―はぁ―はぁぁ―……逃げ切ったか……?」
「おい! なんで逃げてんだ!」
「いやーはぁはぁ……逃げるだろぉ……ふつー」
学ランはびしょびしょでそれが汗なのか川の水なのかわからなかった。膝で息をしている。
(ユキト! 前!)
「ん?」
目の前にユキトを一口で食べてしまいそうな、そんな口を持ったワニがいた。太陽光が歯に反射しキラキラ光る。
「クソっ……次から次へと……」
「あれは土竜だ!」
「は? なんだそれ、なんでそんなこと知ってんだよレーギル!」
「後で説明する! 一旦お前の体借りんぞ!」
「ちょ、ま……」
レーギルはユキトの体を操り右手を土竜の方に向けた。
「――霹靂とともに散れ……『雷電の矢』」
――パチンッ
そう口上しながら指を鳴らす。しかし無情にもただ指の音が静かな森に響くだけだった。
「は? なんでだ?」
「何やってんだよ! 逃げるぞ!」
ユキトはさっきと同じように逃げようとしたが右手に違和感を感じた。見ると右手には小柄な土竜が噛み付いていた。血がドクドクと垂れる。
「ぐぁぁあっ――痛いいいっ! クソっ! 離れろよ!」
――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、何も考えられない……クソっ……俺が何したってんだよ……。
大きな土竜がじわじわと近づいてくる。よく見るとその後ろに他にも土竜が沢山いた。ユキトは死を覚悟した。そんな時だった。右手に噛み付いていた土竜が粉々に切り刻まれた。
「え?」
土竜達が歩みを止める。
「ちょっと体借りるわユキト」
「ナギ?」
「あぁ……よくわからないけどなんか力が溢れてくるんだ……俺ならこいつらも殺せる」
全く状況が飲み込めなかった。だが確かにユキトは体から力が溢れる感覚を覚えた。体の周りを風が覆う。ナギは左手を土竜に向けて、
「消えろ」
ナギがそう言い放った瞬間、手から放たれた風は土竜を消し飛ばし、木々をなぎ倒し、大地を穿いた。そしてユキトを後ろに吹き飛ばした。
――ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ
ユキトは凄い勢いで後ろに吹き飛んでいた。木の間をうまくすり抜けている。
「ぐあっ――」
木に直撃しユキトは止まった。その木のすぐ後ろは崖だった。
「背中が……うわぁあぁ――」
(お…だ………)
(ユ………………)
声にならない声を出す。ユキトはレーギルとナギが何か言ってる気がしたが聞き取ることができなかった。ユキトの体はボロボロだった。右手は噛み付かれた跡があり血だらけ。左手はなぜか指先から肩まですごい量の切り傷がある。背中は強く打ち体を動かせない。
――ボキッバキバキッボキ
木が折れ崖に落ちていく。それに寄っかかっていたユキトとともに。
――バッシャーーーーン
ユキトは下にあった湖に落下した。
――さっむ……なんだよ……もう死ぬのかよ……呆気ねぇな……クソっ……悔しい……でも……なんか温かい……。
ユキトは静かに目を閉じた。
◇
「お……いお…て………」
「おーーいおき…お……」
「おい!起きろ!」
――パシーーーン
「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁ」
ユキトは顔を叩かれ飛び起きた。ユキトには状況が飲み込めなかった。ユキトを叩いた女性は深くため息をつき、
「タフだね」
「え?」
服がびっしょびしょに濡れている綺麗な女性がユキトの横に座っている。この状況、男には最高の状況である。しかし今ユキトにとってそんなものはどうでもよかった。
「風華さん?」
そこにいた女性は元の世界でユキトが好きだった女性、天空風華に瓜二つだった。
読んでいただいて本当にありがとうございます。深夜になってしまうかもしれませんが毎日投稿します。