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27 見えない壁

凍てつく冬が到来する前の穏やかな陽気の中、船から川岸を見ると、人々が溢れ返り、興奮した様子で私達を見ていた。


 店を構える行商人達の威勢の良いかけ声が聞こえたと思ったら、別の方向からは楽器に合わせて美しい歌声が風にのって耳に届く。


 船上から川岸に集まっている人々に向かい、言われた通りに手を振る。

 すると歓声が沸き起こり、拍手と紙吹雪が零れ落ちた花のように舞った。そして、幻想的なしゃぼんが船を包み込んだ。


「綺麗……」

「まだこれからだ。フランシスカを船で一周する」


 少し離れた場所に座っていたシャルワ様が私に声をかけた。

 服装は正装だが、フランシスカならではの習慣らしく、目元を覆う金と緑の仮面をつけている。



 そして、フランシスカの伝統に乗っ取り、私もまた、白と金の仮面を身に付けていた。シャルワ様と違うのは、宝石がふんだんに使われていること。


 ……緊張するわ。思っていたよりも大がかりね。ノエルは……大人しくしているかしら。

それにしても、ノエルの婚約者だと聞いていたシャルワ様から、棘を感じるのは気のせいかしら? もしかして、ノエルはずっとこんな状態だったの?


 朝、ノエルと別れてしばらく経つけど、シャルワ様は陰険な感じね。王宮を出てから機嫌が悪いのか私とあまり話さない。


 でも、私もその方が助かるけど。この愛想のなさは王族じゃなかったら殴りたいほどだわ。しかも、私と目が合うとすぐに逸らされるし。まるで「何も話したくない」って言っているみたいじゃない! 感じ悪すぎだわ。


 やっぱり、すべてが終わったらノエルを連れて帰ろう。こんな所に置いておく訳にはいかないもの。大事な……お姉様ですもの。

 心に決意すると視線を感じた。



 視線を辿ると、目元を覆う漆黒の仮面を身に付けたフィルと目が合った。

 フィルもまた一緒に船に乗り込んで、私と同じように手を振っている。

 ……この国では普通なのかしら? 側近も手を振って応えるのね。しかも、シャルワ様は手を振っていない。


 変だな? と思ったのはそれだけではない。

 座っている位置だ。

 フィルが船の中心に座っているのだ。フィルの左手に私。そして右手にシャルワ様がいる。


 この配置は、私とシャルワ様の顔が、左右の川岸にいる人々からも見えるようにと言う配慮なのかしら? 変わっているわね……。


 フランシスカの習慣だろうと軽く考えていると、見つめていたフィルが私から視線を逸らし、にこやかに手を振った。

 さっきら、ずっとこうだ。フィルからの視線を感じて目を合わせると、すぐに逸らされる。


 フィルに見つめられていると、正体がばれたのかと嫌な汗が背筋を伝った。

 でも、今の所何も言われないし、私も大人しくノエルを演じているから問題ないと思いたい。


「……ノエル様、夜の帳が訪れると昼間とは街の装いも変わります。私は……王宮へ戻りますが、ノエル様は引き続きお楽しみ下さい」


 川岸を見ていると、いきなりフィルが話しかけてきた。


「フィルは戻るの? どうして?」


 フィルがいなくなると不安もある。それよりも、おせっかいだと言われても、ノエルとの関係を修復しておきたかった。


 フィルは、ノエルをどう思っているのか聞き出さないと。

 シャルワ様は頼りがいがないし、ノエルを大切にしている様子もない。

 こんな男にノエルを任せるなんて出来ないわ。なら、ノエルが大好きなフィルの元に嫁げばいいものね。国同士の話し合いは、お兄様に任せてどうにかして貰えばいい。



 シャルワ様とノエルの縁談は絶対に阻止しないと。それに引き換え、フィルは素敵だわ。常に私を気遣ってくれていたし、ノエルとはお似合いだと思うんだけどな。


「どうしてとは……?」

 フィルとシャルワ様を脳内で比べていたら、フィルの驚いた声が聞こえた。

「えっ? フィルがいてくれた方が嬉しいから」


 ここでシャルワ様と二人にされても会話が続かない。それに、フィルの想いを探らなければと思ったら、思わず本音が漏れる。すると、フィルが黙り込んだ。

「……それは、どう言う意味で捉えればいいのですか?」

 仮面越しだが、悲しそうなフィルの表情に困惑した。


 なに? この悲しそうな顔。私の知らない何かがノエルとの間にあるの?


「もう少しすると陽が落ちます。夜が訪れると私の容姿が変わります。気持ち悪いのでしょう? そうなる前に私は姿を消します」


 姿が変わる? なにそれ? ノエルは一言も私にそんな説明してないわ。

 しかも、今のフィルの言葉から想像するに、変化する容姿をノエルが気持ち悪いと言ったってこと?

 嘘よ。ノエルは絶対に人を傷つけるようなことは言わないわ。あの子の性格なら、好きな人だからこそ突き放したと考えた方が良いわね。それなら……私が頑張らないと。


「ち、違うの……。そんな意味で言った訳じゃないわ。ただ私は……フィルのことが――」

 ここで言ってしまおうとした。ノエルの気持ちを。でも、フィルの肩越しにシャルワ様の視線を感じて口を噤んだ。


 冷静にならなきゃ……。ここでフィルを好きだと言っても、シャルワ様の手前フィルも困るだろう。


 それに、船には護衛や侍女達も乗っていて、口を挟まないとは言え会話を聞いている。何より、ノエルの気持ちを私が伝えてしまっては意味がないわ。

 天を仰ぐと、太陽が傾き、うっすらとした白い月の輪郭が空に見えた。


「シャルワ様、ノエル様。私は、次の橋で降ります。あとはゆっくりとお楽しみ下さい……」


 どうしたら良いのかわからなくなった。そんな私の様子を伺いながら、フィルが声をかけて立ち上がる。

 えっ? もう、行ってしまうの? まだ、ノエルとの仲を取り持っていないのに。それは困る。


「あ、あの、フィル!」

 何を言えばいいのかわからなかったが、つられるように立ち上がった。


「ノエル様と会うのはこれが最後でしょう。アイーシャ様から話は聞いております……。アゲートへ帰られると」

「えっ……」

 聞いたんだ。聞いたのにすんなりと頷いたんだ……。ノエルがいなくなるのに。


「ノエル様。辛い思いをさせて申し訳ありませんでした。あなたの幸せを心から祈っております」

 呆然とフィルの話を聞いていたら、何を思ったのか、緊張した面持ちでフィルが私と向かい合うと跪いた。

 目を丸くしている私の手をゆっくりと取ると、指に優雅な口付けをした。途端に、甘美な刺激が体中に走る。


「お幸せに――」


 触れるだけの口付けは、私の心を奪いそうになる。そうならなかったのはアルの顔を思い出したから。

 危ない……。何、この人。私がまだ結婚していなくて、ノエルの好きな相手でもなくて、初めて出会ったなら……一瞬で恋に落ちていたわ。


 現に、乗船している侍女達は顔を赤く染め俯いているか、小さな悲鳴を上げている。男達は、素知らぬ顔で違う所を見ていた。

 遠くの川岸で、人々の歓声と悲鳴が聞こえるのは気のせいだろうか?

 それよりも、シャルワ様が何も言わない。何かが変だ。何かを私とノエルは見逃している気がする。


「……好きだと言ったら? 私が、フィルを好きだと言ったらどうする?」


 ノエルなら絶対に言わないだろう。こんな相手を繋ぎ止めるような言葉。でも、 今、伝えないと、二度とノエルに会わない気がする。そんなことになったら私が後悔する。


 ここで、行かせる訳にはいかない。伝えたものは取り消せない。

 驚きのあまり動けないのはフィルだけではなかった。この船にいる者すべてが、成り行きを見守っていて誰も口を挟まないし動かない。


 でも一人だけ、この状況を楽しんでいる人物がいた。私達を見ているシャルワ様だ。そんな中、戸惑ったようにフィルが口を開いた。



「アイーシャ様から何か聞いたのですか? あなたが、そんなことを言うはずが……」


 いけない……。ついエレーヌとして思ったことをそのまま伝えてしまった。

 ここでばれたら更にノエルの立場が悪くなる。

 どうしようかと考えていたら、甘い空気を切り裂く、悲鳴と逃げ惑う声が耳に届いた。



 船上の空気が一変した。


 なにが起こったの?

 何事かと対岸を見ると、悲鳴を上げながら逃げ惑う人々と、黒い何かと対峙している人達が見える。


「今すぐに反対側の川岸へ船を寄せろ! すぐにノエル様を王宮へ連れて行け」

 いきなりフィルに守られるように肩を抱かれた。

「あれは何……黒い獣? まさかジェイド・インペリアルが?」

 ここに現れるなんて。まさかノエルに何かあったの……。それとも、私をノエルだと勘違いして攫うつもり?

 なら、私がノエルを守るわ。五年前の償いに。絶対にノエルを渡さない。


「剣を貸して。短剣で良いわ……。自分の身は自分で守るわ」


 意を決してフィルを見上げると険しい顔をされる。すると、なぜか、フィルの顔色が変わり、驚いたように目を見開いた。



「……君は誰だ? ノエルじゃない……」


 船上にいる人々の視線が、私に一気に集まった。

 それと同時に、フィルが今まで見せたことのない苛立った表情を見せ、身につけていた自らの仮面を取り去ると、私の仮面へと手をかける。


 止める間もなく、仮面が落ちると、抵抗する間もなく顎を持ち上げられた。


「君は、まさかエレーヌ様。ノエルは? ノエルはどこに行ったのですか?」

 どうしてノエルではないとわかったのか不思議でならなかった。

 血相をかいたフィルに両肩を強く掴まれ、強い力に顔を顰める。


「痛い。ちょっと、フィル! 痛い」

「落ち着いて下さい。まずは、あの獣を何とかしましょう。あなたはエレーヌ様と一緒に王宮へ向かって下さい。ここは私一人で十分です。エレーヌ様、ノエル様は何処ですか?」


 次々と指示を出すシャルワ様は、さっきまでの、やる気のない姿とは別人のような動きで、護衛達に指示を与えていく。


 ……シャルワ様が違う人のように思える。それに、なぜシャルワ様がフィルに敬語なの?……。

 戸惑いながら二人を見比べるが、思い詰めた顔をしているフィルは、私の様子が目に入っていないようだ。


「やってくれましたね。いつの間に入れ替わったのです? おかげで、こちらの作戦も滅茶苦茶です。なにより、こちらも使い物にならなくなった」


 シャルワ様が、私に向かってため息を吐くと、フィルを見て苦い顔を見せた。

 使い物にならなくなったって、フィルのこと? 確かに呆けて何かにショックを受けているみたいだけど……。


「あなたがエレーヌ様だと見抜けなかったからショックを受けているのですよ」


 船が岸壁に接岸されると、一斉に騎士達が私達を守るように周りを囲む。シャルワ様が、私の手を引いて船から降ろしてくれる。

 その軽い口調や今までと違う態度に違和感が隠せない。


「……あなたは誰なの? シャルワ様ではないの? さっきまでの態度と今では全然違うわ」


 石で造られている橋を早足で歩いていると、シャルワ様だと名乗っていた男は、私の問いかけに足を止めた。そして、胸に手をあて礼を取る。


「このような場面でとは思いませんでしたが、ご挨拶を。私の本当の名はフィル・ガードナーと申します。シャルワ様の側近を努めております」


 深々と頭を下げられたが頭がこんがらがった。

「えっ……フィル? えっ、でもフィルはあそこに……」

 街の状況も混乱しているが、私の頭も混乱している。


「このような状況ですので簡潔に申しますと、しきたりにより、私がシャルワ様の代わりをしておりました。そして、シャルワ様が私の代わりとなって入れ替わっておりました。ノエル様の様子を見守るために」

「それじゃあ、ノエルは今まで嘘をつかれていたってこと? しきたりって何よ!」

 驚きを通り越して怒りが湧き起こる。


「詳しく説明したいのですが、この状況と、本物のシャルワ殿下が使い物にならない状況ですので、先に王宮へお向かい下さい。ノエル様は……どこ――」


 いきなりだった。

 手を引かれて石橋を駆け抜けようとした所で、フィルがいきなり崩れ落ちる。


「えっ……なに?」

「会いたかったよ、ノエル……。約束通り迎えに来た」


 空は明るいのに、ポツポツと頬に降って来る雨は冷たく身体を凍らせていく。雨だけのせいではない。後から抱き締められるように、腹部に手を回されて耳元で囁かれる。


 雨と共に絶望が降ってきた気がした。


「……ノエル。香を変えたのかい? いつもと香りが違うようだけど」


 首筋に顔を埋められると鳥肌が立って恐怖で動けない。

 私達の周りを、兵士や騎士達が固めるが、私の首にあてられた短剣で身動きが取れないようだ。


「ジェイド・インペリアル、その手を離せ」


 私達から距離を適度に保ち近寄って来たのは、さっきまでフィルと名乗っていたノエルの好きな人。

 聞きたいことが山ほどあった。

 本当に、フィルがシャルワ殿下なのか、なぜ嘘を付いていたのか疑問が山ほどある。だけど、今の状況を何とかして欲しい。


 徐々にジェイドが力を込め、短剣が皮膚をかすめる。

 何とかしないと。でもジェイドがここにいるならノエルは無事なはず。今、どこにいるの――ノエル。

 石橋の上での無言の攻防に、ジェイドの苛つきが更に増して行く。


「そこを通してくれないか? これからノエルと一緒に暮らす約束なんだ」


 嬉々とした声に虫唾が走る。

 誰がノエルを渡すものですか。この男が私をノエルと信じている内に何とかしないと。絶対にノエルと会わせないんだから。


 抜け出そうとジェイドの隙を探すが、女の力では抜け出せない。フィル達も、うかつには近づけないようだ。

 どうにかしないと……何か――――。



 その時、太陽の光に反射して、何かがキラリ光り私の足元を揺らめく。

 それは、前方の小高い丘からのようで、何かを訴えかけるように私へと合図を送ってくる。


 これは、ノエルと二人で決めた合図。


 誰が、どう言う意図で、この光を作っているのか思い当たり、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 大丈夫、大丈夫だから。


「さあ、どくんだ。ノエルがどうなっても良いのか?」


 さらに力が加えられると、首筋から生暖かい血が一筋流れていく。そんな私を見て、フィルが悔しそうに一歩下がると、ジェイドが歩き出す。



「――ユーリ!」


 遠くから木霊するように聞こえた叫び声は、その場の人間の動きを一瞬止めるには十分な威力があった。


 全員が、その声の方角へと気を取られている隙に、ジェイドの足を思いっきり踏みつけると、呻き声と共に、拘束されていた力が弱まる。

 その反動で、首にあてられていた短剣がまた少し首皮を切ったが、気にしている暇はない。


 ドレスが汚れるのも厭わず、思いっきり横へと転がると、ジェイドの右肩に矢が突き刺さった。


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