24 仮面舞踏会②
*本日二話投稿しています。
――また夜が訪れた。
これがフランシスカで眠る最後の夜。そう思うと中々寝付けない。
アイーシャ様との話し合いが終わると、何度もお兄様とエレーヌが顔を見せたが頑なに話し合いを拒んだ。
その度に、感情を素直に表せるエレーヌが羨ましく思える。
私も、こうやって素直に泣けば良かったのかと、叫び声を上げて嫌だと暴れれば良かったのかと昔を思い出す。
もう、戻れはしないのに。
「……ノエル。起きてる……?」
返事をする間もなく、エレーヌが夜着の上からナイトガウンを羽織った姿で室内に入って来た。
「ノエル……また、そんな所で寝ると風邪ひくよ」
目を真っ赤にさせたエレーヌが、私の元へと駆け寄ると目の前に座り込んだ。
私の今いる場所は、暖かい寝台ではなく、いつも通り部屋の隅の冷たい床の上。
「慣れているから大丈夫よ……。エレーヌが風邪をひくから戻りなさい。アルフレッド様が心配しているわ」
昨日とは違い、柔らかな月の光が室内に差し込んでいる。そんな優しい月が、ぎこちない私達を導くように照らしている。
「大丈夫。アルには言って来たから。ごめんね、ノエル。今まで気付いてあげられなくて。ずっとノエルも幸せだと思っていたの……」
いきなりポロポロと涙を流すエレーヌに、思わず顔を顰めそうになった。
「幸せよ……。だから、もう部屋に戻って」
また嘘を付く。この嘘はこれで何度目だろうか。大丈夫、何度も繰り返せばエレーヌは納得して笑顔を見せて頷くから。
「嘘よ……。五年前のことも含めて怒ってよ!」
五年前……。
そう言われると、心がざわめき、昨日のことのように蘇った。
「私が逃げたから。人質になるのが嫌で夜に城を抜け出したせいで、ノエルが行くことになったわ……。ずっと謝りたくて後悔してた」
エレーヌが、意を決したように頭を下げる。すると、艶やかな長い髪が床に零れ落ちた。
肩を震わせるエレーヌを、他人事のように遠くから見つめる自分がいる。
「もう過ぎた話よ。終わったことだから、もう良いの」
また、物分りの良い返事をする自分にも嫌になる。
「よくないよ! どうして私を責めないの? 怒らないの。いつも、そう。そんな物分りの良いふりをして、自分の殻に閉じこもるノエルが大嫌いよ!」
驚いてしまった。
いつもは、罪悪感を映した瞳を向けながらも、私が「大丈夫」と言う度に、ほっとしながらすぐに引き下がる。なのに、今日はエレーヌが言い返してくる。
「その度に……ノエルが私を許す度に、私の心は荒れていったわ。ノエルは、本当は、私を憎んでいると思っていたから」
そうかも知れない。口に出さないだけで、私はエレーヌが羨ましくて、幸せそうな姿を見る度に憎んでいた。
「……最初はエレーヌを憎んだわ。ずっと一人ぼっちで誰も味方はいなかったから……。でも、あそこに行かなかったらユーリとアンリには会えなかったわ」
そうだ、あの二人には会えなかった。大好きなあの二人には。
「ユーリって誰? アンリは、わかるわ。さっき挨拶したから。ノエルの好きな人でしょう? アイーシャ様との会話を聞いていたの……ごめんなさい」
最後は消え入りそうな声で、私を伺うようにエレーヌが見つめる。
「そう。でも、何もかも終わったわ」
気にしていない様子を装っても、鋭いエレーヌにはバレているようで、苦しそうな瞳を向けられた。
「ノエル……。お金のことなんだけど、私、アルにお願いしたの。フランシスカに借りている分はアルが返してくれるそうよ。だから、心配しなくて良いから」
「……どうして、その話を知っているの?」
エレーヌは知らないはずだ。誰がエレーヌに教えたのだろう?
「お兄様から聞いたの。どうして言ってくれなかったの? 相談してくれたら、私が何とかしたのに。ノエルはフランシスカに来る必要はなかったのよ?」
両手を取られて励ますように握られた。そんなエレーヌを見ていると、嫌悪感でいっぱいになる。
「綺麗ごと言わないでよ。私があの時行かなきゃ王家が潰れていたわ。そんな外聞の悪いこと出来る訳がないでしょ? エレーヌは、いつも周りを頼るだけで自分では動かないくせに!」
言い過ぎた。そう思った時には、もう遅かった。
ボロボロと泣き出すエレーヌを前に、どうしたら良いのかわからない。
まるで、自分が泣いているように思えた。でも、心の底に秘めていた思いは、水が溢れるように声になる。
「……全部、エレーヌが悪いのよ。私も幸せになりたいのに、いつも上手くいかない……。誰も手を差し伸べてくれない」
「皆、ノエルを心配して助けようとしているわ。ノエルが自分からその手を振り払っているだけじゃない! ノエルは周りを信じていないのよ! そんなノエルが大嫌い」
負けじと、泣きながら言い返すエレーヌに呆気に取られた。
これまでのエレーヌと何かが違う気がした。たった数ヶ月離れていただけなのに、エレーヌは成長しているのに、私は昔のまま。
「少しは前向きに考えなさいよ! 自分の意見を主張しないと周りにいる人間はわからないわよ。ノエル、あなたはいつまで自分の殻に閉じ篭ってるの? それが……相手を傷つけていると気付かないの?」
「傷つけているの……?」
言われて初めて気付いた。自分が我慢すれば、周りは傷つかないと思っていたから。
「そうよ。お兄様も傷ついているわ。それに、もっと詳しくどうして聞かなかったの? フランシスカが援助したことと、ノエルの結婚話は別だと」
今の私は、絶対間抜けな顔をしているだろう。それほど、衝撃的だった。
「話は別って。私がフランシスカに来なければアゲート王家への援助はなくなるって……」
「最後まで聞かなかったのでしょう? お兄様がノエルをフランシスカへと連れ出したのはジェイド・インペリアルから守るためよ」
驚きすぎて言葉にならなかった。頭が理解出来ない。
お兄様が、私を守るためにフランシスカへ嫁がせようとした?
「王家の財政難と重なったからタイミングが悪かったわね。それと、お兄様の言い方もノエルの誤解を招いたわ」
詳しく説明を始めたエレーヌの話を聞き終わっても、何も言葉が出て来ない。
ただの言葉の掛け違いと、自分自身の思い込みが誤解を招いていたとは、露にも思わなかった。
そう言えば、初めてアンリに会った時、私は人質ではないと言われた。
あの時は、慰めてくれているだけだと思っていたけど、本当だったんだ。それに、誰も私を人質のように扱わなかった。
皆、優しくしてくれた。ただ、私が周りを見ていなかっただけ。
辿り着いた真実に呆然としていると、ふわりとエレーヌが抱き付いて来た。
「ごめんね、ノエル。謝るにはもう遅いけど何度でも言うわ。本当にごめんなさい。私を嫌いになっても良いから、自分を大事にして。……お願いだから」
エレーヌは、私が何をしようとしているのか、わかっているように思えた。双子だから、何かを感じたのかも知れない。
「私、エレーヌが大嫌いだったわ。私の欲しい物を全部持っているんだもの。私も幸せになりたいのに!」
初めてだった。こんなにも気持ちをぶつけるのは。誰かに本音を言うのは……初めてだった。
エレーヌは、私が悲鳴のように泣き叫ぶのを、ただ頷きながら抱き締めてくれた。
「皆、そうよ。皆エレーヌと私を比べて、私はいつまでも可哀想じゃないわ。腫れ物に触るように気遣う周りの人達も大嫌いよ」
ただ大嫌いと、何もかも嫌いと、子供のように駄々をこねて大声で喚き散らす。
「うん……ごめんね。気付いてあげられなくて」
嫌いだと言う度に、エレーヌが私を慰める。
しばらく同じことばかり繰り返し叫んだら、すっきりしたように落ち着いてきた。
「ノエル……。私に何かして欲しいことはある? 何でもすするわ」
顔を上げてお互い見つめ合う。
淡い月の光が私達を照らした。顔も姿も鏡のようなエレーヌに向かって口をひらいた。
「明日一日で良いから、私と入れ替わって欲しい」
私の真剣な願いに、エレーヌが驚いたように目を見開いた。
「入れ……替わる? 私とノエルが?」
「明日、船に乗ってシャルワ様と二人で国民にお披露目の予定になっているの……。私には無理よ」
「アンリが好きだから?」
暗い顔を見せる私とは対照的に、顔を綻ばせながら、エレーヌが私の頬に流れている涙を指ではらう。
ここで伝えても良いものかと迷いながらも、ぎこちなく頷くと、エレーヌが嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しいわ、ノエル。素直に言ってくれて。わかったわ。私がノエルの代わりにシャルワ様の傍にいるわ。ノエルはアルの傍にいて」
……それは困る。入れ替わるのは、エレーヌを船に乗せた方が安全だと思ったから。
船の上なら、ジェイドは簡単に手出し出来ないだろう。王族が乗る船だ。護衛は勿論のこと、傍にはシャルワ様やアンリが付き添っている。
何より、身元が確かな人間しか乗船しないはず。簡単に攫われたりしないだろう。
それに引き換え、エレーヌが本来いる予定の場所は、各国の招待客達と共に、式典を見渡せる見通しの良い場所だと、事前にシシィから説明受けていた。
護衛は勿論付くだろうが、その分、人の出入りも激しい。そんな場所にエレーヌを置いてはいけない。
ジェイドが人を操り、エレーヌを連れ出さないとも限らないから。
「いいえ。上手く演じることの出来ない私では、気付かれてしまう可能性が高いわ。エレーヌのように明るい雰囲気は、すぐには身につかないから。体調不良を理由に休んでいることにしましょう」
言葉を慎重に選びながら伝えると、エレーヌの瞳が一瞬、曇ったのを見逃さなかった。
「何をしようとしているの? 素直に答えてノエル! じゃないと、入れ替わりはもちろん、皆に言って、あなたをここに閉じ込めるわ」
……失敗した。簡単に説得出来ると思ったのが甘かったらしい。
このままだと、説明するまでここを動かないだろう。しかも他に知られると更にやっかいだ。
「皆には言わないで……。これは私がしなくてはならないの。ユーリとの約束だから……」
「さっきから言っているユーリって誰のことなの? ノエル……詳しく話してよ」
ここまで来たら、最初から全部話すべきだろう。ユーリのことや、ジェイドや鷹のことを……そして弓の話も。
順番に少しずつエレーヌに伝える。
その度に、大きな瞳が潤んだり揺らいだりと、顔に出やすいエレーヌの心情が手にとるように、わかった。
これから私が起す行動以外を伝え終わると、エレーヌの唇が震えだす。
「ごめんね、ノエル……。一人で悩んでいたのでしょう? 誰にも言えなくて苦しんだのでしょう?」
きつく抱きしめられると、髪を梳かれる。すると、自然と涙が落ちた。
「ごめんね、エレーヌ。あなたの方が危ないかも知れない。だけど大丈夫よ。シャルワ様も……アンリも一緒だから」
「私は何とかなるわ。でも、その間、人が少なくなる王宮でノエルが一人になるのが気がかりだわ。他に何をする気なの? 全部、教えてノエル」
いくらエレーヌでも、これだけは言えない。
同じようにエレーヌの背中に手を回すと、髪を撫でる。
「大丈夫よ。必ず上手くいくから。だから、私の代わりをお願いね。私のように振舞って。それと、アンリと目を合わせたらだめよ。鋭いからすぐにばれるわ」
最後は茶目っ気たっぷりに笑いながら微笑んだ。
「ノエルは絶対に安全?」
心配そうなエレーヌに力強く頷いた。
「……ええ、安全よ。私に危険はないわ。信じて」
これは嘘だ。でも、嘘を言わないとエレーヌが納得しない。
「絶対に……?」
「もちろんよ。終わったら迎えに行くわ。驚く皆の前で入れ替わりましょう」
その時の様子を想像したのか、エレーヌが肩を震わせて笑い出した。
「ふふっ、一番ショックを受けるのはお兄様ね。妹達の入れ替わりさえ見抜けないなんて。落ち込むお兄様を二人で笑ってやりましょう」
涙を払いながら、お腹を抱えて笑い出すエレーヌにつられてお互い声を上げて笑い合った。
こんなに笑ったのはいつ以来だろう。良かった、最後にエレーヌと話が出来て。明日は、どうなるかわからないから。
泣き叫んでぶつけたおかげでスッキリした。
「ノエル、今日は一緒に寝ましょう。アンリの話を聞かせて貰わないと」
「えっ、アルフレッド様が待っているわよ。部屋に戻らないと」
まさか、一緒に朝までいるとは思わなかった。
「アルは大丈夫よ。それより、アンリとのことを聞かせて貰うわよ。最初から全部ね。私も会ったけど落ち着いていて素敵な人ね」
これは引き下がりそうもない。
大人しくエレーヌに手を引かれ、温かな寝台へと導かれた。二人で向かい合って横になる。
それから、二人で離れていた間の話を続けた。
私はアンリやフランシスカの素晴らしさを。
エレーヌはアルフレッド様のこと。そして、微妙に疲れるお茶会やサロンの話などを。
話題が尽きることはなく、眠りに付いたのは太陽が顔をのぞかせた時間だった。




