2 二人の王女
「ノエル様、エレーヌ様、起きて下さませ」
穏やかな声が聞こえ目をあけた。
開けられた窓からは陽の日差しが注ぎ、涼やかな風が入ってくる。
「モリー。おはよう」
「おはようございます。ノエル様。眠れましたか?」
「ええ。良く眠れたわ。エレーヌもいたから」
本当は眠れなかった。でも、こう言わないとモリーが心配するから。
私達、双子の専属侍女、モリーに支えられながら上半身を起こす。そして、まだ隣で寝ている妹のエレーヌを見る。
こんなにもモリーと話しているのに、ぐっすりと寝ているエレーヌはピクリとも動かない。
幸せそうな寝顔は、両親や兄さえも間違えるほど良く似ていた。それは、成長した今も変わらなかった。
でも、周りが言うほど似ているとは思わない。私と同じ顔なのに全然違うよう見えた。私は、こんなにも穏やかに夜を過ごせないから。
――三年。
あの囚われていた日から三年の月日が流れ、十九歳になった。
祖国に帰り、穏やかな生活を送る毎日。でも、恐怖は消えない。身体の傷はなくなっても、見えない傷は棘のように突き刺さっているまま。
なぜなら、三年前、私が助け出された後、城が火に包まれた。だが、あの男の遺体は発見されなかった。 焦げた死体の山は判別も難しく「死んだ」「逃げた」その言葉が飛び交い、真相は解明されなかった。
それが、不安でならない。
でも、周りに相談すると心配するから、迷惑をかけるから何も話せない。自分で耐えるしかなかった。
「ノエル様は湯浴みを。私はエレーヌ様を起こして行きますので」
「ええ。わかったわ」
「エレーヌ様。早く起きないと朝食は抜きになりますよ」
モリーの起こし方に苦笑いを浮かべる。
エレーヌは寝起きが悪い。
それは、子供の頃から変わらなかった。成長しても、寝起きの悪さを直す気は、本人にはなさそうだ。
毎日の光景。
寝台を降りると、続き間に造られた湯殿へと向かう。
大理石の石造りで、天窓から太陽の陽が差し込んでいる。温かく落ち着く、朝のこの時間が大好きだった。
ここは私とエレーヌ専用で、誰にも気がねなく入れる。夜着を脱ぎ湯に入る。
……エレーヌはまだ起きそうにないわね。昔から寝起きは悪かったから。
そう思っていると、ガタリと何かが倒れる音が聞こえた。
いきなり聞こえた大きな物音に、震える体を守る様に抱き締め、音の方向を恐々と振り返る。
「……おはようノエル。モリーったら、私にキッシュは出さないって言うの。私がキッシュ大好きなのを知ってるくせに酷いわ」
目を擦りながら入って来たのはエレーヌ。私と同じ色彩を持つその姿を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
栗色の緩やかなカールの髪は腰まで伸び、青い澄んだ瞳は宝石のように魅力的だ。
「あ、ごめんね。驚かせて。大丈夫だよ。もうノエルは何処にも行かないから。私とずっと一緒だよ。安心して」
私の顔が強張っているのを察したエレーヌが近寄り抱きついた。
「ええ、大丈夫よ。驚いただけだから、ありがとうエレーヌ。それよりキッシュ食べられないの?だったら私の分を半分あげるわ」
そう言うと、エレーヌがキラキラした瞳を向けてくる。
姉の私から見ても、エレーヌはとても可愛い。自分も昔はこんな風に笑っていたのに。
そう思ったら、……心の奥から痛みがジワリと染み出してくる気がした。
「ノエルならそう言ってくれると思ったわ! モリーは意地悪なんだから」
表情が豊かなエレーヌを見ながら羨ましくなった。
アゲートに帰って来てから、私は笑うことが少なくなった。そして、人を寄せ付けなくなった。怖いのだ……知らない人が。
「……誰が意地悪ですか、エレーヌ様。起きないエレーヌ様が悪いのですよ。ノエル様も甘やかさないようにして下さい。これ以上天真爛漫になると……お嫁に行けなくなりますから」
「良いわよ、別に。私はずっとノエルと一緒に居るもの!」
エレーヌの後ろから、二人分の着替えを両手で抱えながら、モリーが呆れた様子で歩いて来た。
すると、エレーヌが私に抱き付いたまま、お行儀悪く舌を出しモリーに反抗する。
その仕草も可愛くて笑ってしまった。
それにはモリーも、あきれたようで、もう怒る気力もないらしく、順番に身体を清めてくれる。
「さあ、出来上がりましたよ。お早く、お食事の広間へ行って下さいませ。フィリップ様とブランカ様がお待ちです。」
支度が終わると、モリーが扉の前で待機していた護衛に話かけ、私達を見送った。
「エレーヌ様走ってはいけませんよ。今夜は舞踏会ですので他国の方も姿が見えるかもしれませんので!」
私達が食事をしている間に、室内を片づけなければいけないモリーは、一緒には行けない。そのためエレーヌに釘をさす。
「人が居たら私も姫らしく振舞うわよ」
両頬を膨らませ心外だとエレーヌが口を尖らした。
護衛達に前後を囲まれながら、兄と義姉の待つ広間へと歩いて行く。部屋の外へ出る時は、必ずエレーヌが手を繋いでくれた。
この手があるだけで安心した。エレーヌの天真爛漫な性格に、あの悪夢を思い出す度、何度助けられたか。
でも、この手も……。ずっと一緒には居られないことを私は知っている。
「おはようございます。お兄様、お義姉様」
ちょっと小走りになりながら、侍女の開けた扉を通り、エレーヌがテーブルに座っている二人に挨拶をした。
「おはようノエル。エレーヌ」
「おはようノエル様、エレーヌ様」
談笑していた二人が、私達に視線を向けた。
私達と同じ色彩を持つ兄のフィリップは、いつも優しい。
あの男に、お父様とお母様を殺されてから、兄は若くしてアゲート国の王位を継いだ。
即位してから不幸が続いていたが、私を取り戻した一年後に妃を娶った。それが今、一緒に座っているブランカ様だ。
妃としては珍しい肩までしかない、張りのあるブロンドに、私達と同じ青い瞳。
どちらかと言うと、おっとりとしている。
「おはようございます、お兄様。お義姉様」
エレーヌに少し遅れながら、朝の挨拶を交わす。
円卓の上座にお兄様。その右隣にブランカ様。お兄様の左隣に私が座る。エレーヌが腰を下ろすと食事が置かれた。
私が座り食事を始めると、三人がその姿を見て微笑むのが毎日の日課だった。
そして、話題は先程のモリーの話になった。
「それはエレーヌが悪いな。毎朝起してくれるモリーの大変さも考えなさい」
お兄様が、ペラペラと話続けるエレーヌに釘をさした。
それには、自分に有利になるように話していたエレーヌが、またしても頬を膨らませ反抗的な瞳をお兄様に向ける。
どうやら、エレーヌは自分の味方をしてくれると思っていたようだ。
「そんな、お兄様。いつもならすぐに起きるわ! 今日は特別なのよ」
言い訳をするエレーヌを横目に見ながら、スープをゆっくりと口に運ぶ。
今日は野菜がたくさん入っているスープと、卵、魚、チーズが層になっているオムレツ。そしてマッシュルームやベーコン。
生地に混ぜられているオレンジが食欲をそそるデニッシュパン。デザートにヨーグルト。
エレーヌの希望のキッシュももちろんある。
お兄様は早々に平らげると、三人の会話に耳を傾けながら、時折り、控えている侍従から書類を見せられ、なにやら話し合っている。
これも毎日の光景だった。
しばらくすると、ブランカ様と一番おしゃべりをしていたエレーヌも食事を終えた。
だが、私だけは、まだ皿に半分程の量を残し黙々と食べ続けている。
行動的なエレーヌとは違い、内攻的な私は、子供の頃からおっとりしていると言われてきた。
そして、囚われていた期間が長かったせいか食も細くなり、最初は食べることすら拒絶していた。
それを三年がかりで何とか回復したが、食べるスピードが人より遅く、食事に一時間はかかる。
私が一生懸命食べている間も、三人は和やかに話し続け、食べ終わるのを待っていてくれていた。
忙しいお兄様やブランカ様は、夜の食事を一緒に食べることが、ほとんどない。そのため、この朝の食事の時間は、私達が兄達に相談をする良い機会となっていた。
三人が食べ終えた三十分後、カチャリとカトラリーをテーブルに置いた。
「美味しかったかい? ノエル」
「ええ美味しかったわ。いつも、ありがとう」
食べ終えた私に、お兄様がが頭を優しく撫でてくえる。
「それで、今夜の舞踏会のことなんだが……」
皿を下げ、飲み物を置いていく侍女を見ていると、お兄様が言いにくそうに口を開く。
一気に気分が落ち込んだ。
……舞踏会。出たくないな。
「もう、ドレスは用意したわ! 義姉様とも一緒に選んだの。問題ないわ」
俯いたままの私とは違い、華やかな場所が好きなエレーヌは、目をキラキラさせお兄様を見上げる。
「ああ、エレーヌは良いんだ。ノエル……どうする? 出てみるか?」
お兄様の声にゆっくりと顔を上げると、三人の心配そうな顔が、こっちを見ていた。
「……まだ怖いの」
三年も経つのに、まだあの時の記憶は消えてくれない。初めて会う男性が怖かった。
ダンスで手が触れるのも、目が合うのも、一緒にいることさえ苦痛であり恐怖だった。
「……わかった。もし、出たくなったらモリーに言いなさい。必ずモリーが傍に居るから」
もう一度、気遣うように優しく頭を撫でてくれる、お兄様に申し訳なくなるが、どうしても心が拒否をする。
「はい。ごめんなさい、お兄様」
そう言うと、決まって三人は「大丈夫」だと励ましてくれる。
あの囚われていた間のことは誰にも話してはいない。
お兄様が、たまに言いづらそうに聞いてくるが、何も言えずに震えていると、お兄様は謝りながら抱き締めてくれる。
何か聞きたそうなお兄様に申し訳ないが、あの時のことを話そうとすると、声を出そうとしても声が出ないのだ。
「エレーヌ。今日は、お前目当てに各国の王子や有力貴族達が来るぞ。いい加減誰かに決めてくれ」
暗い空気を振り払うように、お兄様がエレーヌに各国の招待客の話を始めた。
今回の舞踏会は三日間行われる。和平へと進みだした記念の舞踏会。各国からその国の主要な地位についている王族や貴族達が集まる。
もちろん、令嬢達が将来の伴侶を品定めする場でもある。その中でもエレーヌの人気は凄まじかった。
容姿は私と同じだが、その愛くるしい性格や表情に結婚の申し込みが後を絶たない。
それに何と言っても、歴史あるアゲート王国の王女と言う肩書きも、エレーヌの人気に拍車をかけていた。
「無理よ、お兄様。お兄様より素敵な男性に会えないもの。今日の舞踏会で出会えるように祈っていて」
可愛く微笑むエレーヌに、お兄様も苦笑して妻であるブランカ様に助けを求める。
「そうですわエレーヌ様。素敵な人が現れるまで、ゆっくり待っていると良いわ。その内いつの間にか隣に居るものよ」
「……ブランカ。結婚が遅くなったら困る。そうでなくても、この頃、くだらないエレーヌ宛ての書簡が多いのに」
エレーヌの味方をするブランカ様とは違い、お兄様は書簡の返事に困り、毎日頭を抱えているようだ。
そんな皆の会話を聞いていると、妹が嫁いでしまう現実に寂しくなる。二人で一緒にいることができる時間は、あと少しだけ……。