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19 現れた厄災

こんなにも、気持ちが高揚したのは久しぶりだった。

 広間でハープを奏で終わった直後、割れんばかりの拍手と歓声を思い出すと、また胸が熱くなる。

 シーラは何も言わずに舞台から下りて姿を消してしまった。

 その後、シシィから泣きながら感動したと感想を述べられ、シャルワ様からも初めて褒められた。


 お兄様やエレーヌ以外から褒められたのも何年かぶりで、忘れていた気恥ずかしさや喜びで胸がいっぱいになる。


 そして、興奮が冷めなくて眠れず、夜中にまた庭へと足を踏み入れた。

 また、天使様――アンリに会いたくなったから。

 アンリの励ましのおかげで勇気が持てた。お礼を言って、今日の出来事を伝えたかった。また、あの笑顔を見たかった。


 優しくて、安心感を与えてくれるアンリに会いたい。

 そして、広間で見た黒ずくめの男性についても相談したかった。

 演奏が終わった後、すぐに扉の方を確認したけど、姿は消えていた……。

 昨日と同じ場所、石で出来た橋の上で座り込み、辺りを伺いながら待っていると、ふいに背後に人の気配を感じた。


 ……来てくれたんだ。約束を守ってくれた。

 期待を込めて後を振り向くと、身体が凍りつく。


 昨日みたいにアンリだと思っていた。笑顔を浮かべて振り向くと、そこには、二度と会いたくなかったジェイドがいた。


「どうしたの、ノエル? 顔が真っ青だ。せっかく会いに来たのに……。さあ、一緒に帰ろう。この国は、どこに行っても潮の香りばかりで嫌になる」

 顔色を失っている私を、ジェイドは満足そうに見下ろした。目の前まで来ると、乱暴に片腕を掴まれ、無理やり立たせられる。


「挨拶をするのも忘れるくらい会いたかったかい? さあ、良い子だから弓を持っておいで。それとも、一緒に取りに行こうか?」

 赤い血のような瞳で見つめられると、身体が小刻みに震え出した。掴まれている腕を強く握られると、痛みが走り顔を歪めた。


「ど、どうして、どうやって、ここに入れたの?」

 震えながら声を絞り出すと、ジェイドは満面の笑みで私を見る。

「簡単だ。少しの間、見張りの兵士達を眠らせて、堂々と入って来ただけだ」

 すると、バサリと鳥の羽音が聞こえたと思ったら、近くの木々に、あの鷹が現れた。


 眠らした? 嘘だ。……操ったんだわ。私に会いに来るために。違う、弓を手に入れるためだけに私に会いに来たんだ。


「ゆ、弓はここにはないわ……きゃっ!」

 いきなり引っ張られると、乱暴に石畳へと倒される。起き上がろうとすると、すぐに重みが加わった。

 両手を取られ、顔の横でそれぞれ固定されると、ジェイドが楽しむように上に乗り上げ、私の顔を覗き込む。

 恐怖から視界がぼやけてきて身体の震えが止まらない。


「嘘はいけないよ、ノエル。このまま昔のように躾をしたら、素直なノエルに戻るかも知れないな……どうかな?」

 叫びたいのに声が出ない。拒否するように、首を横に振る。

「弓はどこだ? 早く答えろ! 時間がないんだ。早く力を手元に置かなければ、このままではいられない」

「あ、あなたが、どう、なるの?」

 勇気を出して声を絞り出す。

 ジェイドの切羽詰った様子と、弓に執着する異様な姿からあることが想像出来た。


「あなたが、弓を手に入れなければ消えてしまうのね。なら、私は何をされても渡さないわ! 消えて……。そして、ユーリを返して!」

 そう叫ぶと、ジェイドの顔が怒りへと変わった。

「おまえ、何を言っているのかわかっているのか? この状況で……」

 すぐに乾いた音が響くと、頬に鋭い痛みが走った。

 それは、昔を思い出させた。痛みに泣きそうになる。だが、すぐに感情を押し殺して、唇を噛み締めた。

 この男が消えるなら、いなくなるなら耐えてみせる。これで全て終わるなら。

 決意を込めた瞳でジェイドを見上げる。すると、いつもとは違う私の態度に戸惑ったのか、初めてジェイドがため息を吐いた。


「おまえ……本気か? いつもなら、ここで泣き叫んで終わりなのに。その態度なら仕方ないな。お前の代わりに妹を攫う。妹と弓とを交換しよう」

 エレーヌを攫う? ダメよ。そんな酷いことしないで。

 言葉を失っていると、身体にかかっていた重さがなくなり、ジェイドが立ち上がるのがわかった。


「だめ、止めて。あの子に、エレーヌに手を出さないで!」

 急いで起き上がると、私の反応を待っていたかのように、ジェイドが笑った。

「……なら弓を渡せ。少し時間をやろう。仮面舞踏会の日に取りに行くよ……。可愛い妹に何もされたくなかったら用意するんだ」

 残酷な言葉は、さらに私を打ちのめす。


 ユーリ……。私はどうすれば良いの? 誰も失いたくないの。ユーリを取り戻したい。でも、エレーヌには幸せになって欲しい。どっちかなんて選べない。でも、 私は――――。


 納得したように頷くと、嬉しそうなジェイドの声が聞こえた。

「そう言ってくれると思っていたよ。今度また迎えに来る。楽しみにしていてノエル。また二人で一緒に暮らそう。絶対に楽しいから」

 何も言えなかった。


 今、また何か言えば、本気でエレーヌに危害を加えるだろう。それだけは、避けなければならない。エレーヌが来る前に何か策を考えないと……。

 ジェイドが消えてユーリを助ける方法を。

 ジェイドが去って行っても、座り込んだまま呆然と考えていると、パキリと枝が踏みつけられた音が耳に届いた。

 でも、震えたままの身体は反応出来ない。ジェイドのことで頭がいっぱいで動けなかった。


「ノエル……?」

 茫然としていると、今日一番会いたかったアンリが私の目の前に座り込んだ。

「どうしたんだ? 一体何があった? ……っ、誰に、こんな酷いことを……」

 怒っているようで、困惑した表情を見せるアンリは、殴られて腫れている私の頬に手を伸ばす。アンリの手の冷たさにビクリと体を強張らせる。


「アン……リ。私はどうしたら……幸せになれるのかな?」

 アンリの顔を見たら、堰を切ったように涙が溢れて止まらない。そのまま抱きつくようにアンリの背中に腕を回して、声を上げて泣いた。

 人前で声を上げて泣いたのは、三年ぶりだった。




「……少し落ち着いたかな? 頬が腫れているから、これをあてて」

 あれから、アンリに抱きついたまま泣き続けた。やっとで落ち着いてきたのは、空が少し明るくなってきた頃。

 私が落ちつくと、アンリは少しの間いなくなって、手に何かを持って戻ってきた。

 じわじわと痛む頬にと差し出されたのは、頬に貼れるような大きさの木の葉に、何か青い液体がついている薬らしき物。


「それ、良く効くよ。痛みも腫れも引くから。あ、貼るよ」

 戸惑っている私に、アンリはそれを優しくあててくれた。

 最初は冷たくて顔を顰めたが、アンリの言った通り、痛みが治まってきたように感じる。


 アンリは何も聞かない。誰かに殴られたような頬の傷も、泣き腫らしたような瞳も、何も聞いてこない。

 それが、ありがたかった。


「アンリ、もう、行ってしまうの?」

 空を気にしているアンリは、昨日も夜しか一緒にいられなかった。朝まで一緒にいられない。

 一人になりたくなかった。アンリと一緒にいたかった。傍にいるだけで安心出来るから。

「……ノエル」

 困ったような声に、唇を噛み締めた。

 傍に居て欲しいけど、迷惑はかけられない。私は、シャルワ様の妃になるのだから。これ以上、アンリを巻き込む訳にはいかないのだから。

 自分で何とかしないと。


「ごめんなさい。迷惑をかけて。少し感傷的になって……。頬の傷は、泣いていたら足元を見ていなくて転んだの。お兄様にも日頃から気を付けるようにって言われていたのに、ごめんなさい。もう大丈夫だから……夜が明ける前に部屋に戻るわ。ありがとう――」

 なにもないと、大丈夫だと、早口で捲し立てる。そして、顔を伏せながら立ち上がる。


 背を向けるとアンリも立ち上がる気配を感じた。すると、逃げる私を離さないと言うように、後ろから抱き締められた。


「一人で泣くのは止めて少しは頼って欲しい。そんなに信用出来ない? フランシスカに来てからも、一人で泣いて耐えていたんだろう?」

 アンリの言葉に、涙が溢れてとまらない。

「そんなこと……ない。シシィも、シャルワ様も、皆が良くして下さるわ。だから、心配いらないわ」

 心配かけないように、迷惑をかけないようにと必死だった。


「夜は怖くて眠れないのに? 誰かが来るのを恐れて、寝台で寝ることが出来なくて、床で寝て足音を聞いている……。違う?」

 穏やかなアンリの声は、私に優しく語りかける。ポタポタと落ちる涙は、私のお腹に手を回しているアンリの手に落ちていく。


「いつも周りを気にして様子を伺って、気を使い、自分を抑えて自己主張しない。食事もそうだね。まだ食べたいのに、時間ばかり気にしている」

 まさか全部気が付いているなんて思わなかった。アンリは、どこから私を見てくれていたのだろう。


「この国では誰も咎めない。だから、アゲートで暮らしていた時のように、自然に過ごせば良い。時間をかけて食べれば良いし、行きたい所に行けば良い。必ず、一緒に傍にいるから」

「わ、私に関わると、皆が不幸になるわ。……私は呪われているから」

 自分のものとは思えない、悲鳴のような叫びに、アンリが落ちつくようにと髪を撫でてくれる。


「呪われてなんかいない。君はこの世で一番素直で純粋だ。いくら人を遠ざけても、皆が君の傍にいたいと思うよ。今は見えていないと思うけど、皆、ノエルに笑って欲しいから、頼って欲しいから傍にいるんだよ。だから、泣かないで」

 優しい慰めに何も言えなくて、唇を噛み締めて泣き続けることしか出来なかった。


そうしている間に、夜が明け、太陽の光に淡く包まれる。


 空を見ながら、そろそろ戻らなければと、涙に濡れた瞳をアンリに向けた。


 ――その瞬間、時が止まったように思えた。


 見上げた先にはアンリではなく、漆黒の髪と吸い込まれるような黒い瞳をしたフィルがいた。

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