18 奏でる音色③
いきなり襲って来た暗黒の闇に、身体が震えた。シャルワ様やシシィに怯えているのを悟られないように、何度も小さく呼吸を繰り返す。
すると微かに声がかけられた。
「ノエル様、ご安心下さいませ。今回は、こういう趣向でございます。あちらをご覧下さい」
シシィが私の様子に気づいたようで、傍に寄ると、声をかけてくれる。
「大丈夫だ。前のようにノエル様に危害を加えるような者はいない」
なぜかシャルワ様も、私の近くへとやってくる。
二人の間にいると、少しずつ闇に目が慣れ落着きを取り戻した。シシィに促されるようにシーラを見た。
灯りが消えた、水辺の舞台の上に浮かぶのは、真っ白な六角形の空間。
その場所だけ光が当てられていた。正確には、六角形に作られた舞台を取り囲むように水中が光っている。
これは……? 舞台に光が集まっていく。しかも金色だわ……。
初めて見る幻想的な光景に言葉が出てこない。
「あれは、フランシスカにだけ生息する光魚ですわ。匂いに反応するのです。今、水中には、特別な香を流しております。もちろん光魚には無害ですので安心下さい」
魅入っていると、シシィが丁寧に説明してくれた。
「光魚は、その匂いを酷く嫌い警戒します。すると、仲間に教えるために、自らの身体を光らせ危険を知らせるのです」
確かに、風にのって甘い蜂蜜のような香りが、広間全体に漂っていた。光は水中を駆け巡り、舞台へと集まり金色に染めていく。
すると、舞台の中央に人影が現れた。
見ている者を誘惑するように、妖艶に微笑んでいるシーラは、とても色っぽく見ている者の目を奪う。
「始まりますわ、ノエル様。……ご覧下さい。舞踏とは、古来から図形を足元で描くのです。そして、そこに自らの心を、内に秘めし想いを身体で表現し伝えるのです」
シシィの言っていることが、良くわからなかった。
図形を描く? どういう意味かしら?
考え込んでいると、鈴の音に混じり、厳かなハープの音に身を固くした。
中央にいるシーラの後ろには、数人の女性達がハープを持っている。様々な大きさのハープを手に、鮮やかな衣装を身に着けた女性達が座っている。
「……ハープ」
「この国でもハープの人気は高いですわ。祭祀の祭も、必ず演奏される誇り高き楽器……。始まります」
ハープの音色と、鈴の音と共に舞が始まった。
――その舞は、この世のものとは思えないほど、気高く美しかった。
シーラが天に腕を突き上げれば、風が舞い込むように空気が震えた。一歩歩く度に足元からは大地の叫びが響き渡る。
力強い舞に圧倒されていると、次の瞬間には、女性らしく、しなやかで繊細な舞へと変化した。舞台上を足音一つ立てずに、軽やかに歩く様は人ではないようにも見える。
――目を逸らせなかった。
自由奔放で、周りを虜にする危険な熱帯魚。人を誘い、そして跪かせる。
その神秘的な姿を引き立てるのは、暗闇に浮かぶ光魚達……。そして、遠くで輝く満天の星たち。
なにより、圧倒的な自信を胸に、誇らしげに微笑を浮かべるシーラに目が離せない。
「……綺麗」
思わず声が漏れた。
この人もエレーヌと同じだ。自分の欲しい物を手に入れることが出来る。光を纏っている人。
私とは違った。
自分の意志を貫き、声に出して伝える人の上に立つ才覚がある。
私みたいに弱くない人。
私も、あんな風になりたい。そしたらユーリを助け出せるのに。ジェイドから助け出せるのに……。
シーラの舞を見ていると、何も出来ない自分が惨めで情けなくなった。
いつも誰かを頼り、待ってばかりで動けない……。違う。動こうとしなかっただけ。あきらめれば楽になると、最初から希望を捨てた私が悪い。
ごめんなさい……。
「ユーリ、ごめんなさい」
思わず声に出た。
それほど、シーラの気高い舞を見て心に棘が突き刺さった。痛みと苦さが込み上げてくる。
「……ノエル様。私達で良ければ力になりますわ。お話を聞かせていただけませんか?」
後悔するように俯いていると、隣にいたシシィに手を握られた。そこで、失態に気が付いた。
「あ……」
顔を上げると、シャルワ様とシシィが私を見つめている。
「吐き出してみたらどうだ? 一人で悩むより、良い案が浮かぶかも知れない」
シャルワ様がそう言うと、シシィも大きく頷いた。
込み上げてくる想いに、喉の奥が痛くて声が出ない。でも、二人を巻き込む訳にはいかない。
すると、緊迫した空気を破る様に、シャラン――と大きな鈴の音が広間に響き渡る。
そのあと、拍手が沸き起こった。その拍手を合図に、灯りがともされ、広間に光が戻る。
シーラを見ると、喝采を一心に受け、満足そうに微笑んでいる。すると、視線がぶつかり、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
シーラから目を逸らせずにいると、ゆっくりと私達へと近づいて来る。
「いかがでしたか、ノエル様。私の舞踏は?」
さっきと同じように目の前まで来ると、シーラが片膝を立て座り込む。あんなに激しく舞った後とは思えないほど、落ちついていた。
「はい。とても素敵で、熱帯魚のように鮮やかな舞でした」
感じたままに伝えると、シーラが目を丸くし、無垢な少女のような笑みを浮かべ、照れくさそうに微笑んだ。
「まあ。ノエル様に褒められるとは思ってもいませんでしたわ。でも、私よりノエル様のハープの腕前の方が、素晴らしいと聞いております」
「えっ……?」
どこから、そんな噂が……。そう言えば、シシィにも言われた気がする。この国に来て、一度もハープを奏でていないのに噂だけが広まっているのね。
「私、ぜひにノエル様の奏でるハープを聞いてみたいのです。それに、歌も素晴らしいとか。お願い出来ますか?」
丁寧に聞こえるが、シーラの目は愉快そうに私を見ている。
本当は知っているのだろう。私が、この国に来て、歌どころかハープにさえも触れていないと。
「……しばらく触っていないので、上手く弾けませんわ。シーラ様の舞の前では、私の演奏は子供の遊びです」
事を荒立てないように断ろうとするが、シーラは面白そうに口に手をあて笑った。
「そんなご謙遜を。アゲートの双子の王女の噂は各国で有名ですわ」
「私達の噂ですか?」
初めて聞くわ……。そんな噂があるなんて。でも、この言い方だと、碌な噂ではないようね。
内心げんなりしながらも、このままでは埒があかないと噂について尋ねようとした。だが、それをシシィが止めに入る。
そして、なぜかシャルワ様の顔色も変わった。
「どんな噂ですか?」
気になってしまいシーラに尋ねる。
すると、諫めるシシィを余所に、シーラが口を開いた。
「アゲートの双子の王女は正反対だと。妹のエレーヌ様は、明るく太陽のように皆に愛される幸せの象徴。エレーヌ様の姿を見るだけで幸せになれると言われています。でも……」
「シーラ止めなさい! 下がりなさい。それ以上は本当に怒るわよ」
シシィが今までにない怖い顔をして、私とシーラの間に割り込んだ。
「かまわないわ。聞かせて」
立ち上がり慌てふためくシシィを下がらせた。
「もう一人の王女は、あの男に魅入られ心をなくした哀れな王女。近寄ると不幸を招き、見ているだけで不幸がふりかかる……。ふふっ、国中の噂よ」
私の反応を確かめるように、シーラが近寄って顔を覗き込んだ。
そんな噂があるのね。でも否定はしないわ。私に幸せは来ないのだから。
なのに、泣きそうになるのはなぜだろう? こんな感情は捨てたはずなのに……。昔は軽く受け流せたのに。
「シーラ、宴は終わりだ。お前はもう下がれ」
私の項垂れる様子を見て、珍しくシャルワ様が怒ったように声を荒げる。
「あら? 本当のことですのに。ノエル様が街で倒れた時、見たことのない黒い獣が現れ大騒ぎになったわ。その時にハープの音色が聞こえたと街で噂よ」
えっ? ジェイドが現れた、あの時にハープの音が聞こえた?
「どう言うことですか? 私が意識をなくした時に何があったのですか?」
「ノエル様は知らないの? 姉様、こんな大切なこと伝えてなかったの?」
シーラが咎めるようにシシィを見た。
「ノエル様には教えるなと、シャルワ様のご指示よ」
シシィが咎めるようにシーラに伝える。
だが、興奮しているシーラには、その声が届かないようで鋭く睨まれた。
「シャルワ様の? シャルワ様はあんな目にあったのに……。あの騒ぎの中心にいたノエル様が知らないで普通に生活しているなんて。あなたが呼んだのでしょう? あの黒い獣を、ハープを弾き操って襲わせていたくせに」
どう言う意味だろう。私が一緒に居たのはシャルワ様ではなくフィルだった。その獣は街だけでなく王宮にも現れて暴れたのだろうか。
「あの、どこか怪我でもなさったのですか? それにハープって」
要領を得ないシーラに背を向け、シャルワ様を見た。
私の声にシャルワ様は首を横にふり、うんざりしているようで、シーラを睨む。
「なにもない。シーラも何度も同じことを言わせるな。すぐに広間を出て行け。しばらくは王宮に近付くな」
「……私だけではなくて、皆、興味があるようよ……ほら」
興奮していたシーラが、周りを見ろと私に促す。
すると、気が付かなかったが、広間の視線が私に集中していた。
多くの視線が全身に突き刺され、身体が強張った。
「皆、あなたのハープの演奏を聞きたいのよ。街で聞こえていたハープの音色と聞き比べるためにね。アゲートの姫君は、ハープを嗜み腕前は大陸随一だとか」
確かに、お母様は大陸随一と言われていたけど、私は違うわ。
それに、私がハープを奏でるのは大切な人のため。
「あら出来ないの? 認めるのかしら? あの赤い悪魔に魅入られ囚われた姫君は、心までも悪魔に捧げたって。そして、フランシスカを滅ぼすつもりなのでしょう」
甲高い興奮した声は広間中に響いた。傍観していた貴族達は私を見て囁いている。
「悪魔……。滅ぼす? どう言う意味ですか?」
シーラを止めようとしていたシシィ。そして、シャルワ様も動きを止め、私の答えを待っている。
「あなたが手引きしたのでしょう。あの獣を呼び寄せた。そして、あの赤い悪魔、ジェイド・インペリアルを呼び寄せた! ハープの音色は悪魔との連絡手段だわ」
シーラの想像力に頭を抱えたくなった。
ここで違うと体積しても、また噂になるだろう。次は、私がシャルワ様を暗殺するとか言われそうだ。
それは避けたい。
エレーヌを思い浮かべる。あの子なら、毅然とした態度で言い返すだろう。事実無根だと胸を張りシーラに立ち向かう姿が想像出来た。
同じ双子。なら、私にも出来るはずだ。
「ありませんわ。そのようなことは絶対に。私は、その動物とは無関係です」
ゆっくりと立ち上がると、シーラも毅然と立ち上がった。
私が言い返すとは予想していなかったのだろう。シーラが驚いたまま、目を見開いた。
「なら、ハープを弾けるでしょう。奏でてみせて。ここにいる全員が証人になるわ」
唇を噛み締める。
ハープを弾く。今の私の心は迷っていて、ぐちゃぐちゃなのに。こんな気持ちで奏でても音色は響かないだろう。
昔、お母様に言われたことがある。
――ハープを弾く時、歌を歌う時は、自分の心が音となる。
音は嘘をつかず素直に伝わる。自分は勿論、周りの人も幸せになるような、楽しくなるような、そんな想いを音に託しなさいと。
今の気持ちのまま奏でても、何も伝わらない。
「やっぱり出来ないのでしょう。あの悪魔の手引きをしていると認めるのよね?」
答えられないでいると、シーラが周りに同意を求めている。
……エレーヌなら、あの子なら、迷わず毅然とした態度で言い返す。侮辱するなと。王女の誇りを胸に。
「わかりました。弾きます。でも条件があります。あなたも私のハープに合わせて踊って見せて下さい。国一番の舞い手なら簡単でしょう?」
「私と一緒に?」
私の条件に、シーラが困惑した顔をみせた。でも、すぐに自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。
「いいわ。私の舞に引きずられないように、せいぜい頑張ることね。行くわよ」
私の返事を待たずに、シーラが水辺の舞台へと歩き出す。シーラに続き歩き出すと、後からシシィの止める声が聞こえた。
だが、振り返らずに前を歩く。
大丈夫。しばらく触れていなかったけど大丈夫。
何度も、大丈夫と自分に言い聞かせた。微かに震える手を誰にも気付かれないように両手を強く握った。
アゲートの、王女としての立場を思い出し、背筋を伸ばし毅然に振舞う。
「好きなハープを選ぶと良いわ。それとも、お国から持って来たハープを運んで貰いましょうか?」
「……いいえ。ここにあるハープで大丈夫です。あれを……」
跪いている女性達の間を歩きハープを見せて貰った。この場に適しているハープを選び出す。
大きな物はいらない。この広間の広さだと、床に直接座り、抱え込める大きさのハープが良い。
それと、さっき聞いた中で、一番響きが安定していたハープ。
「本当にこれで良いの? あとでハープが悪かったとか言わないでよ」
私の選んだハープが意外だったのだろう。シーラが首を傾げた。
選んだのは、何の変哲もない木目調の小柄なハープ。
自室に置いてあるハープよりも一回り小さく、女性でも軽く運べる。
控えていた侍女達が、私のために絨毯を用意してくれた。真っ白な生地に、金の刺繍でオリーブの葉が描かれている。
その上に座り、両足の間にハープを置き、膝と足を使い動かないように固定する。
若干、ドレスから露になっている足が気になるが周りは女性ばかり。問題ないだろうとハープに集中した。
弦を調律していると、広間の灯りがさっきと同じように消え、闇が訪れた。
そして、さっきまで見ていた金色に光る水面が、私の傍へと近付いて来るのがわかる。
……舞台に来ると、さっきまで見ていた光景と全然違うわ。なんて綺麗。一人だけ水の中に居るようだわ。
「準備は良い? 始めるわよ……。好きに奏でると良いわ。私はどんな曲でも合わせる自信があるもの」
「ええ。楽しみにしています」
私の答えがまた意外だったようで、シーラは顔を顰めた。ため息を吐くと、鈴の音を鳴らし舞台の前方へとシーラが動いた。
久しぶりに奏でる。
弦をはじくのも、音を調律するのも、あの日以来だ……。ユーリが少しだけジェイドから身体を取り戻した数時間。あの時に触れたのが最後だ。
あの時に誓ったはずなのに……。必ずユーリを救うと。誓ったのに……。
ハープを持つ手に力を込める。
目を閉じると大きく深呼吸をした。
大丈夫。今度こそ必ず助けるから。弱い私とはここで決別するから。だから待っていて、ユーリ。
心の中で誓った。
決意を込めて目をあける。すると、強い視線を感じた。
その視線を追う。すると、そこだけ灯りが小さくともされたままになっている。
広間の、入り口にいる男性の姿に動揺した。
あの人……あの時の。どうして、ここに居るの?
その先には、壁に背を預けて、私を見ている男性の姿。
黒の仮面で顔全体が覆い隠され、仮面の下から唯一見える右の瞳は、無機質な青。髪は完全に黒の三角帽の中に隠れ何色か、わからない。
……どうして? あの舞踏会の時の、私を助けてくれた男性がいるの?
やはりフランシスカの人だったのね。もしかして、天使様?
考えていると、シャラン――と鈴の音色が聞こえ思考を遮られた。鈴の主は、もちろんシーラで、早くしてよと、ばかりに睨まれる。
慌ててハープに集中する。
今は、考えないようにしなきゃ。もしハープの音色が同じだと言われたら、お兄様やエレーヌにも、いらぬ疑いがかかるかも知れない。それだけは避けなくては……。
大丈夫……絶対に出来るから。
もう一度、深く深呼吸をしたあとに一本の弦を弾く。軽やかで初々しい音が広間を包み込んだ。
奏でるのは、どの国にも伝わる子守唄。
出だしはどの国でも同じ。でも中盤からは、それぞれの国のものへと変わる。
私は、この国の子守唄を知らない――。だから、今まで見たフランシスカの美しさを思い浮かべ弦を弾く。
汚れのない真っ青な宝石のような海と、すべてを見守る太陽の光。
その光を浴びて光輝く白い建物。すべてが目新しく神々しく見えた。私も迎え入れてくれているようにも思えたから……。
それに、フィルと街を訪れた時にあった陽気な人々。街全体が温かく活気で溢れていた。何よりも生命を感じさせる水の豊かさ。
段々と早くなる旋律に合わせ、シーラの鈴の音も高らかに響いた。
その音色は風に乗り外へと流れていく。
奏でる内に、自分の音以外聞こえなくなった。
弦をはじく音と、水の流れる音、風にのって聞こえる木々の囁きに身をまかせる。
だが、しばらくしてある異変に気が付いた。
シーラが動揺し、ハープの音色と踊りがずれていることに。
図形を描きながら舞っていた足元は、その形を崩し、動揺しているのがはっきりとわかる。
私の奏でる音色を甘く見ていたのか、引きずられる音に合わせようと、すればするほど上手くいかない。
悔しそうに顔を歪めるシーラは、何とか立て直そうと必死だ。
でも、それは最後まで変わることはなかった。




