表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/31

15 現れた天使

 いつものように、窓際の床で横になり寝ていたら、ふいに目が覚めた。

 誰かの足音に反応して目が覚めたのかと思い耳を澄ます。だが、何も聞こえない。


「ジェイドと会ったから……気になって眠れないのかな」

 神経が高ぶっていて眠れないのかと息を吐く。

 気を紛らわせようと外を眺めた。空には青みがかった神秘的な月が浮かんでいた。


「……綺麗」


 その月に導かれるように立ち上がり、扉を開け階段を静かに下りる。

 シシィ達も休んでいるのか、珍しく誰の姿も見えない。

 裸足のまま中庭へと出た。

 外へ出ると、気温が下がったせいか少し肌寒い。薄い夜着のまま出て来たことを、少し後悔しつつ歩き出す。


 石橋を目指しながら月を眺めた。

 フランシスカに来て、こんなにも穏やかに空を見上げたのは、初めてかも知れない。それくらい余裕がなかった。

 月を見ていると無性に泣きたくなる。

 この気持ちを、ぶつけられる人がいないから、憎いくらい綺麗に光る月に聞いて欲しかった。


「誰か……助けて。私を助けてよ」

 頬に伝う涙は誰にも届かないと知っている。でも、叫ばずにはいられなかった。

 しばらくフラフラと歩き、辿り着いたのは、アーチ状の石橋。

 そこに腰を下ろし、足を投げ出すように水面に下ろした。


 足が、水に付くか付かないかの距離に、もどかしさを感じた。それでも、足を動かし、つま先を水にひっかけ、水面に波紋を浮かばせる。

 そのくだらない遊びが面白くて楽しくなってきた。

 言えない思いをぶつけるように、水を遠くへと蹴り飛ばす。

 辺りに水音が響き、風に揺れ木々が囁きあう。


「――楽しそうだけど危ないよ。意外と水の中は深いから気をつけて」

 誰もいないと思っていたのに、ふいに、背後からかけられた声に身体が強張った。

 ……こんな夜中に庭に誰かいるなんて。この庭は、シャルワ様と私しか入れないと聞いていたわ。なら、この声は誰? シャルワ様の声でもないわ。……誰。

「眠れない? 大丈夫。ここは安全だから」

 その声は、私を叱るでもなく、優しく語りかけてくる。

 意を決し、恐々と振り返ると、そこには会いたかった……美しい天使がいた。


 あの時と同じ、月明かりに照らされる姿は、白銀にも見え、金色にも見える不思議な髪色。瞳は右が青、左が――色のない白。

 神秘的で無機質な色彩は人の匂いを感じさせない。

「……天使様」

 気が付いたら泣いていた。

 会いたかった……。あの時も、そして今も、孤独な時、天使様は私を見つけてくれたから。嬉しかった。

「天使……?」

 私を見て、少し困ったような笑みを浮かべた天使様は私の隣へと座り込む。


「泣いていたの? 何が不安なのか天使に相談してみたら?」

 天使様が、私の頬に触れ、流れる涙を拭ってくれた。

 他の人なら逃げ出すが、天使様は私を助けてくれた人。安心出来る人。そう思うと、肩の力が抜けて心が揺れ動く。

 天使様に伝えても良いだろうか? この人は私を助けてくれた人。優しくて強い人。でも頼っても良いの? 会ったのは二回目なのに……天使様は迷惑ではないだろうか。

 頭の中がぐちゃぐちゃになった。


 それに、確認したいことがある。大事なことを。

「天使様は、フランシスカの方ですか?」

「あなたが天使と言うのなら、それで良いのでは? 私は、あなたを絶対に傷つけません」

 力強い青い瞳と神秘的な白い瞳……。すべてを包み込むような、その双玉を見ていると、今まで耐えていた辛い気持ちが抑え切れなくなった。

「助けて……助けて。どうか、あの男から助けて下さい」

 堰を切ったように零れ落ちる悲痛な叫びは、天使にどう届くのか、わからない。でも、止まらなかった。

「どうしたら良いのかわからないの。私のせいで、エレーヌが、皆が不幸になる。でも、あの人も助けたいの……」

 こんな説明だと天使様は理解出来ないだろう。でも叫ばずにはいられない。

 本当はわかってる。全部を手に入れることは出来ない。どちらか一つだけしか選べないことを。


 私は、選択しなければならない。


「エレーヌ様と誰を助けたいの?」

 涙でぼやける視界を必死で我慢する。すると、天使様が私の肩を優しく抱き寄せた。薄い夜着を通して、天使様の体温を感じる。

 心地よい腕の中はフランシスカに来て、初めて安心出来る場所だった。

 優しく包み込んでくれる、その温もりに涙が零れる。その温もりが、私の冷え切った心をとかしていく。


「……ユーリを、ユーリを助けたい。あの男から解放してあげたいの」

「ユーリ……それは誰?」

 私の背中に回されている天使様の腕に力がこもる。

「ユーリは、私が人質として囚われた時に優しくしてくれた人。一人ぼっちで、寂しい時に守ってくれた人」

「……ジェイド・インペリアルから守ってくれた?」

 ジェイドの名前に身体が震えだす。


 怯えたように天使を見上げて、やっぱり止めようか伝えようか逡巡する。

 ずっと、私だけの心に中に留めておこうと思っていた。でも……誰かに聞いて欲しい、もう胸が押し潰されそうだから。

「違うの。ユーリはジェイドなの。ジェイドがユーリなの」

 そう伝えると、色の違う天使様の瞳が驚いたように大きく見開いた。

「もう少し詳しく話してくれる? ノエル」

 これは懺悔であり罪の記憶……。私が止めていれば、動いていれば、違う道があったのかも知れない。

 誰もが幸せになる道が――。

 天使様なら、きっと受け止めてくれる。だから真実を伝えないと。


「一つの身体に二つの人格があるの……。囚われていた一年と半年はユーリだった。優しくて穏やかな人。人はジェイドと呼ぶわ。ユーリは子供の頃の愛称だと教えてくれた。その名で呼んで欲しいと言われたの」

 告白し出すと止まらなくなる。

 すべてを聞いて欲しくて。あの時何があったのか……私の罪も一緒に。

「人質として囚われている間ユーリは優しかった。他の人質達と同様に、三年経ったら、世界が落ち着いたらアゲートに返すからと約束してくれた。ユーリだった頃は、人質と言っても穏やかな生活だった。でも……あの弓がすべてを変えてしまったの」

 この世界を手に入れる聖なる秘法。


 それをユーリは望んでしまった。


「あの弓を手に入れれば世界の王となる。そう言われたわ……あの鷹に。王になれば争いがなくなる。平和が来るとユーリは信じたの。そのために弓が必要だった」

 世界がまだ、いくつもの勢力に別れて覇権を争い、戦いは終わらなかった。それを終わらせるために、ユーリは鷹の言葉に魅入られた。

 弓の話を聞かせてくれるユーリは真剣で、期待に満ち自信に溢れていて……。

 でも、いつの間にか現れた怪しい鷹の話を、疑うころなく聞き入れるユーリに、戸惑いを隠せなかった。


 何度も考え直してと訴えたけど聞き入れて貰えなくて、私は見ていることしか出来なかった。

「弓に執着し始めたの。鷹の指示通りに動いて、私が止めても聞いてくれなくなって、ユーリの態度が変わったわ。別人のように」


 心配だった。ユーリがユーリでなくなることに。

「そして弓を手に入れたあの日……ユーリは消えてしまった。新しい人格ジェイドが誕生したわ。秘密を知った私に、ジェイドは容赦なかった」

 ユーリが消えた、あの日。

 新しいジェイドの傍には常に鷹が居て、私の行動を制限した。

 ……真実を知っている私を逃さないために。


「ノエル。ユーリの人格は完全に消えたのか? それに鷹は弓とどう関係があるの?」

 それまで、私の告白を静かに聞いてくれていた天使様が初めて口を開く。

「……ジェイドに体を乗っ取られてから、ユーリには二度会えたわ。その時に……」

 伝えようとして言いよどむ。

 迷ってしまった。これを伝えていいのか。

「その時にどうしたの? ノエル……」

 俯き黙り込んだ私に、天使が優しく頭を撫でてくれた。

「もう大丈夫。すべて上手くいくよ。あとは任せてくれれば良いから。一つだけ教えて欲しい……フランシスカでジェイドに会ったんだね?」

 天使様は何でもご存知なのね。


 左右で違う瞳の色を見ていると安心する。天使様の傍にずっといたいと思ってしまう。そんなこと出来ないのはわかっているのに。

「会いました。ジェイドに弓を渡せと言われて……」

「弓を? あの弓をノエルの持っているの?」

 驚きに満ちた天使様の声を聞いた時、その表情が誰かと重なった。

 天使様と会うのは二度目。一度目は話すこともなかった。今日が言葉を交わした初めての日。なのに、誰かに似てる。


「ノエル……」

 口を閉ざし黙り込んだ私に、優しい天使様は、それ以上聞いてこかなった。

 髪を撫でてくれる大きな手も、守るように抱き締めてくれている力強い腕も、全てに心を許してしまう。

「フランシスカでの生活は楽しくありませんか?」

 ふいに聞かれ考え込んだ。

「……私は人質ですから楽しいと思うのは罪です。アゲートの王女として役目を果たすのは当然です。皆が幸せなら、私はそれ以上望みません」

 本音は私も幸せに穏やかに暮らしたい。だけど、王族として生まれた立場上、そう出来ない。


「人質? 誰がそんな偽りをノエル様に伝えたのですか」

 天使様の口調が険しくなる。

 不思議に思って天使様を見上げると、怒っているようで不安が渦巻いた。

「お兄様が言ったのです。アゲート王家の財政難と引き換えに、私をフランシスカに嫁がせると。お金のために……」

 自分で言っていて悲しくなって、また涙が頬を伝う。


「フィリップがそんなことを? ノエル様。あなたは人質でこの国へと来たのではありません。もう少し自信を持って。そして周りに心を開いて下さい。見えていなかった真実が見えてきますから」

 私は人質じゃないの? なら、なぜお兄様はあんな話を……。

 頭が混乱した。それに、心を開くことは出来ない。

「いいえ。周りを信用すると裏切られます。前に、信じていた侍女に裏切られて、 ジェイドに酷い目にあって。それなら最初から信じない方が良い」

 昨日まで信じていた人が、次の日からは敵になる。あんな思いは、もうしたくない。


「大丈夫。ノエルは人質でこの国へ来た訳じゃないよ。それに今、ノエルの周りにいる人達は裏切らないよ。私が保証するよ」

 天使様の言葉は、卑屈になっていた私の心に、すっと入り込んできた。頑なだった冷たい氷を溶かしてくれるように。

 宝石のような瞳で見つめられると、暗示がかかったように、信じてみようと思いが湧き上がる。

「でも、シシィに、皆に、酷い態度をとってしまって、どう接して良いかわからないの」

 どうやって関係を修復すれば良いのかわからない。シシィも私を煩わしいと思っているかも知れないもの。


「大丈夫。アゲートにいた時のように普通に接して居れば、シシィは助けてくれるよ。彼女もノエルを心配しているから」

 何度も大丈夫と、安心してと言われ、ぎこちなく頷いた。

「――もうすぐ夜が明ける。もう行かないと」

 天使様が見上げた視線の先を追うと、空が少し明るくなっている。

「もう行くの? また会える?」

 寂しかった。一人にしないで欲しかった。だから何度も尋ねた……また会えるのかと。


「明日また来るよ。夜にしか会えないけど、悩んだらまた、ここにおいで」

「……ありがとう、天使様」

 嬉しかった。また会えることが。

「ノエル、天使はちょっと。アンリ、そう呼んで」

 考え込んだ天使が、照れくさそうに名前を教えてくれる。

「アンリ? それが天使様のお名前? ええ、また会えるのを楽しみにしています」


 ふわりと微笑むと、天使様が目を細めた。


「ああ……待ってるよ。だから少し眠ると良い」

 あの時と同じように、アンリが顔に手をかざした。

 すると、眠りたくないのに、アンリと離れたくないのに、瞼が下がり意識が遠のく。

 その時、天使様からエキゾチックな心地よい香りが私を包んだ。


「アン……リ」

 最後に呟いた天使様の名前は、小さく風に乗って消えて行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ