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愉快な旅芸人の話

 しんしんと雪の降る雪原を、若者は歩いておりました。

 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、と、若者が雪を踏み締める音以外、何も聞こえない世界でございます。

 あれから若者は都を離れ、新しい棲み処を求めて国中を旅しておりました。明けない冬の王国をひとりで旅するのはとても大変なことでしたが、都にはいつしか若者を浮気者の悪党だとする噂が流れ、石を投げられる前に逃げ出すしかなかったのでした。


 しかし不気味な赤いの若者には、なかなか次の居場所が見つかりません。

 ひとびとは若者の眼を見るとひどくこわがり、離れていってしまうのでした。

 若者は、もう一度歌をうたえばいいのかもしれない、と思います。歌を聴けばみんな若者のことを見直して、やさしくしてくれるんじゃないかなあ、なんて。


 だけど若者はうたえませんでした。うたうと恋人のことをどうしても思い出してしまい、胸がぎゅうっと締めつけられて、声が出なくなってしまうのです。

 なにより若者はもう、自分の歌を信じられなくなっていたのでした。大好きだった恋人を失った途端、自分の歌には石ころほどの価値もないような気がして、信じられなくなっていたのでした。


 その日もびゅうびゅうと音を立て、ひどい嵐がやってきます。

 暗い空の下、吹きつける吹雪の中を、若者は懸命に歩きました。

 見渡す限り世界は黒と白だけで、どこへ向かえば良いのかも分かりません。若者はやがて力尽き膝を折りました。睫毛の上にまで雪が積もり、寒くて寒くて、もう立ってはいられませんでした。


 若者は雪のベッドの上に倒れ込み、眠りました。昏々と眠りました。

 心のどこかで、もうこのまま目覚めなくていいや、という声がしました。


 けれど嵐が去った頃、若者は目覚めました。

 そこは小さなきこり小屋でした。目の前では囲炉裏が燃えていて、とても暖かい。さらにおいしそうなパンとジャムまで用意されておりましたので、おなかが空いていた若者は飛びつくようにして食べました。

 ふわふわした白パンにたっぷりのジャムをのせて食べながら、ああ、僕は生きているんだなあって、ぽろぽろ涙をこぼしました。


 若者は、本当は、これっぽっちも死にたくなんてなかったのです。


「だけど僕はどうして生きているのだろう?」


 と不思議に思った若者は、改めて小屋の中を見渡しました。すると若者が食事を終える頃合いを見計らったかのように、ひとりの男が現れます。

 若者の知らないひとでした。とんがり帽子にとんがり靴という、ちょっとおかしな格好をしたひとでした。

 話を聞くと、どうやら若者を助けてくれたのは彼のようです。若者が雪道に倒れているのを見つけて、親切な男のひとは、ここまで運んでくれたのでした。


「ありがとう、あなたのおかげで命拾いしました。もしもお礼にできることがあれば、なんでもします」


 男は見たこともない赤い眼におどろいた様子でしたが、若者がうやうやしく頭を下げると、悪いやつじゃないな、と信じてくれました。それから男は、自分がさすらいの旅芸人であることを明かしました。

 ピーヒョロ、ピーヒョロ、笛を吹き、各地を巡ってひとびとを笑わせるあの旅芸人です。けれど男は、少し前まで一緒に旅していた相棒とケンカ別れしてしまい、とても困っていると打ち明けてくれました。


「おれは笛吹き、やつは歌。そういう役割りだったんだ。だけどおれの笛にのせて歌うやつがいなくなってしまって、どうしようかと思っているんだよ。なあおまえ、誰か歌の上手なやつを知らないかい」

「でしたら僕が歌います。僕も歌は得意なんです」


 若者はとっても久しぶりに、喜んでうたいました。

 その伸びやかな歌声に旅芸人はおどろき、聞き惚れ、まるで神様が巡り合わせてくださったような出会いに諸手を挙げて感謝しました。

 旅芸人は若者の歌をすごい、すごいと褒めたたえてくれます。おかげで枯れ朽ちたはずの自信がむくむくと芽を出して、若者はもう一度うたえるようになりました。うたうのが楽しいと感じるこころを取り戻すことができたのです。


 元気になった若者は、旅芸人と一緒に旅に出ました。ひとが集まるところへ出向いては旅芸人が笛を吹き、若者がうたいます。するとあっという間にひとだかりができて、みんな拍手を贈ってくれるのです。

 若者は旅芸人との出会いに感謝しました。しかししばらく旅をしていると、ちょっとした悩みも芽を出しました。

 旅芸人は、笛を吹くのはとっても上手なのだけれど、歌がからっきしなのです。彼がうたうと氷はひび割れ、草木も下を向いてしまいます。だから若者は、歌のことは僕が考えるよ、と旅芸人に言いました。


 されど旅芸人は若者よりずっと長く芸をしていますので、あれこれと注文をつけたがります。それが役に立つ注文だったなら若者も気楽なのですが、歌ごころのない旅芸人は、いつだってとんちんかんなことを言うのです。

 なのに若者は「違う」と言い出せませんでした。僕はそうは思わない、と伝えることは、旅芸人の誇りを傷つけてしまうことのように思えて、ちっとも言い出せませんでした。

 だからいつもにこにこ笑って、そうだね、そうだね、とうなずきました。そうしていればもう誰にもきらわれずに済むと、かたく信じておったのです。


 ある日のこと、若者はとっておきの歌をつくりました。

 遠い都に置いてきてしまった恋人にあてた歌でした。

 あれから月日が流れ、若者はかつての恋人をなつかしく思い出すようになっておりましたので、思い切って愛の歌をつくったのです。

 その歌は若者にとって、宝物のように大事な歌になりました。恋人にはもう届かないと分かっていても、大事な大事な歌でした。


 ところが旅芸人は、またも注文をつけはじめます。ひとつひとつ、若者が想いを込めて綴った愛の言葉を、気にくわないから書きかえろと言うのです。

 若者は、それだけはできないと言いました。この歌は特別で大切な歌だから、たとえへたくそでも今のかたちを大事にしたいんだ、と。

 けれど旅芸人は引き下がりませんでした。


「おれはおまえのためを思って言ってやっているんだぞ」


 と肩を怒らせ迫ってきます。今まで従順だった若者が愛を守るために牙を剥いたので、旅芸人は頭にきたのです。それでも若者は愛を守りました。

 だって人には、誰しも譲れないものがございます。

 されど旅芸人は自分が正しいと心底信じておりましたから、若者が何を言っても耳を貸してはくれませんでした。そこで若者は仕方なく、ついに秘密を打ち明けます。


「ごめんよ、きみ。だけど僕が今まできみに従順だったのは、きみを傷つけたくなかったからなんだ。心の中では違うと思っていたけれど、きみにきらわれたくなくて黙っていたんだ。でも、今回だけは譲れない。これは僕の、僕だけの大切な歌だ。だから変えたくないんだよ。どうかわかって許しておくれ」


 若者は精一杯の気持ちでそう伝えましたが、すぐに自分のしたことを後悔しました。なぜって、旅芸人の顔にみるみる血がのぼってゆくのがわかったからです。

 旅芸人は怒り狂いました。そしてそれまで褒めちぎっていた若者の歌を、ズタボロにこきおろしました。おまえの歌はだめだ、おまえの歌はつまらない、おまえの歌にはなんの価値もない――。

 若者はなにも言えずに立ち尽くしました。頭の中はあの日倒れ込んだ雪原のように真っ白で、返す言葉が見つからなかったのです。


「もうおまえのことなど知るものか! これまでおまえに捧げた讃辞はすべてなかったことにする! 二度と顔も見たくない!」


 旅芸人は最後にそう吐き捨てると、きびすを返してしまいました。

 若者は旅芸人との友情が今、終わってしまったのだと悟りました。

 けれどこれだけは伝えておきたくて、慌てて旅芸人を引きとめます。


「ねえ、きみ。ごめんよ。ごめんよ。だけど僕を助けてくれたこと、今日まで一緒にいてくれたこと、とっても嬉しかったんだ。本当だよ。だから、ありがとう」


 すると旅芸人は若者を振り向いて、ぺっと唾を吐きました。


「ふん。おまえは自分が悪者になりたくないから、そうやっていい子ぶってるだけだろう。心にもないこと言いやがって。ああ、今日までおまえと過ごした思い出をぜんぶ消し去ってしまいたいよ」


 若者が綴った愛の歌は、誰にも届かず潰れてしまいました。



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